殿下、今カップ麺を作っておりますので婚約破棄なら手短にお願いします
庭咲瑞花
婚約破棄なら手短にお願いします!
アメリーには三分以内にやらなければならないことがあった。
なのによりによってこんな時に来るなんて。これが運命の強制力というものなのだろうか。
「見損なったぞ! アメリー・リジット!」
「!? ヘイル殿下がどうしてここに……!」
時刻は間もなく真夜中。満月の光とランプの
ベッドのサイドテーブルに置かれた底の深いすり鉢状の器に、ティーポットのお湯を注いでいたアメリーにとって、彼の来訪は予想外のことだった。
たぶん銀色の瞳が今日の夜空の満月よろしくまん丸になっていることだろう。ついさっきまでベッドに寝転がっていたけれど、紺色の髪なら
思わず蓋を閉め忘れてしまったけれどたぶん大丈夫。さっさと彼が帰ってくれたらいいだけだ。
(でも、これでいいのかもしれないわ。だって、婚約破棄される未来を見据えてこれまで行動してきたのだもの)
アメリーには前世の記憶がある。ニホンという国で仕事をしてばかりの日々。残業地獄で帰宅が真夜中を回る日も何日続いたか数えていない。
そんな日々に癒しをくれたのが乙女ゲーム。──アメリーが今生きているこの国を舞台に描かれた物語だった。
幼い頃に熱にうなされて乙女ゲームのことを思い出してからは、婚約破棄されてからどうするかということを考えて努力の日々。
一番頑張ったのは、婚約破棄されて国外追放されてもいいように、隣国マラード王国に商会を建ててカップ麺を再現したことだ。
瞬く間にこの国まで大流行したこの食べ物のおかげで、アメリー個人の資産だけでもほそぼそとであれば一生暮らしていける資金はもう十分にある。
というわけで、どうせ運命の強制力が働くというなら、その流れに乗る以外の選択肢なんて今のアメリーにはなかった。
「おいアメリー・リジット! 聞いているのか!」
「殿下。婚約破棄なら手短にお願いします。ひゃーく、きゅうじゅうきゅう、きゅうじゅうはち……」
「お、おい。何を言って──」
「きゅうじゅういち、きゅうじゅう、はちじゅうき……」
「リジット嬢。殿下の
「おいエルディス! お前今しれっと俺のことを」
「──えっエルディス様! どうして貴方がここに」
彼のボイスを聞き間違える人などいるはずがない。
後ろに
エルディス・バルト。騎士団長の息子でバルト侯爵家の嫡男だ。
夜闇の中でも輝くプラチナブロンドの髪に、どこまでも続く海のように青い瞳。アメリーの前世の「最推し」の瞳は今、間違いなく世界の他の誰でもなく、アメリーだけを見つめていた。
『学園ではずっと殿下のお側に控えていらっしゃったし、そもそも前世でもルートがなくて攻略できなかったけれど。こうして見るとやっぱり神がかった作画ね。あの絵師様のおかげね。いえ、存在してくれているエルディス様ご自身が神に違いないわ。こんなわたしのために尊みをありがとうございます……!』
「今何と言った?」
「あっいえ今うっかり口に出てしまったのはニホンゴでして、エルディス様がいかにすば──すべくしてここにいらっしゃるのかと思いまして」
「絶対そんな長さではなかっただろう!?」
「そうでしたか。私は殿下の騎士なのでついて来たまでです」
「あっそうですよねごめんなさい分かりきっていることを聞いてしまいました」
「おいアメリー! 俺に対する敬意はないのか! 婚約者を差し置いて他の男を褒めるとはどういうことだ!」
「わたしは今から貴方に婚約破棄される女ですよねわたしが悪いことをしたから婚約破棄しやすくなったでしょう? 知っておりますので。さあ! 本当に早くしてください。わたしは今、時間と戦っているのです」
ポカンとした顔をしている王子に、エルディスが耳打ちする。
エルディスのご尊顔の素晴らしいが過ぎる。
月と
