第32話

 真太たちの監禁されている房に希望が現れた。

「お前の妻は妊娠しているのか?」希望がぶっきらぼうに真太に聞いた。

「ああ、そうだが……。まさか! 具合が良くないのか?」希望に尋ねる真太。

 しかし、その質問を無視して希望は行ってしまった。

「お、おい! どうなんだ? ……おい!」


 シーワンのSNSが更新された。

「チェン国家主席は、今どこにいると思う?」

「何と、ウイグルのカシュガルよ。そこで、民衆と対話をしていたの。それは何時間にも及んだわ」

「これがそのときの映像よ」

「結果、現在では、カシュガルは平穏な都市にもどったわ」

「チェン国家主席は、いずれ、あなたの住んでいる街にも現れるかもね」


 その夜、中国のメディアが報道した。

「今日の昼過ぎ、チェン・ハオラン国家主席を乗せたヘリコプターがウイグルの首都カシュガルに降り立ちました。これは、そのときの映像ですが、チェン主席はその後、夕刻までの約四時間、人民との会話を繰り広げていた模様で、このことによって、カシュガルおよびウイグルの各地で起きていたデモや暴動は鎮静化の方向に向かい、現在では、市街地は静けさを取り戻しています」

「次のニュースです。本日、日本の自衛隊が北京に入り、行方不明者の操作および避難民への炊き出し等の支援を行いました」


「チェン主席、お願いです。私をリズワンのところに一緒に連れて行ってくれませんか?」

 カシュガルの収監施設の屋上、アディルがチェンに頼んだ。

「分かったわ。じゃあ、とにかく乗って」

 アディルを乗せたチェンの軍用ヘリがカシュガルから飛びたった。


 希望は、真理亜の収監されている房へとやって来た。そうして、持って来た鍵で房の扉を開けた。三人の目がそこに立っていた希望に注がれた。真理亜は、相変わらず苦しそうにえずいていた。

「お前、妊娠しているそうだな?」希望がそう言った。

「……」無言の真理亜。ただ、希望を睨みつけていた。

「出ろ。少し私に付き合え」

 希望はそう言うと、真理亜を連れ出して房から出て行った。マギーとサンディは顔を見合わせていた。


 サオの一行は、上海にある共産党本部を襲った。サオは、幹部職員を縛り上げて詰問し、公安本部長の居場所を聞き出した。

 次いで、彼らは、聞き出した同じ上海市内にある公安本部の事務所を襲った。はたして、そこにズーはいた。職員を縛り上げたサオの一向は、ズーにチェンの動向について根掘り葉掘り聞いた後、最後に聞いた。

「諜報部のリウ、リアン、そして日本の諜報員の津村。それともう一人、ここから中国人が同行しているな。何者だ? 言え!」

「リー・シュングァンよ。でも、何者なのかは私も知らないわ」

「諜報部のお前でさえ知らない人物だというのか?」

「知らないものは知らないわ。ただ、ホワイトハッカーらしいということぐらいしか……」

「そっち系か……」


真理亜は、希望の部屋にいた。

「苦しいのか?」希望が真理亜に聞いた。「妊娠すると、どんどん苦しくなるのか?」

「何てことないわ。だって、愛する人との大切な命を宿しているんですもの」真理亜が答えた。

「そうか。……そうだろうな」

「もしかしたら……、あなたも?」

「……」それには答えようとせず、表情を変えない希望。

「ねえ、どうしてこんなひどいことをしているの?」真理亜が希望に尋ねた。

「……」

「そんなにご両親が憎いの? そんなに全人類が憎いの?」

「それについては、この前説明した通りだ」

「そうかしら? 私には、少なくともあなた方二人には、何か別の理由があるように思えるけど……」

「そんなものは無い! あのとき言ったことが全ての理由だ」

「だって、あのとき延々と聞かされたあなたたちの人生だけど、あれって、何か遺言のように聞こえたのよね。何をしでかすのかは知らないけど、あなたたち、死ぬつもりなんでしょ?」

「……」

「でも、最近になって、あなたは悩み始めている。なぜなら、あなたはワンの子どもを身ごもったからよ。子どもの命は救いたい。でも、自分が死んだら、それはかなわなくなる。違う?」

「……」

「そのことをワンは何と言ってるの? そもそも、あなたが妊娠していることをワンは知ってるの?」

「ワンは……、ワンは自分の死に場所を探すことに一生懸命なだけだ」

「やっぱり」

「ワンは、今でもシーハンのことが忘れられないでいる。彼女が群衆の前で殺されたとき、彼の人生は終わったんだ。その後、ワンはずっと自分の死に場所を探している。でも、私はワンのことを愛している。この愛は本物だ。でも、ワンの中には、未だにシーハンがいる。彼が本当に愛しているのは、今でもホン・シーハンなんだ」そう言う希望の眼からは、次第に涙があふれていた。

