第2話

「……ゔぉえ」

 路地裏に展開されたその光景を見て、男は反射的に嘔吐してしまった。

 矜持か職業意識かは分からないが平静を取り繕うとしたおかげで自身の制服を汚してしまったことに自己嫌悪する。

 職業柄、仏様になった人間を見たことは幾度となくある。

 そんな彼でさえ耐え難いほどに目の前の光景は凄惨なものだった。

 主要な臓器を一突きで穿たれた遺体、首と胴を切り離された遺体、そして……銃を握りしめたまま斬り落とされ散乱する腕。

 この国はいつから戦国乱世に巻き戻ったのか、仮初なれど平和ではなかったのか、怒りとも戸惑いともつかない感情が男の胸中を往来する。

 ただ一つだけ救いがあるとするならば、被害者のいずれもが堅気の人間ではなかった事だろうか。当然、それでこの行いが正当化される様なものではないのだが。

「新入り、きつかったら離れてていいぞ」

 先輩に当たる白髪混じりの壮年の男性がそう口にする。

「もう5年目……ですよ、いい加減新入り扱い……やめて下さい」

 男は長々と続く新入り扱いに反抗の意志を見せるが、かろうじで口だけが動いているような状態だった。

「無理せず離れとけ。停止線の構築と黒峰に連絡、出来るな?」

 未だに震えの収まらない男の肩を掴んで反転させ、表通りの方へと追いやる。

 事件現場は入り組んだ裏通りの突き当たりであり、何も知らない他人がこの惨状を見る可能性は低いが、それでも停止線は必要だろう。

 うんざりとした気分で周囲を警戒しつつ現場の状況把握に努める壮年の男、だがそれも呼び出した黒峰に事態を引き継ぐまでの辛抱だ。

 彼はもう一度周囲の惨状を見回して思う。

 こんなモノが人の仕業であってたまるものか。




 一方その頃。

「……あれ?」

 黒崎美遊は他でもない自身の置かれている状況に困惑していた。

 つい先程まで理由も分からず自身のペンダントを狙う連中とわりと命懸けの追いかけっこをしていたはずである。

 どうして私は自宅の前にいるのか?

 周囲を見回してもあれだけの数を揃えて必死になって追いかけてきていたはずの追手は一人として見当たらない。

 市街地の裏通りの袋小路で、無数の銃口が私に狙いを定めていたはずなのに。

 どうやって私はあの状況を切り抜けたのか?

「……まさか」

 瞬間、彼女の脳裏に最悪の想像がよぎる。

 慌てて胸の谷間に手を突っ込むと心配していたそれは自身の予想に反してあっさりと見つかった。

 妙な連中に追いかけられる原因でもあった、肌身離さず持っているようにと言われたペンダント。

「……じゃあ、どうして?」

 腑に落ちないものを抱えながら首を傾げたまま自宅の庭に続く門を開ける。

「ただいまー」

 帰宅を告げるその言葉は彼女の心境を映すように曇っていた。


 黒崎家は東京都心にある庭付き一戸建てだ。

 美遊とその両親、3人暮らしにはちょっと広い4LDKの一軒家。普通と言っては失礼だが高給取りでもないサラリーマンの父と、美人ではあるがモデルなどではなく専業主婦の母、そして二人の娘で学生の美遊。どう考えてもこんな立派な家を持てるような家族構成ではない。どうやら聞く所によると母:夢花の実家が用立ててくれたらしい。なんと驚きの家賃0円生活である。

 そんな余裕たっぷりの生活を送っているものだから帰宅した美遊の様子が浮かない事を母親である夢花はすぐに察した。

「おかえり、美遊。何か悩んでるみたいだけどどうしたの?ひょっとして、美遊があまりに可愛いから学校のみんなに群がられて身動き取れなくて困ってるとか?」

 心配してくれるのはありがたいのだが、なんというかおかしな発想をする母親である。実際、夢花自身も経産婦でありながら街を歩けば周囲の視線を集めてやまない美人であり、その彼女が可愛いと称する美遊もどうして芸能界に席を置いていないのかと疑問視されるほどの美少女である事は間違い無いのだが、いくらなんでもその想像は無理があるだろう。

