朝一番のお客さん

来冬 邦子

営業時間は朝八時からです。

 カピバラたちには三分以内にやらなければならないことがあった。

 即ち朝八時までに。


「早く、早く!」「急いで、急いで!」


 カピバラは全部で十二頭ほどもいたが、どれも口で言うだけで動作はこれ以上ない程にのんびりしている。


「だめだ。最初から無理だったんだよ、僕たちには」


「すぐに諦めるな! 僕らに出来ることは努力することだけなんだから」


「泣けるセリフだなあ」


「鬼滅のパクリだからね」


「あ、ずっこい」


「あは、あは、あは」「うは、うは、うは」


「この期に及んで、笑い転げるな!」


 ここは薄暗いパン屋の店内で、かなり狭い。「いいから、早く!」


 ようやくカピバラたちがキビキビと(気持ちの上だけで)動き出した。焼き立てのパンを奥から出してきて並べるもの、店内のカーテンを開けるもの、試食コーナーのテーブルを拭くもの、レジの小銭を確認するもの。最初のうろたえる時間がなければ余裕で八時を迎えたと思う。


「よし、開けるよ!」


 一番小柄なカピバラが正面の緑色の丸いドアの鍵を開けると、大きなフランスパンを開店中のしるしとして、飾り窓に高く掲げた。すると。


「おはよー!」


 柱の鳩時計が「ポッポ、ポッポ」と鳴くのと同時に、ショートカットで白いセーラー服の女の子が店内に飛び込んできた。


「つぼみちゃんだ」


「おはよー」


「いらっしゃいませ」


 カピバラたちは大喜びで元気な女の子を出迎えた。この子は津雲つくもつぼみといって、この近所の小学校の五年生だ。気の毒なことに、他の人にはまったく見えない扉を見つけては特異体質を持っている。その特質を生かして、毎朝異界の(通称)カピバラパン屋にやって来るのであった。


 つぼみは狭い店内をぐるりと回って、ピンクのアイシングで飾られたクロワッサンと苺とカスタードクリームを巻き込んだデニッシュパンを選ぶと、レジのエプロンを着けたカピバラに渡した。カピバラはフンフンと匂いを嗅いでひとつひとつ出来映えを確かめると茶色い紙袋にパンを詰めて、つぼみに渡した。


「200円になります」


「はい。200円。こんなに安くていいの?」


「適正価格でございます」 異界には消費税は導入されていないらしい。


 つぼみは肩掛けバッグにパンをそっと入れると、カピバラたちに手を振った。


「カピバラさんたち、ありがとう。また明日ね!」


「ありがとうございました!」 カピバラたちの声が揃う。


 こうして明日も早起きして、唯一のお客さんである、つぼみを待つのである。

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朝一番のお客さん 来冬 邦子 @pippiteepa

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