原作を知っているとヒロインがちょっと不憫だけれど、原作と違って頭お花畑だったし、今後は王子といい未来が待っていると思うの騒がずどうかせめて今だけでも耐えてほしい。
しかし、耳打ちされ終えた王子の目がアメリーに向ける視線は、残念な生き物を見るようなそれになっていた。
「わかったわかった婚約破棄をして俺はとっとと出て行けばいいのだろう。アメリー・リジット、お前との婚約を破棄する。要件は終わったから俺たちは出て行くぞ」
「な、何ですか? わたしは可愛そうな生き物ではありませんよ? あっ殿下お出口はそちらです」
「お前に言われるまでもない」
アメリーが入口の方を指さすと、一瞬ジト目を向けてきたヘイルはそのままヒロインを連れて出て行く。それもきっちり扉まで閉めて。
さっきから本当に何なのだろう。解せぬ。
静まり返った部屋に残されたのは、アメリーとエルディスの二人だけだ。
「ずいぶんと美味な香りがしますね、リジット嬢。こんな時間から食べるなんて、お肌の調子に障りますよ」
「ごめんあそばせ。わたし、侍女に肌の手入れをさせていますので」
二人きりになって早々、心配されてしまった。
オホホホホ、と
彼はスタスタとアメリーのもとまで歩いてくると、サイドテーブルの上にあったアメリーのとっておきのカップ麺──もとい、丼ぶり入り即席麺を取り上げた。
「あっそれはわたしの──」
「思っていた通りの味ですね」
「そ、それはよかっ──全っ然よくないわ! せっかくわたしが持って来てもらった分なのに……!」
それにきっとはじめてのはずの箸が上手に使えるのも乙女ゲー補正が入っている気がするけれど、そんなことを言った日には「何言っているんだこいつ」と最推しに思われるに決まっている。
ヘイルならまだしも、最推しからそんな残念な生き物を見るような視線を向けられるなんて、考えたくもない。
「けれど、貴女は硬麺派なのでしょう? 私は柔らかい方が好みですので、私がいただいた方がこの麺も
こうして、アメリーが三分以内にやらなければならなかった予定はいとも簡単に
仕方なくアメリーがベッドの上に力なくへたり込むと、それからやや遅れて後ろで丼ぶりがコトンとテーブルの上に戻される。
「
「健康に悪いのではなく貴方が食べたかっただけでしょう?」
許すけど。最推しの笑顔はもっと健康にいいので。
「守りたいこの笑顔」とは彼のような人のために生まれてきた言葉に違いない。
ベッドから上体を起こして、そんな彼の方をふと振り返ると、彼もまたアメリーの方を振り返る。
「
「それを言うならエルディス様の髪の色でしょう。ところで殿下のお側に戻らなくてもよろ──」
真剣な表情。そのただならない様子に、思わず口を
最推しの情熱的な視線がアメリーにだけ向けられているというのに、あまりに心臓がうるさくて。
アメリーの心の中に
「リジット嬢。私には今まで貴女に黙っていたことがあるのです」
「えっ何でしょうもしかして教えてくださるのですか!?」
アメリーが勢いのまま身を乗り出すと、エルディスは半歩後ずさる。
最推しの秘密など聞きたくないわけがない。だって彼はルートがないせいで情報もほとんどなくて、食べ物の好みも今知ったぐらいなのだから。
ファンディスクが発売されるまで生き残れなかった自分を恨むべきか、それとも最推しの口から直接聞けることを感謝すべきか。
──言うまでもなく、アメリーの中では後者が勝ったわけではあるのだが。
「一週間前、マラード国王が
「それは……お悔やみ申し上げなければなりませんわね。商会の本拠地もあるのだし」
「今まで黙っていたのはそれだけではないのです。私と一緒にマラードまで来てはいただけませんか?」
「? 婚約破棄されましたし、『ルート』通りならこの国からわたしは追放されるでしょうし……。それに商会もありますし、いいですけれど」