 まあ、先程まで多数の不審人物に追いかけ回されていたというのを群がられていたと捉えればあながち間違いでも無いのだが。

「ただいま。私も美人だっていう自覚はあるけど、流石にその想像は無茶苦茶じゃない?」

「根拠がないわけじゃないのよ。美遊からたくさんの男の人の匂いがするもの」

 母の指摘に思わず自身の体臭を確認してしまう。

 ……大丈夫、たくさん走ったけどそういう匂いはしてない、はず。

「ひょっとして汗臭い?」

「そういう匂いじゃなくて、女の勘に引っ掛かるような?美遊の事だから心配はしてないけど、そういうのはまだ早いとお母さんは思うな」

 堪えきれずに吹き出した。

 母親は完全に何かを誤解している。年頃の娘だしそういうことに興味がないとは言わないけれど、さすがに学校の帰り道で一発、それも初物をやるほどふしだらではない。

「……違うから!まだ未開通だから!」

「大丈夫、お父さんには内緒にしておくから。でも、念のためおばあちゃんには相談しておきましょ」

 必死になって否定するのが逆効果みたいで、どんどんと明後日の方向に話を進めていく母親。その分かってるようで一切分かっていない態度に語気が強くなってしまう。

「だから違うって言ってるでしょ!」

「……本当に違うの?お腹空いて我慢できずにとかでも大丈夫よ。……お母さんは全部受け入れる準備ができてるわ」

 ああ、本当にこの母親は。

 自分の娘に自身にないものがある事を酷く恐れている。そして、その恐れをどうにかして飲み込もうと努力している。その気持ちは嬉しい。けど、善意だからといってそれを向けられた人が傷つかないわけじゃない。

「それ以上はさすがに怒るよ?」

 分かってもらえないならば分からせるしかない。たとえそれが、実の母親であっても。

 美遊は普段隠している角や翼、尻尾を露わにする。魔法を扱うならこちらの姿の方が都合が良い。これらが生えてきたのは中学生の頃、朝起きたら突然変化していた自分の容姿にも驚いたが、それ以上に驚いたのは娘の姿が突然変化したにも関わらず平然と受け入れる母の態度だった。

 聞く所によると夢花の母、美遊の祖母にあたる人物がサキュバスとか淫魔とか夢魔とか呼ばれる種族らしい。そして、ハーフである母の夢花よりもクォーターの美遊にその影響が強く出ているようだ。

 さすがに当時はこの姿で外には出られないと学校を休んで引きこもっていたのだが、その様子を心配した母親が祖母に話を繋いでくれてそれらの隠し方を教えてくれたのだ。ビデオ通話で。ああ、素晴らしきかな文明社会。だけど、おばあちゃんの外見年齢が母親と大して変わらないように見える程若々しかったのはちょっとだけ怖かった。

 私が角や翼、尻尾の隠し方を覚えるとおばあちゃんはさらに色々な話をしてくれた。私たち種族のこと、魔法のこと、そして……こちらで生活するのが難しければおばあちゃんの家:クローディア家で私の面倒を見ること。

 あの時私は『まだよく分からないから』と回答を保留にしたんだけど、いま思えばやはりおばあちゃんの家に引き取って貰えばよかったのかもしれない。実の母でさえ私を正しく理解しているとは言えなかったから。

 たとえ心の内で逡巡を重ねていようと、傍から見たその姿は確かに化け物と言って差し支えないものだった。




ーーーーー作者からのお知らせーーーーー

このお話は拙作『いずれ空へと続く道』のエンディング後の要素を含みます。

もし仮に読んでいなかったとしても楽しめるようになっていますが、読んでいただけるとより一層お楽しみいただける事でしょう。


それでは、次回の更新までいましばらくお待ちください。

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