日本語のラブレター 2

 ……え? 私、日本に帰れるの?


「どうして……」


「それが『なぜ知っているのか』の意味ならば『調べたから』だ。そして『何故教えてくれなかったのか』の意味ならば『君を手放したくなかったから』だ。……すまない、実はかなり前から知っていたんだ」



 リヒト様は気まずそうに私から視線を逸らした。



 どうして、とは言ったものの……私は帰る方法が分かれば日本に帰りたいのだろうか?


 リヒト様がその方法を教えてくれていたとして、私は……その方法を使って帰っただろうか?


 日本で過ごした生活、得た知識、良いとは言い難い家庭環境。

 ――私は、もう一度あの中に帰りたい?


 ……ううん。私は、この世界でリヒト様と一緒にいたい。



 私を手放したくないから教えなかったと言ったリヒト様は……一体どれだけの期間、一人で不安な気持ちを抱えていたのだろうか。

 今だって、こんなに強張った表情をして。カリオン王子の前ではあんなに自信に溢れた表情をしていたのに。



「謝らないでください。私、きっと帰り方を知っても帰りませんでしたから」



 リヒト様の感じる罪悪感を軽くしてあげたくて、出来るだけ優しく、なんでもない事のように返事をする。

 それに、これは本当の事だ。私はリヒト様が好きで、ずっと一緒にいたいと思っている。



「使用人のマリー経由で君の身の上をかなり調べさせて……きっとそう言ってくれるだろうと思って隠したのもあるんだ。でも、本当の気持ちはキラ自身にしか分からない。帰れるものなら帰りたいと言われるのが……恐ろしかった」



 ……ああ、だからある時を境にマリーちゃんが私の身の上を詳しく聞きたがるようになったんだ。

 確かに私はマリーちゃん相手だったからこそ包み隠さず、日本で家庭環境が悪かった事まで言ってしまったのだと思う。リヒト様相手だったらそこまで重い話身の上話はしなかっただろう。



「……ちなみに。帰りませんけど、どうやって帰るのか聞いてもいいですか?」


「言えば帰るだろう。絶対に言いたくない」



 あ、聞き方を間違えた。単純な興味で帰り方を聞きたかっただけなのに、騙し討ちして帰り方を聞いた様になってしまった!



「違います、帰りませんから! 一生リヒト様の隣にいますから教えてください!」

「一生? ……本来なら、聖女召喚の儀の後。聖女占いの儀で即帰れる」



 意味がわからない。聖女占いの儀は、召喚した聖女をあの燭台の火に突っ込んで占う儀式で……



「もしかしてあの火の中に入ると帰れます?」


「……普通に入ると焼け死ぬのでやめるように。召喚した王族本人が召喚物全てを火に入れる事で元の世界へ帰れるという記述が見つかった。つまり、先ほど聖女関連の儀式を完全に否定するような流れにしておいた上、参考書や服を先に焼いてしまった為、君が元の世界に帰れる可能性は極めて低くなった」



 じゃあ私はこちらの世界に来た時に無駄な抵抗はせず、あのままカリオン王子に火に焚べられていれば良かったって事?


 いや、今となってはリヒト様と一緒にいられるこの結果になって良かったのだけど。



「……すまない。だからわざと狙って君の私物を燃やしたんだ」



 あー……なるほど。だからわざわざ化学の参考書まで焼くプランを練ったのか。あれほど勉学を大切にするリヒト様がと少々の違和感はあったのだが、私を帰したくないが故の行為だったなんて。


 ……完敗だ。別に勝負していた訳ではないけど、こんな頭の回る人に敵う訳がない。



「責めたいなら責めてもいい。しかし、先ほど『一生』と言ったな? その言葉通り、キラには一生私の隣にいてもらう。異論は認めない」



 リヒト様はそう言いながら私の体を抱き寄せて、自分の膝の上に横向きに乗せる。こんな二人きりの馬車の中でまで拘束しなくたって私は逃げないし、日本に帰る気すらないのに。


 もたれかかる様にしてリヒト様の胸に耳を当てると、二人で抱き合って夜眠ったあの頃と同じ鼓動が聞こえてくる。私はそっと目を閉じて、今までの出来事を振り返った。


 

