第3話 大学日本拳法の意味と意義
彼女たちの戦い方というのは、絶対に勝つという信念で前へ出て戦っている。
といっても、得点を挙げるとか相手に勝つとか優勝するという意識など「勝負はじめ」の主審の声と共に消え失せ、目の前の敵という「鏡に映った自分」と真剣勝負をしているかのようだ。
鎌倉に住んでいたとき、深夜火の玉が2つ組んずほぐれつしながら「戦っている」のを数分間目撃したことがありますが、それを思い出しました。
彼女たち2人は、激しい突きや蹴り、投げの応酬をしているように見えながら、魂で戦っているのです。
1944年、ヒットラーはこう言ったそうです。
「この戦いには勝者も敗者もない。死ぬ者と生き残る者がいるだけだ。」(落合信彦「20世紀最後の真実」)と。
これは、ドイツ軍が数百万人もの犠牲者を出しながら戦った欧州戦線の裏で極秘に進められていた「50万人のゲルマン民族を新しいドイツへ移住させる作戦」のことを述べている(と、私は思っています)。
そして、この言葉を哲学的にとらえれば、大学日本拳法における彼女たちの戦いとは、まさに「勝ち負けではない。自分たちの生存を掛けた」ともいえる、壮絶な戦いでした。
ここが大学日本拳法と警視庁や自衛隊の格闘技拳法と違う点です。
大学日本拳法とは、あくまでも3(2)分間、必死になって「殺し合い」に、精神的に没頭することで、絶対の境地に至ろうとする、「道を求める戦い」です。
一方、警視庁や自衛隊というのは、そんな魂とか精神的なんて考えていたら、本当に殺されてしまう。小手先の技術を弄しようが、試合の駆け引きの為に反則ギリギリのところでずるをしようがかまわない。何が何でも勝つことにこそ、彼らがそれぞれの商売としてやる意味があるのです。
ですから、そんな小手先の技術とか試合の駆け引きなどを大学生が教わったり指導してもらっても、本来の大学日本拳法の主旨からすれば、意味が無いというか、有害とさえいえるのです。ガッツと根性、気迫と気魂で戦う、そのプロセスに熱中することこそ、大学日本拳法としての意味と意義があるのですから。
2023年 第68回全日本学生拳法選手権大会における女子の決勝戦の時、天井桟敷から試合コートに向かって強力な声援を送っていらした女性は、選手たちに小手先の技術を伝えていたのではなく、彼女の持つ激しい気魂、ガッツと根性を、それにふさわしい音聲に乗せて伝えていたのです。
一本というポイントや試合の勝ち負けということ以上に、選手たちの持つ気力と(肉体のもつ)体力を出し切るための後押しをしていた。ケチャップやマヨネーズで、チューブに詰まった最後の一滴まで絞りきる手助けを、30メートルも離れた所から強力な音聲に乗せたスピリット(気魂)で行なっていたのです。
2024年2月29日
V.2.1
2024年3月1日
V.3.1
平栗雅人
個人的大学日本拳法の功罪 V.3.2 @MasatoHiraguri
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