第40話

 真理亜は、ひとときの休息をとった後、堺市庁舎の屋上、ヘリポートに立って、オスプレイの到着を待っていた。

 空の一角からけたたましい音とともに一機のオスプレイが現れ、それは真理亜の立つ前に降下してきた。

「よろしく、お願いします」

 真理亜がそう言うと、中から操縦士と産婦人科医の女医が出てきた。

「操縦士の……、あっ!」操縦士が真理亜を見て声をあげた。

「あー、あなたは! 生きてたんですね! あのとき、てっきり死んだものと……」真理亜も驚いて言った。

 操縦士の自衛官として現れたのは、かつて東西新聞社で真理亜や後藤を乗せてヘリを操縦していた男だったからだ。

「木更津沖を漂流物につかまって浮かんでいるところを、自衛隊に救助されたんです。でも、後藤さんの姿は、今も見つかってません」操縦士が言った。

「そうだったの……」

「あ、でも、編集長は生きてますよ。あの人、千葉にあるローカル新聞社で編集の仕事をやってますよ」

「そうだったの!」

「中島さんのアメリカでのご雄姿は、テレビで拝見させていただいてました」

「ちょっとー! やめてよね」

「それで、今回、私が大戸島に何度か行った経験があるということで、この任務を仰せつかったという訳なんです」

「いつから自衛官に?」

「東京消失の後、自衛隊に救助されたのがきっかけで……。もともとヘリの免許も持ってましたので」

「そうだったの」

「じゃあ、行きましょうか。三度の大戸島へ」

 三人を乗せたオスプレイは、大阪の空へと舞い上がり、一路、大戸島を目指して飛んで行った。


 中国政府と日本政府は、共同で世界へ情報発信をした。

「本日、日本および中国政府は、共同で記者会見を開き、香港に占拠しているテロリストについての詳細な情報を発表しました」「それによりますと……」

 この発表を、真理亜は大戸島に向かう自衛隊の大型ヘリの中で聞いていた。


 この報道を、大戸島にいる芹澤夫妻もラジオで聞いていた。

「希望が……。香港に……。何てことだ!」芹澤教授がつぶやいた。「畜生……。畜生……。あいつら……。許せない」芹澤教授の中から、娘を連れ去ったワンたちへの怒りが込み上げてきた。

「あなた……」妻の朱里の顔色からも血の気が引いて言った。

 すると、芹沢昭彦の背中は、青白く光り始めた。ほぼ同時に、妻の朱里の背中もピンク色に光り始めた。

「おい、紙、何か書くものを」芹澤教授が言った。

 彼は、何を考えたか、震える手で何かをそこに書きなぐり始めた。既に二人の背中は激しく光っており、メタモルフォーゼが始まりかけていた。

 そのとき、玄関を叩く音がした。

「大変だ―! 芹澤さーん、娘さんは香港に……」そう言いながら、家の中へ入って来たその島民は、夫妻の背中が光り始めているのを見た。

「芹澤さ……。ウワーッ!」


「和磨さんからのメールだ!」俊作が言った。「全ての情報が開示されたみたいです。こっちにも、全真相の情報が送られて来てる!」「ただし、芹澤希望に関しては、主犯ではなく、あくまでも拉致被害者として報道されている、となってます」

「……で、突入は?」村田が俊作に尋ねた。

「現在、アメリカが太宇の撃墜を試みているので、それの成功とともに、空と海中から突入するそうです。俺たちには、突入部隊の案内をお願いするとのことですよ」俊作が説明した。

「案内?」真太が俊作に聞いた。

「ウイグル人たちが収容されている部屋とか、希望ちゃんの居場所とか、ワンたちのいる指令室とかじゃないのですか」

「了解。いよいよだな」真太が言った。


 香港は、未だに混乱を極めていた。

 太宇の墜落予測時間が一時間半を切っても、まだ香港市民の半分も退避できてはいなかった。香港に通じている道は、人で埋め尽くされており、怒号と悲鳴がそれを覆っていた。上空には、例によって、報道各社のヘリコプターが舞っていた。

 ネオ・クーロンを取り囲んでいた群衆は、もういなくなっていた。彼らも逃げなくてはならなかったからだ。ただし、ネオ・クーロン内にいるテロリストと彼らに拉致されている人間たちは、まだそこに留まっていた。テロリストは、太宇の墜落情報を政府による陽動作戦だとかたくなに信じていたからだ。


