第3話

「美遊ー!夕飯出来たよー!」

「いま行くー」

 階下から聞こえる母親の呼び声に返事をする。

 結局、母の精神を魔法でどうこうする事はやめにした。何かこう越えちゃいけない一線がある様な気もしたし、私達は親子だけれど別種の生き物で分かり合えなくて当然なのだという気持ちもある。なんか色々言葉にしたけれど一番近い感覚はなんとなくだ。

 私はなんとなくそうしなかった。ただそれだけの事。

 自室で視聴していた動画を一時停止して部屋を出る。

 地球上に魔大陸が出現して以降、文化の種類は大幅に増えた。さっきまで観ていた動画『恋の必殺3分クッキング』もその一つ、魔界放送協会が提供しているらしいこの動画シリーズ、表面上は料理番組の体をなしているものの、その実態は媚薬作りと言っても過言ではない。

 なにしろ動画のサブタイトルが『シャルロッテお姉さん直伝!気になる相手を即堕ちさせる珠玉のレシピを大公開!』なのだ。これで意識していないとシラを切るのは無理があるだろう。

 魔大陸の放送倫理は既に陥落済みなのかもしれない。

 動画で観たレシピを試してみたい気持ちもちょっとだけあるが、今はまだ自分の体液を料理に混ぜる事への抵抗感が勝る美遊である。母乳って、ひょっとして自分達の種族は妊娠してなくとも出せる体質だったりするのだろうか?興味に駆られて自らの豊満な胸に手をかけて……やめた。もしなにかの間違いで出てしまったら後片付けが悲惨なことになる。時間のある時にお風呂場でやろうと考え直して、美遊は夕飯を求めてリビングへと移動した。


「あれ?お父さんがまだ帰って来てないの珍しいね?」

 リビングを見まわした美遊が声を上げた。

 黒崎家の夕飯は午後7時、一般的な時間帯に家族3人揃って食卓を囲むのがいつもの光景だ。普段であれば定時後に即帰宅、6時前には自宅に辿り着いているはずの父:英俊の姿が見当たらないのは純粋に珍しい。

「急なお仕事が入ったから遅れるって、冷めるといけないから先に食べちゃいましょ」

「いただきます」

 手を合わせて祈りを捧げる。何にと訊かれるとあまりにも混然としていて定まらないのだが、強いて言うならば自らの糧となる食材やそれを用意する人々に対してだろう。

 初めのうちは訳も分からず父や母の真似をして行っていたそれだが、理由を聞いてから美遊は意識的に行うようになった。習慣として彼女の中に根付いたそれは友人と帰宅途中の外食の席ですら遺憾無く発揮され、その場に居合わせた無関係な周囲の人々を困惑させることが度々ある……あった。

 美遊自身の美貌も相まってその洗練された所作が人々を惹き付けるのだろう。モデルの仕事に興味はありませんか?だの、君は一番輝くアイドルになれる!だの、お付き合いを前提に結婚してください!だの……思い出すのも億劫になるほど色々な事を言われた記憶がある。

 その度に美遊は余りにあっさりとそれらの誘いを断るものだから居合わせた友人に心配される事もそれなりにあった。

 一番酷かったのは同期に数人はいるであろうアイドル志望の子と居合わせた時だった。

 圧倒的に輝く原石のスカウトに失敗し崩れ落ちる事務所の人。目の前で夢への道が閉ざされ悲嘆に暮れるクラスメイト。そんな二人などどこ吹く風とばかりに数量限定のスイーツに舌鼓を打つ美遊。

 その光景は中々の地獄絵図だった。


 夕飯を終えて片付けをしてリビングでゆったりとした時間を過ごす。もうじき8時を迎える頃だが父が帰ってくる様子はない。少々心配になった美遊は母に尋ねる事にした。

「ところでお父さんの急なお仕事って?」

 資金繰りを心配する必要のない黒崎家においてわざわざ余計な仕事を抱え込んで残業するというのは考えにくい。英俊はいつだって家庭を最優先する人なのだ。それはそれでどうかと思う時も多少はあるのだけれど。

「副業の方よ。本家の人の手が空いてないからって駆り出されたみたい」

「それなら納得。危ない目にあってないと良いのだけれど……」

「それは無理な相談じゃないかしら?黒峰だもの……」

「……そうだね」

 父に向けた心配は明後日の方向へと向きを変えた。進んだ先が心配であることに変わりは無いのだけれど。

 黒峰。母:夢花の父系の家であり、父:英俊の家系図を遡ると戦国時代あたりでこちらもその血筋に合流する。武を持って成り上がったその家系は現代にあって今なお広大な土地とそれに付随する財力を有している。というのが表向きの説明、その実態は魔性や神性と呼ばれる者達がまだ人の近くにあった頃、それらに対抗するために集まった武力集団である。

 つまるところ、魔性の血筋である夢花も美遊も黒峰の監視対象なのだ。その割には英俊が二人に向ける視線は愛と呼んで差し支えないものなのだが。彼が言うには「黒崎の血筋は魔性に惹かれやすい。僕のご先祖様、黒峰から黒崎になった最初の人が魔性と縁を結んで出来上がったのが黒崎家の始まりだそうだ。だからまあ、あるべき所に落ち着いたと言うべきなのかな?僕は今、満たされている様な感じがしてとても幸せなんだ」という事らしい。

 ちなみに、その言葉を語ったのは英俊から夢花へのプロポーズの直後で、さらには夢花が秘密にしていた血筋の暴露への返答だったのだから堪らない。ラブラブもラブラブ、お似合い夫婦のまま現在に至る。その割に娘が美遊1人というのは奇妙な気がしなくもないが。


 どうにもならない心配をしていても仕方がないと美遊は先にお風呂を済ませる事にした。

 入浴中、頭の片隅に残っていた自分の母乳が出るかどうかが気になった彼女は湯船の中で激しく後悔する事となる。出てしまったのだ。自分が予想していたよりもはるかに多くの量が浴槽の中に。

 白色系の入浴剤が家に残っていたことに感謝して美遊はその場を後にした。

 きっと大丈夫、牛乳風呂とかあるじゃん。


 その夜、両親の部屋から聞こえる物音がいつもより激しかったのは気のせいだろう。

 翌朝の父が少しばかりやつれていたのも私のせいではないと思いたい。


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過去の放送回はこちらからどうぞ:恋の必殺3分クッキング  https://kakuyomu.jp/works/16818093075709619535/episodes/16818093075709673646

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