夜明けの戦士

電光関門

格闘漫画のキャラの過去シーンっぽい物を書きたかったんですけどね

 男には三分以内にやらなければならないことがあった。起床してから素早く周囲を見渡し時計を確認してから、家族を起こさぬよう家を飛び出し、村の外へと駆けていく。

 数分後、未だ太陽も登りきらぬ早朝、アメリカの荒野にその男は佇んでいた。

 手入れのされていない伸びた髪を後ろで纏め、髭も顎を覆い口を取り囲んでいる程に伸びている。身につけている物は下着とジーンズ、そのジーンズに通している革のベルトのみ。上半身には何も纏わず、靴すらも履いていなかった。顔立ちから辛うじてアジア系である事は分かるだろうが、その年齢が正しく認識され──二十代後半である事を一目見て判別できる人間はほとんど居ないだろうという見た目であった。

 男には守るべき場所があった。自らが物心ついた時から暮らしてきた、先住民の血を継ぐ者達によって形成された小さな集落。恐らくは異邦の血であろう自分を、家族同然に扱ってくれた者達の住む村。そして今はその集落に背を向けるようにして、男は夜明けの荒野に自らの上体を晒している。

 ……ふと、夜半に冷やされた肌を突き刺すような空気に混じり、別の”何か”が肌を突き刺す感触を男ははっきりと感じ取った。一度目を閉じゆっくりと深い呼吸をして、男は改めて前を見据える。蠢き、疾駆し、そして男の背負う物をこれからその”何か”の根源を、鷹のように鋭い双眸が捉えた。


 バッファローの、大群である。


 集落に伝わる逸話。数十年に一度起こる、バッファローの大群の安住の地を求めた移動。それは命の濁流であり、自然が我々に放つ警句である。これに呑まれれば後には何も残らず、いかに獰猛な存在であってもこれに逆らう事はできない。故に我らは常に自然への畏れを持ち生きていかねばならない、と。


 それそのものは男にとって何ら疑わしい事は無かった。数十年に一度という頻度、もたらされる被害、どれをとっても何か大いなる働きがあるのかもしれないと思わせる神秘は十分にあったし、その感覚を男も受け入れて今まで生きてきた。

 だが、こう囁く声があった。大いなる働き、自然の意思、天災、それに逆らうには、確かに人間は小さい。

 どれ程の力の差があるのか、もたらされるのは死か、それとももっと大きな恐怖なのか。それを確かめた人間は居るのか。居ないのか。居ないのならば──。男の脳の、意志の、あるいはもっと別の何か深い所からの囁きに、気付けば体はその方向へと向かっていた。

 日頃の作業を、仕事を、鍛錬と認識するようになった。だがそれだけでは足りない。もっとだ、もっと鍛えなければ。備えなければ。

 体だけでは駄目だ、”技”が必要だ。外からの力を受け止めなければ。受け流さなければ。逸らさなければ。

 ”武器”が必要だ。だが自分の肉体でなければ意味がない。自然で人間を試すのだ。

 刀の様に振る腕が必要だ。

 棍のように薙ぐ脚が必要だ。

 槌のように振る拳が必要だ。

 槍の様に突く蹴りが必要だ。

 その様な日々を過ごす中、他の野生動物達の様子から直感した、数十年に一度の天災。遂にそれが今、来た。


「ッ、──────────!!!」

 バッファローの大群へ向かって、夜明けの荒野に男が叫ぶ。最早言葉の形はしておらず、しかし雄叫びと言うにはあまりに、例えるならばそれは霹靂であった。

 バッファロー達は面食らう。何故だ。奴は生き物のはずだ。しかし何故奴は今、と同じ気配を放った。

 しかし彼らは止まらない。故に男は走っていく。大群へと走り、そして先頭のバッファローをするりと交わした次の瞬間、その一頭は地面を滑るように

 受けてはならない、しかし向かってくる。であれば、その勢いを利用して投げればよい。交わした一瞬で、バッファローの首に左腕でロックを掛け、腹に右腕を回し浮かせて放る。しかし動作が大きい故に、次のバッファローには投げが間に合わない。ではどうするか。