 ハーは、スイスにある彼らの銀行口座をチェックしていた。そろそろ、彼らが世界中のテロリストとの契約した金が口座に振り込まれているはずだったからだ。

「どうだ?」ジャオがハーの部屋にやって来て聞いた。

「先日のチベットと内モンゴルの連中の金がまだ振り込まれてない。昨日が期限だったんだけどな」ハーが答えた。

「そうか。もう一度、やつらに会って督促するか?」

「ああ、そうだな」

「入金が確認できるまでは、物は渡せないからな」

 二人は、来客が宿泊している部屋へと向かうため、まず、鍵のぶら下げてあるキーロッカーのある倉庫を鍵で開け、そこにあるキーロッカーを、別の鍵で開けた。鍵は、幾重にも厳重に保管されていた。しかし、最後に開けたキーロッカーにあるはずの、客室用の鍵だけは持ち去られていた。

「おかしい!」ハーが言った。

「どうした?」ジャオがハーに聞いた。

「世界中からやって来たテロリストたちを宿泊させている部屋の鍵が全て無くなっている」

「何だと! 彼らとの連絡はできてるのか?」

「今、やってみる」うろたえ始めたハー。

 ハーは、自室に戻り、閉じ込められている彼らの連絡先に電話をかけてみた。しかし、いくつかのものは通信不能に陥っており、いくつかのものは返答が無かった。また、いくつかからは、「開けてくれ! 助けてくれ!」というような、救助を求める声があった。

 二人は、急ぎ、彼らの部屋にかけつけた。しかし、鍵のかけられたままの部屋を前に、どうすることもできなかった。

 太宇の香港墜落まで、あと一時間を切っていた。


 ジャオとハーは、指令室にいるワンと希望のところに飛び込んで来た。

「ワン先生、大変です! テロリストたちの宿泊している客室の鍵が、何者かによって全て持ち去られています!」ハーが言った。

「……」ワンも希望も、その言葉を聞いても黙っていた。

「あの……、客室の鍵が盗まれて、彼らとの連絡もつきません! 助けてくれとか言ってる返信もあって……」ジャオがそう言いかけると、希望が無表情で言った。

「あの鍵は、もう無い」

「無い……、とは?」ジャオが聞いた。

「全て捨てた。もう必要無いものだ」希望が答えた。

「必要無い? ……どういうことですか?」ハーが聞いた。

「あと一時間足らずで、太宇がここに墜落する。墜落すれば、閉じ込めてある世界中のテロリストたちとともに、お前らも、白御神乱も、そのデータも、……そして、もちろん私たちも、全ては無に帰するのだ」希望が淡々と説明した」

「いや、太宇の落下は……、あれは中国政府と日本政府による我々への陽動であって……」ハーが言った。

「いや、あれは我々が仕組んだものだ。太宇の打ち上げの前から仕込んであった」ワンが言った。

「何だと!」ジャオが言った。

「太宇には、追尾システムが埋め込まれている。この建物から発せられているある周波数を追尾して激突するようにプログラムされている。そして、その発信機も既に海に捨ててある、もはや元に戻すことはできない」ワンが言った。

「何てことを……! 今まで俺たちを騙していたのか!」ハー激怒して言った。

「そうよ。私たちと一緒に死んでもらうわ」希望が言った。

「太宇にアクセスして、白御神乱をスリープモードにロックしたのもお前たちか?」ハーが聞いた。

「いや、それは違う。ここに潜り込んでいる諜報部員あたりが仕組んだことだろう。しかし、彼らをもってしても、太宇のサーバ本体に入り込むことはできない」ワンが言った。


「ドガーン!」

 夜、大戸島にある芹澤宅の一部が大きな音とともに内側から打ち破られ、二体の御神乱が飛び出して来た。

 二体は南に面した海岸へと向かい、海に入って行った。空には、煌々と満月が二体を照らしていた。


 その翌朝、大戸島に一機のオスプレイが降り立った。砂浜に着陸したヘリの中から出てきたのは、真理亜だった。真理亜にとって、三度目の大戸島だった。

「じゃ、私はここで待ってますので……」操縦者がそう言った。

「ええ、お願い」

 海岸から丘の方へと登っていく真理亜。丘の上、そこは、かつて笑子の働いていた役場のあったところだった。今は、大戸島の悲劇を後世に残すための碑の刻まれた広場になっていた。広場を円形状に取り囲むモノリスのような石碑たち。そのピカピカに研磨された大理石の石板には、三島笑子や須磨子他、大戸島で亡くなったおびただしい数の人たちの名前が刻まれていた。

 真理亜は、広場に至る階段を登って来た。そして、あたりを見回して言った。

「今、こんなふうになってるんだ」

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