第3話 俺は愛し子。

小さい頃から、俺のそばには村民の誰よりも近くに神がいた。

どうやら、50年に一度、村には愛し子が生まれるそうなのだが、それが俺だったから。


俺の腕には、生まれた時からアザがあった。

右腕をぐるっと一周する唐草模様のアザがあった。

これが、俺が愛し子である証明らしい。


俺の前の愛し子は、もう死んでいたから聞いた話でしかないが、その人はぐるっと一周波立つようなアザがあったそうだ。


両親は、俺が生まれた時すごい喜んだらしい。

前任の愛し子が村にいる間は、水不足になることも水害に見舞われることもなく、平和な村だったそうだ。

前任が死んでからは、大小様々な水害が度々起こったそうだから、愛子がいるというのは、村にとって良いことなのだ。


さて、俺は?

なんの加護があるのだろう。

唐草模様のアザだから、植物?豊穣の加護とかか?


なんて、期待した時期もありました。


しかし、今のところ何もない。

村にプラスになるような出来事は、全くなかった。

成人を迎えた俺ではあるが、特別な加護は発見されてない...。

がっかりだ。

周りの村民も、言わないがガッカリしている感じがする。


まぁ、不憫に思われているのは確実だ。

ドンマイとよく慰められるからなっ!


じゃあ、愛し子の意味は??ってなるだろう。

俺の場合は、その名の通り、神に愛されてるってだけだ。


どういうことかというと、俺の日常生活で、必ず選択の場面には神が現れる。

こんなことで?って時も現れる。

他の村民は、大事な選択の時だけ現れるのだが、俺の場合はどうでもいいときに当たり前のように現れる。

例えば畑の雑草抜きをする時に、若干大きい畑があるとしたら、仲間内で誰が担当してやる?とか話し合いが始まると、神が現れる。

『よし、じゃんけんだ。負けた奴は、一番大きい畑をやるのだ。』と、ニヤニヤしながら現れる。


そんな時、愛し子だから、神様も贔屓にして勝たせてくれると思うだろう?

しかしそれは間違いだ。

神は、俺に会いにくるのが目的なだけで、勝たせてはくれない。

俺はじゃんけんの愛し子なのに負ける....。


小さいものだと家族で今晩の夕飯のメニューで揉めているときにも現れる。

そして....負ける。

俺が、食べたいメニューになったことは一度もない。


役割ぎめとかでも神が現れる。

そして、負ける。

全くやりたくない仕事をやることになる。

一度も望んだ仕事をしたことはない。


つまり、何が言いたいかというと。

選択の場面では、必ずニヤニヤした神が現れて、『じゃんけんしろ』と告げられ、必ず100発100中負ける。


愛し子なのにじゃんけんの神に見捨てられる俺....。腐ってる。


俺にとって、神は貧乏神でしかない。






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