 あの迷惑な王子(仮)……じゃなくてカリオン王子にこの世界に召喚されて。

 この先どうしよう……と途方に暮れた時もあったけど。


 化学の参考書が私を生かし、リヒト様まで繋いで……最後燃え尽きて無くなるまで私を助けてくれた。

 比喩ではなく、本当に化学の参考書が私の命を繋いでくれた。


 こんな事になるなんて、化学の参考書を作った人達や購入した当時の私が知ればどう思うだろう。


 そう考えるとなんだかおかしくなって、フッと笑ってから瞼をあげた。



「じゃあ……責めはしませんけど、責任は取ってもらいます」


「責任か。いいだろう。降格か? それとも減給か?」



 会社員じゃないんだから! というツッコミは心の中だけに留めておいて、私は服の中に隠しておいた二通の手紙のうちの一通を取り出して広げた。



「まず、リヒト様にはこれからも沢山ラブレターを書いてもらいます。日本語で」



 そしてその文面をリヒト様の方に向けて、続けた。



「嫌いだなんて言ってごめんなさい。私もずっとリヒト様を愛していますし、ずっと一緒にいます。だから……責任取って、私をお嫁さんにしてくれますか?」


「……そんな責任の取り方でいいのなら、いくらでも取ろう」



 そして二人の間の距離はゼロになる。


 久しぶりの口付けで確認するのは歯ではなくて。二人の間の愛だけだった。




 ちなみにこの数年後。


 メーティス様に想いを寄せた結果勝手極まりない行動をしたカリオン王子は、幽閉された後に廃嫡される事となった。

 爵位の高いヴァイゼ侯爵を敵に回してしまったのが痛かったらしく、メーティス様の言う通り相応の結果となったのだ。


 そしてクルークハイト伯爵領の主導で進めた活版技術と活性炭フィルターは成功を収めた。活版技術は元々成功が見えていたようなものだが、なんと鉛の除去に関しても明らかに妊婦の早産率が下がったのだ。

 この国の知識では何が何やら分からないだろうが、とにかく状況が良くなったと言うことで大喝采を浴びた。そして勉学の扱いは今よりもうんと良くなる。悪辣の統治者という名も、すっかり影をひそめた。


 そして私自身は、身の危険は少なくなったはずなのに「キラは生ける知識で私の妻で、もはや聖女どころか女神だから外に出てはならない。私以外の男の視界内に入るのは決して許さない」と……狂ったように溺愛され、相変わらず厳しく屋敷内に監禁される事となるのだが。

 当然今の私は……そんな未来の事は何も知らない。





「……そういえばこの馬車はどこに向かっているんでしょうね?」


 口付けが一旦途切れた所でリヒト様に話しかける。……キスのしすぎで唇が痛くなったのを誤魔化しているのは秘密だ。



「さあな。メーティス姉上の事だから悪いようにはしないだろう。……身を隠す目的の様だから、どうせヴァイゼ侯爵領と友好な領地のどこかだろうな」



 リヒト様はそう言いつつ大きくあくびをする。あまり寝てないのではないかと心配し問うと、なんと私がいなくなってから殆ど眠っていないらしい。



「大変! いつ着くのかも分からないし、いっそ馬車で膝枕して寝ます? いつぞやにリヒト様自身が言っていましたが睡眠は大事ですよ」



 ぽんぽんと自分の膝を叩きながら聞いてみたが。リヒト様は首を横に振った。



「いや、大丈夫だ。今日からはキラがいるからゆっくり寝られるだろうし、今はこうやって抱きしめていたいから。一秒も離したくない……」



 そうやって本当に離したくないといった風に抱きしめられて……その腕が緩んだと思ったら頬に手を添えられて深い口付けを贈られる。ずっとその繰り返しで……そろそろ私、心臓が爆発しそうなんですが!



「――リヒト様っ。お願い……ですから、そろそろ終わりにして……ください」



 合間にやっとの思いで挟み込んだ言葉で、リヒト様の静止を促す。



「……私は終わりにしたくないのだが」


「お願い……ちょっとだけ休憩させて? 目的地に着いたら、何でも好きなだけしていいから……」



 私はただ必死に中断を求めただけなのだけど。……リヒト様は崩れ去った。

 しかも器用に抱いたままの私を押し倒すようにして、しかも私の髪に顔を埋めるようにして。



「え? そんなにショックを受けるような事でした……?」


「上目遣いの涙目でそんな……。私は、本当に今日寝られるのだろうか。いや……うん。頑張ろう」



 何を頑張るというのか。

 不思議に思っているとリヒト様は顔をあげて自身の眼鏡を外す。真剣な表情のアクアグレーの瞳と視線が交わった。



「……では。その言葉通り、覚悟しておくように」



 私は……とんでもないことを言ってしまったのだとこの時やっと気がついて。

 真っ赤になって声にならない叫び声をあげる私を、リヒト様がどんな表情で見ていたのかは……言えません。どうか私だけの秘密にさせてください。

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悪辣の統治者は愛ゆえに転移聖女の全てを調べたい 雨露 みみ @amatuyumimi

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