「私の婚約者として、と言ったらいかがなさいますか?」
「──っ!」
まさか告白されるなんて。悪役令嬢でなければエルディスを攻略することはできなかったのだろうか。
それだとしたらヒロインが主人公のゲームでは彼のルートがなかったのも残念だけれど頷ける。けれど。
「そういえばエルディス様はどうして婚約をなさっていなかったのですか? あ、いえエルディス様のことをとんでもない地雷物件だと思っているとかそういうことではないのですが……」
「私の母が先ほど話した前国王と腹違いの兄妹だという話は知っていますか?」
「あっ……」
ゲームにそんな設定は出てこなかったからすっかり忘れていたけれど、一年ぐらい前にそんな噂が流れていた覚えがある。
エルディスの母。彼女は母親と共にマラード王国の城下町で現バルト侯爵に見初められたという嘘か本当かわからない話があったが、当の本人の言葉から推測するなら彼の祖父は。
「簡単に言うと、私はマラード国王として即位することになったのですが」
「え、まって。ちょっと理解が追い付かないのだけれど」
「──貴女には私の婚約者になってほしいのです」
そう言って
「そもそも、わたしは今この国の王子に婚約を破棄されたばかりですし」
「ヘイル王子に婚約を破棄するように仕向けたのはこの私です。この国ではきっと貴女が今後平穏に生きていくことができなくなると分かった上での行動です。恨み言なら何なりと」
今、衝撃的な事実がわかった気がする。
あのゲームではヘイルルート以外でも必ずアメリーは婚約破棄されていた。もしかしなくても、彼が裏で手を回していたのだろうか。
「でもどうしてわたしなのですか? 婚約者なら他の方でもよいのでは?」
「貴女が王子の婚約者としてあまりに完璧でしたから。そんな貴女を気にかけず自分はあの女と遊んでばかり。それはもうどれだけヘイルに嫉妬したことか覚えてもいませんよ」
「仕事漬けの日々は慣れておりますので。でも、エルディス様。そんな日々の中でも、貴方はわたしの光でした。いえ、エルディス王子とお呼びすべきですよね。すみませ──」
それに続くはずのアメリーの言葉が紡がれることはなくて。
かわりに彼女の目の前にはいつの間に立ち上がったのか、至近距離に
「今まで通りエルディス様と。……いえ、様も不要です」
「そ、そんなことは」
「そんなことは?」
『許されるはずがない……というか! わたしに最推しを呼び捨てするなんてそんなことができるわけないでしょう! 他の誰が許しても、何よりわたし自身が許せないわ!』
「またニホンゴですか?」
「ええうっかり」
けれど、彼は一歩後ろに下がると口角を上げる。
「わかりました。ですが今の状況なら、貴女は私とマラードに来るしかありませんね。夜の密室で男女二人きりになってしまったのですから。侯爵閣下のことです。責任を持って貴女と婚約するようにと言ってくることでしょう」
「あっ」
部屋の入口の方を見れば、扉は一寸の隙間もなく閉ざされていた。
そういえばさっき
ここまで
「少々ずるい手でしたね」
「いえ。大丈夫です。『カップ麺』を食べているスチルとかもう素晴らしいのでいくらでも見ていたいぐらいです!」
「そういえば
「もしかして開発、応援してくださるのですか? 行きます! エルディス様の婚約者にしてくださいっ!」
アメリーには三分以内──いや。今から、今すぐにやらなければならないことができた。
エルディスの婚約者として。いずれは妻として。死が二人を分かつその日まで。ずっと彼のそばにいるということだ。
殿下、今カップ麺を作っておりますので婚約破棄なら手短にお願いします 庭咲瑞花 @Niwasakizuika
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