「何てこと……」

「私とワンは、二人とも死に場所を求めていることでつながっているんだ。私は死ぬのは怖くはない。でも、私のお腹にいるワンの子どもは別だ。この子だけは、何としても生かしたいんだ!」希望の眼からは、涙がこぼれ落ちていた。

「希望ちゃん……! 人の親になって、初めて親のありがたみが分かるようになったのね」

「違う! 私は……、私は私の両親とは違う! 奴らのようにはなりたくはないんだ!」


 ちょうどその頃、真理亜のいなくなった房では、残されたマギーとサンディが話をしていた。

「ねえ、マギー、聞いて良い?」唐突にサンディがマギーに尋ねた。「前から気になってたんだけど、あなた、本当はメイリンじゃないわよね。あなたの方がシーハンよね?」

 そう言われたマギーは、大きく息を吸うと、はっきりこう言った。

「そうよ。私がホン・シーハンよ」

「一体どういうことなの? あなたたち、何があったの?」

 思い出をたどるように上を向いていたマギー。そして、彼女は姉妹についての話を静かにはじめた。

「私たち双子は、外では決して一緒にいてはいけないと、両親から強く言われていたの。両親がそうしたのには理由があった。香港は九〇年代からずっと、民主運動と中国政府による同化の波にさらされてきた。民主活動家であった両親もまた、その渦中にいたわ。そして、私たちが生まれたとき、父は、私たちが双子であることを伏せた。そして、何かあったときに、片方が身代りになれるようにしたの」

「そこまでの話は何となく知ってたわ」サンディが言った。

「でもね、当の私たち姉妹は、決して仲が良い訳ではなかったの。私は、地元の大学に在学していた頃から香港の英雄になっていった。ところが、妹はというと、家の中でずっと待機させられていて、そんな姉の雄姿を眺めるばかりだった。私たちの間には、小さい時からのそんな確執がずっとあったの。耐えきれなくなった妹は、アメリカの大学に留学した。そのとき、妹は、香港のスティーブ・リーさんとかあなたとか、それからウイグルの活動家のクルムさんにも出会っていたみたいだったわ。私は、ここに連れてこられるまでは、あなたにもスティーブさんにもクルムさんにも会ったことはないわ」

「やっぱり。あなたの行動や表情を見てると、そうとしか思えなかったわ」サンディが言った。

「その後、メイリンは香港に帰った来た。アメリカから帰国した妹のメイリンは、しばらくは香港の自宅にいたわ。スティーブさんが香港にいる妹にコンタクトをとったのは、おそらくこの頃だと思うわ。あなたがメイリンに連絡を取ったのも、この頃なんでしょ?」

「ええ、おそらく私が香港のあなたの自宅に電話したのも、確かその頃だったと思うわ」

「メイリンが自宅にいて、私が活動家として活躍していたある日のこと、メイリンは家族のいる前で私に言ったの。たまには入れ替わってくれないかって……。お姉ちゃんばかりいつも英雄でちやほやされてずるいって……。たまには自分にも良い気分を味あわせて欲しいって……。それで、私はメイリンに言ったの。あなたにできるのって? そうしたら、彼女は言ったわ。自分だって小さい時から民主主義や人権のことを勉強してきたし、アメリカで色んなことを学んで来た。いつ入れ替わっても良いようにって……」

「そうだったの……」

「私と両親は、メイリンの希望を受け入れた。でも、ずっとではなくて、一時的にやってみようというくらいの気持ちだったの。翌日から、メイリンは民主化運動のリーダーになって、香港の学生や運動家たちを率いていたわ。そして、代わりに私は自宅にこもった。それでもメイリンはよくやっていたと思うわ。ところが、そんな折、中国政府による民主化運動への弾圧が強まったの。メイリンは数十万の香港市民のデモを扇動していた。でも、ある日、メイリンは中国当局によって逮捕され、収監されていった」

「じゃあ、収監されていたのはメイリンの方……」サンディがつぶやいた。

「そうよ。そして、やがて、世界を御神乱ウイルスのパンデミックが襲った。メイリンは獄中で発病し、御神乱化していったわ。あとは良く知られている流れよ。メイリン香港市民数十万人の見ている前で銃殺され。そして、香港の民主化の動きは鎮静化させられていった」

「……」

「私も両親も、妹が群衆の面前で公開処刑される場面を家で見ているしかなかった。メイリンは、私の身代りとなって死んでいったのよ。私には、今でも後悔しかないわ」

「そのことをワンは知らないと……」

「ええ。本当は彼の方から気付いて欲しかったわ。でも、もうそんなことはどうでも良いの。彼はテロリストに落ちてしまった。それに……、あんな小娘に……!」悔しそうな表情を見せるマギー。

「あ、あ、それにしても、真理亜さん遅いわね。一体どこに連れて行かれたのかしらね」サンディが話題を変えようとし、そして、扉の方に向かって行った。「希望さんは、一体何を企んでいるのかしらね」

「知らないわよ。あんな小娘のやることなんて……」そんなマギーの言葉には、明らかに嫉妬と怨恨が見て取れた。

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