第27話

 出会ってまだ数時間しか経たない若者三人は大学構内の駐車場に停めたビートルから降りると、静まり返ったキャンパス内を意気揚々と歩いた。真冬なのに空気は湿気を帯びて寒さは感じない。モスの垂れ下がる古木や蓮池のある庭園を抜ける。クリスタル曰くキャンパスは端から端まで歩くのに一時間はかかる広さだそうで、パーティー会場の学生寮までの道のりは遠かった。


 エドウィンは心地良い南部の夜風を感じながら、ジャスミンの香りをさせた従姉妹のクリスタルと乏しいボキャブラリーを使いながら談笑して歩いた。このまま寮に着かなければいいのにと思った。


 ひっそり静まったコンクリートの歩道を街灯だけが部分的に照らし、まばらに植えられた楡の木が月光に照らされている。本当にこんな人気のない所でパーティーなどあるのだろうか?


 よそ行きの白い花柄のワンピースを着たクリスタルは鼻歌交じりに軽い足取りで二人を先導して進んだ。さっきまでの純朴な印象とは全く違った真紅の口紅が暗闇に映えている。やがて苔むした石柱を擁した厳かな神殿のような二階建の建物が目の前に現れ、クリスタルは足を止めた。歴史を感じるゴシック調の建物の入り口には大

きなギリシャ文字が三つ並んでいる。


「ここがフラタニティと呼ばれる寮よ」とクリスタルが説明を始めた。


 フラタニティとは元々は家柄の良い大学生の福祉活動団体だったものの、現代では裕福な家の生徒が乱痴気騒ぎやパーティーを行う場所として知られるようになったらしい。多くのメンバーは権力のある親を持ち、この団体にいる事が免罪符になる事もあるようだ。


エドウィンはクリスタルからその事を聞くと自分の大学のイベントサークルの連中の事が頭に浮かび、虫酸が走った。


 カズマが先陣を切ってその重厚な扉を開けると、充満していた室内の騒音が一斉に三人の耳を襲った。ずっしりと重く響くヒップホップのビートと学生たちの叫び声が溶け合って由緒正しい建物に醜く響き渡っている。一階のロビーだけでも五十人はいそうな白人学生の戯れる様子が目前に広がった。 


 エドウィンは落ち着かない素振りで自分のリネンシャツの袖を捲ったり伸ばしたり、挙動不審な動作を繰り返す。クリスタルはその様子を見ると、落ち着かせるように彼の肩を軽く叩いた。


 カズマは白人の集まるロビーの中央まで我が物顔に歩を進めると、突如として雄叫びをあげた。踊っていた連中が一瞬止まり、注目を集める。この男はきっと「羞恥心」というものを日本に置いてきたのだろうーカズマの後ろを歩いていたエドウィンは代わりに頬を染めた。


 そのロビーは広く、まるで高級ホテルのようでさえある。中央にある大きな木製のテーブルは酔いしれた学生たちの舞台と化しており、その周りの十人掛けのソファは酒と土足の跡で無惨な状態だ。


二階からは四つ打ちのビートが聴こえる。どうやらこの寮にある様々な部屋で同時多発パーティーが行われているようだ。二階に続く大階段の踊り場では男女四人組が寝そべりながら談笑している。階段の手すりには大きなスピーカーがロープで巻き付けられ、流行りのヒップホップのビートが割れんばかりの振動を階下に伝えている。


 エドウィンは偏頭痛にこめかみを抑えながら辺りを見回した。尻を激しく振りながら踊る女子大生と、その後ろで同様に腰を揺らす男子大生―ラブソファの上でお互いの舌を絡ませているカップル―ビールジョッキにピンポン球を投げ入れて歓声をあげる男の集団―水ギセルで何かを吸っている輩たち―目の前の混沌が現実のものとして捉えられずエドウィンはただ呆然とその場に立ち尽くした。日本でも社交の場には馴染めなかったけど、これはまた異次元だ。


 一方のカズマは嬉しそうに目を細めながら音楽に体を揺らし、物色するように四方八方を見回している。クリスタルは固まったように動かないエドウィンを見て申し訳無さそうに伝えた。


「なんかすごい騒ぎね。私もびっくり。とりあえず私の友達を探しましょう」


 クリスタルはエドウィンの腕を引っ張りながらロビーを歩き始めた。後ろをついていくカズマは、テーブル上で肢体をくねらせる女たちをだらしない顔で眺め、目が合う度にウィンクしている。白人のパーティーに紛れ込んだドレッド頭の日本人は人目をひくようだ。


 ふと後ろからクリスタルを呼ぶ声がした。振り返ると女二人がこちらに手を振っている。

「シンディ!メリッサ!」

 クリスタルは黄色い声をあげ、二人の元に駆け寄りハグをした。


ブルネット髪にぱっちりした茶色い瞳のシンディは胸の谷間までスリットの入った黒のワンピース。妖艶な目をした金髪のメリッサはサイケデリック模様のワイシャツとぴったりとした綿のパンツ。


 エドウィンは自己紹介をされたものの彼女たちのどこに視線を合わせればいいのかわからず、逃げるようにカズマのほうを向いた。カズマはあまり興味なさそうに欠伸をしている。


「こちら、私の日本の従兄弟、エドウィンよ」

「ワオ、ジャパン?それはクレイジーね!」

シンディが甲高い声で続ける。

「あなたに日本人の従兄弟がいるなんて知らなかったわ。私、ずっと日本行ってみたかったの!日本のどこなの?」


 前のめりに質問攻めをしてくるシンディにエドウィンが口籠っていると、もう一人の女が間髪入れずに他の質問を投げてくる。エドウィンは助けを求めるようにもう一度カズマの方を振り返るが、既に彼の姿はなかった。

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