 男の”鷹の目”がバッファロー達の足を、頭を、目を捉える。

 捉えた場所へと、”槌の拳”を、”槍の蹴り”を、”棍の脚”を、最小動作、最高速度、最大威力で打ち込んでいく。

 間に合わなければ逸らし、受け流し、他の個体とぶつけ合わせる。倒れた個体につまずき、手足の届かぬ場所の個体まで、その勢いが崩れていく。

 優れた五感と直感に天性の情報処理能力、そして無我夢中の集中により、瞬く間に大群が捌かれる。

 しかし中には持ち直したものも居る。だがそれらの個体はしばしの逡巡の内、何故か皆一様に、男を取り囲む円を描くように動き始めた。やがて気付くと男に向かってくるバッファローは居なくなり、闘技場を思わせる円形の戦場いくさばが出来上がっていた。

 戦場を囲む群れをゆっくり押しのけるようにして、他の個体より一回り大きく、黒い体躯のバッファローが出てきた。獰猛かつ闘志に溢れ、しかし理性は失わず、真っすぐ男を見つめている。

「……そうか。お前が一番強いんだな」

 男に動揺はなく、しかし高揚もない。ただ目の前に降った試練の前から目を逸らさず余計な力を抜き、心の中で構えをとる。

 見合って、数瞬。弾かれたようにバッファローが駆け出す。飛び込んできたそれがぶつかる寸前、男の両腕が陽炎の様に揺らぎパシッという乾いた音が鳴ると、次の瞬間には半身の構えになった男と、低く宙に浮き進行方向を軸に回転しながら勢いそのままに体を投げ出したバッファローがあった。土煙を上げながらズシャアと地面に体を激しく擦りつけたバッファローはしばらく動かなかったが、やがてゆっくりと立ち上がると改めて男へと向き直る。その瞳には未だ消えぬ闘志の炎があった。

 男も、バッファローも、互いに直感した。次の交錯で勝負が決まる。いや、決めるのだと。互いの戦士としての共鳴が、この場で唯一の不文律ルールを作り上げた。

 同時に駆け出す。最早咆哮すらいらない。幾ら威圧した所で、先程の一瞬のやり取りで互いの強さは理解しているのだ。ほんの少しタイミングがズレていれば、男の息の根は止まっていた。僅かでも体勢が違っていれば、バッファローの脚が折れ戦闘不能になっていた、あの一瞬で。

 そして今、剛の具現とも呼ぶべき強烈な突撃が繰り出される。それに対し男は────────

 砂煙すらほとんど上げず、トン、と軽い音を立てたかと思うと、バッファローの視界から男は消え、そして。

 前方宙返り、その最中。自分の頭が真下に来たタイミングで、体を伸ばし逆立ちの体制、伸ばす勢いを込めた、背中目掛けての両手を重ねての掌底。これにより、衝撃、走る。

 掌底の反動を利用し、バッファローを飛び越して着地する。手のひらを見つめ、握る。確かな手ごたえ。そして打撃により”何か”をずらした感覚。振り向くと、体勢を崩して横たわるバッファローと、一頭、また一頭とどこかへ去っていく群れの仲間達。荒野に残った一頭と一人の戦士達を、橙色の朝焼けだけが見つめていた。

 男はゆっくりとバッファローに近づいていくと、その目から何かを悟ったのか、黒い体躯を仰向けにして心臓に手を当てる。

「……いいんだな」

 その問いかけに、バッファローは答えない。ただ静かに目を瞑ったのを見届け、男は強烈な圧、とでもいうべき一撃を体の連動から生み出し、当てた手から僅かな動きで心臓めがけて打ち込んだ。



 ……その一連の様子を、遠巻きに双眼鏡で覗く異邦人が居た。

「噂程度だと思ってたんだが、まさか本当に居るとはねぇ。逸材なんてもんじゃないなありゃ。……しかし、必要なのは『格闘技界の夜明け』だ。アレくらいのが欲しいな。うん、非常によろしい」

 異邦人は口元に笑みを浮かべながら上機嫌で観察を続け、そして男がバッファローの亡骸を背負ったところで……

「……ははっ、マジか。この距離だぞ?」



 異邦人を一瞥した男は、集落へと歩き出す。

 これからの男の人生に何が起こるのか。彼を取り巻く人間に何が起こるのか。何も分からない。だが、これだけははっきりしている。

 これはほんの夜明けである。彼が日の目を浴びる、その兆し。

 そして戦士は、格闘家になる。

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