第3話 『太陽の輝き』という名のホムンクルス
――これと言った罠は無いな。
イリスは、城の中を歩きながら思った。
イリスが知る遺跡と言えば、岩が転がってきて、逃げたら行き止まりに突き当たってしまったり、落とし穴に入ってしまったり、壁や天井からスパイクが迫ってきたりするものだ。
だが、ここはごく平和な遺跡である。いや、遺跡というのも変だ。
歴史通りなら、この街は1000年経っているはず。それなのに、風化された跡がない。ジャングルに囲まれた場所であるにも関わらず、石畳には雑草の一つもなかった。
「どっちかと言うと、廃墟っつーか……いや、ある日突然、人がいなくなったって感じじゃねえか……?」
そう言いながら、イリスは城の内部にある図書室へ入る。
空に届きそうな天井は、ガラス張りだった。
その下に広がるのは、森のように立つ沢山の本棚。一番上に収められた本をとるためだろう。長い梯子が掛けられている。
その、頂上より少し低い位置に、誰かが座っていた。
その誰かは、憂いげに目を伏せていた。やがてイリスの気配に気づいたのか、影を作る長いまつ毛を開き、上半身をイリスの方向へ向けた。
「……あなたは?」
男の声だった。
低いが濁りのない声に、イリスは思わず体を強ばらせる。
――おいおい、マジで存在したのかよ。
それは確かに人の形をしていた。だが、とてもじゃないが人間に見えない。
ヴィーセンダコナ自身が残した記録によると、彼女のホムンクルスは純粋無垢な存在らしい。生存に結びつく、食欲、睡眠欲、性欲が薄く、代わりに知識に貪欲。承認欲求もほとんどなく、産み親に真摯に、誠実に付き従う存在だとも聞いていた。
――人から作られた、人ならざるもの。あんまりにも、人間に都合がいいよな。ホムンクルスってやつは。
イリスはなんとも言えない気持ちになったが、感傷的な気持ちはすぐに捨てた。自分もまた、自己のためにこのホムンクルスを利用するのだから。
「俺の名前はイリス。
ヴィーセンダコナの『最高傑作』と呼ばれたホムンクルスは、お前か?」
イリスに尋ねられ、ホムンクルスは少し考え込む様子を見せた。
その後、ひょい、と梯子から飛び降り、イリスの目の前で着地する。
何事もなく着地した姿に、猫みたいだな、とイリスは思った。
「ああ。俺は、彼女によって作られたホムンクルスだ」
ホムンクルスは、胸に手を当てて言った。
「あなたは、俺を求めてここへ来たのか?」
「話が早くて助かる。俺と一緒に来て欲しい」
イリスはホムンクルスに対して、手を差し伸べた。
その手を、ホムンクルスはじっと見つめる。
「……あなたは、強い人だな」
ホムンクルスの言葉に、お、とイリスは声が漏れた。
ホムンクルスは純粋無垢な存在だが、相手のマウントには気づくらしい。イリスの手を見て、戦闘に長けていると気づくのは、同じく戦闘に長けているものだ。
「優秀な魔術師だってのは聞いたが、もしかして物理攻撃も得意か?」
「ほどほどに。と言っても、師がいないから、ほとんど独学だ」
わかった、と表情を変えず、ホムンクルスは頷いた。
「あなたについて行こう」
あっさりとした返事に、イリスは眉をひそめた。
「いいのかよ。俺、これから何をして欲しいとか、なんも言ってねえぞ?」
「あなたは強い人だから」
「……強いやつには従うってことか?」
イリスが初めての人間に手を差し出すのは、舐められないためだ。
男の多くは、自分より強いか弱いかで、対応を決める。イリスは男としては小柄なので、よく「弱い」と見なされた。そういう時、イリスは問答無用で差し伸べられた手を潰す。
相手より強いか弱いかハッキリさせることで、イリスはこの世界を渡り歩いてきた。勿論、「強い、弱い」で判断せず握手する人間がいる、ということもわかっているので、そういう時は友好的に接してきたが。
――こいつは闘争心がないっつーか、そういう暴力的なことからは離れている存在だと思ってたんだが……。
イリスが怪訝に思っていると、ホムンクルスは違う、と淡々と答えた。
「『ここに強い人が来たら、導いてもらいなさい』。
それが、ヴィーセンダコナの遺言だ。
俺は、主の言葉に従う」
「……主の言葉、ね。んじゃあ、ついてきて貰うかな」
イリスは後ろを振り向き、そのまま図書室を出ようとして、ふと気づいた。
「そういや、お前の名前は? ホムンクルスなんて呼ばれてたのか?」
「いや。ちゃんと、マスターから名前を貰った」
そう言って、少しだけ誇らしげにホムンクルスは名乗った。
「俺の名前はアオレオーレ。太陽の輝きという意味だ」
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