日本語のラブレター 1

「全くメーティス姉上は……何を考えているのやら。私抜きで後始末など……いや、むしろ私はいない方がいいのか?」



 私の正面に座り、片手で眉間を押さえぶつぶつと文句を言っているリヒト様は……やはり疲労が溜まっているように見えた。



「……ごめんなさい」



 ぽつりとつぶやくように言った謝罪の言葉に反応して、リヒト様は私と視線を合わせる。



「ひとまず無事で良かったが……!? キラ、怪我をしているじゃないか。どこで……あいつか。カリオン王子か」



 私の首筋の怪我を見つけてしまったリヒト様は、慌ててハンカチを取り出し手渡してくれる。



「すまない、髪に隠れていて気がつくのが遅れてしまった」


「いいえ、ありがとうございます」



 お礼を述べてハンカチで血を拭う。リヒト様が「……あの王子、絶対に抹殺する」なんて恐ろしい事を悪辣の統治者という名に相応しい雰囲気を纏って言っているので、つい苦笑いになってしまった。



「ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」


「……いいや。実は私の方こそ、キラに伝え謝罪する事が沢山ある。ひょっとすると君にとってショックな事も含まれるかもしれないが……聞いてくれるだろうか」



 ◇◇◇



「まず、一番に謝りたいのは……キラの私物を燃やしてしまった事だ。服だけでなく、聖典とされし貴重な化学の参考書まで……申し訳なかった」



 リヒト様は深々と頭を下げた。服なんて存在を忘れていたに等しいし、むしろよく見つけてきたなと思った。


 化学の参考書は……大丈夫。今の私は大抵の内容は覚えてる。忘れないうちにどこかに書いて複製を作ればいい。きっと将来リヒト様の方がそれが必要になるだろうから。



「いいえ、謝らないでください。リヒト様が助けてくれなかったら……あの火に焚べられていたのは私自身だったから。それよりも、どうやって火の色を変えたのですか?」


「どうって、炎色反応だ。キラが私に教えてくれたのだが、気が付かなかったか?」



 ……あ、なるほど。

 そういえば化学の参考書の中で一番初めにリヒト様が興味を示したのが炎色反応だった。炎の中に特定の物質を入れると、その炎の色が特定の色に変わるという現象で、日本では花火なんかにその原理が使われている。



「髪の毛の時は布と木箱の間に、本と服はその内部に……青系統は銅粉、黄色は塩を混ぜ込んでおいた。ついでに本にはヴァイス伯爵領から調達してきた鉛を含んだ水を吸わせておいたおかげか、一番濃く色が出たな。実に興味深い実験だった」



 少し教えただけなのにここまで正確に色と物質を関連付けて覚えている上、それを応用しまるでマジックのように仕上げてしまうなんて……変な人と天才は紙一重だ。



「では、あれは計画的に作戦が練られたショーだったんですね」

「ショーのつもりは無かったが、まあ近いかもしれない。あの場でカリオン王子が認めて欲しかった姉上の事を大いに否定した上で、キラが今後この国で生かされるメリットを作り、更に今後聖女関連の儀式を中断させるには……ああするしか案がなかった」



 むしろその案が出てきた事に拍手を送りたい。立場が逆だったら私は思いついただろうか? 応用して物事を考える事のできるリヒト様だからこそ出来たのだろう。



「でも考えるのも、準備するのも大変でしたよね?」


「いいや? 炎色反応の案を考えたのは私だが、準備自体はトーマスがしたから。むしろ大変だったのは貴族達の説得だ」



 どうやらあの時リヒト様の周囲にいた見物人の貴族達は……その殆どが水質汚染に悩む地域の領主達だったらしい。


 まず前提条件として、聖女占いの儀には証拠人として複数の人物の立ち合いが必須。その為まずリヒト様はその証拠人の選定者を買収した。

 そして水害汚染に悩む地域の領主達に限定して選定させ……全員に活版技術と活性炭フィルターをセットで売り込んだらしい。しかも今度はこれが「聖女が持ち込んだ技術だ」と情報を上乗せして。


 更に、メーティス様を通してヴァイゼ侯爵にも事情を説明。聖女が持ち込んだ技術であると知らなかった彼も、妻であるメーティス様の説明に納得し「ならば聖女をみすみす殺してしまうのは惜しい」と協力を買って出てくれた。

 そして他の領主達の説得にも手を貸してくれた上に、逃走経路の確保まで……。更に、先ほどのメーティス様の発言からすると、この後の後始末まで引き受けてくれるらしい。



 ……リヒト様が『聖女の知識に従い進める領地改革は、取りやめた方が良いかどうか』と占ったのは、その貴族達へのパフォーマンスだったんだ。



「面倒だから炎色反応については全く説明していないが、まぁ皆納得したから良いだろう。ちなみに、最後にキラを受け止めた屈強な男性がヴァイゼ侯爵だ」



 私が下敷きにしちゃった人が、まさかのメーティス様の旦那様!?


 胸板の厚いヴァイゼ侯爵は、その義侠心まで厚かったというわけだ。



「ごめんなさい……そんな大恩人を下敷きにしたなんて」


「むしろヴァイゼ侯爵で良かった。他の人間だったなら怪我をさせたかもしれない。本人もそう言っていただろう」



 まぁ確かにそう言われればそうかもしれないけど。


 ……ヴァイゼ侯爵は、私に期待していると言ってくれた。ならば私は自分が持つ知識を使って、今後精一杯恩返ししていこう。助けてもらったお礼として。



 私がカリオン王子に付いてクルークハイト伯爵領を出てからの、なんとなくの流れは理解できた。


 しかし。……ここまでで私にとってショックになり得るものは、化学の参考書のみ。



「……あの、特に私にとってショックな事柄が含まれていないのですが」


「それは今からだ。……私は、キラが元の世界に帰る方法を、知っている」

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