第27話

 ネオ・クーロン内の指令室。希望の告白は、まだ続いていた。

「東京が消えた後、アメリカと中国が大戸島に乗り込んできました。皆さん、よくご存じでしょう。目的は御神体でした。そして、多くの島民が御神乱化していく中、なぜか私の両親は、既に島から消えていました」

「消えていた?」真太が言った。

「御神乱に食べられたのか。はたまた、米軍や中国軍に殺されたのかは分かりませんが、私は既に島から逃亡していたのだと思います。私を捨てて……」

「いえ、きっとそんなことはないわ。何か事情があったのよ」真理亜が言った。

「いいや、私は捨てられたのだ! 親もついに私を見捨てたのだ。なぜなら、私は光らぬ子どもだったから……!」声を詰まらせ、涙ぐむ希望。

「米軍と中国軍の闊歩している島。御神乱となって暴れている島民たち。私は恐ろしくてキッチンの下に身を潜めていた。守ってくれる両親もいなくなっている。あれがどれほど恐ろしかったか……、お前たちには分かるまい」

「ところが、その扉を開けた人物がいた。ここにいるワンだ。ワンはなぜだか日本語ができた。後で聞いたことだが、一時期日本の大学に留学していたということだった。ワンは、背中の光っていない私を一目見るなり、事態を察したようだった。彼は私にいっしょに来いと行った。私は彼の言う通りに、連れ去られることにした。それが自身の身を守る最善の方法だと感じたからだ」


 その頃、大戸島では、既に多くの人々が帰島しており、島の復興に尽力していた。島民は、御神乱の亡骸を葬り、荒れた土地を再び耕し始めていた。漁港には、どこからともなく漁船が集められ、いくばくかの魚の取引が始められていた。かつて役場のあった場所は更地となっていて、そこには、今回の悲劇で亡くなった人々の鎮魂の碑の建設計画が持ち上がっていた。

 芹澤夫妻もまた例外ではなく、その生活を再開していた。とは言え、科学者である芹澤家は、慣れない畑仕事をしたり、華や豆類などの農作物を植えたりしながら、何とか物々交換で食べ忍んでいるような生活だった。

 彼らがここに留まっている理由は、もはや一つしかなかった。消えた希望の帰島である。彼らは、帰って来る島民を捕まえては、何か希望についての情報を持ってないかを問い詰めていた。しかし、結果は絶望的なものだった。希望が大戸島最後の日にいたことだけは分かっているのだが、その日、明らかに彼女は忽然と消えたのだ。


「中国に向かう船の中、ワンは、度々私が閉じ込められている船室を訪れた。そして、色々なことを話してくれた。彼は、留学中の大学時代に、私の父にお世話になっていたということだった。私は、この人は信用できる人だと思った。そして、自分は、今は中国の人民解放軍付きの科学者だが、根っこは民主活動家であり、訳あって仕方なしに今の境遇に身を置いているのだとも明かしてくれた。そして、もう一度、香港の民主化の為に活動したいのだと言った」

 この言葉を聞いたとき、マギーは怪訝な顔をした。

「まもなく、中国に到着するという夜半過ぎのことだった。ワン、それからここにいる何人かの人達といっしょに、私はボートを出して船から脱出したのだ」

 すると、今度は、ワンが日本語で語り始めた。

「私は、昔も今も活動家であることに変わりはない。一度は自らの夢に挫折していたのだが、希望に出会うことによって、あきらめかけていた夢を手に入れようと思ったのだ」

「私が生まれた頃の香港は、まだギリギリ中国ではなく、自由で民主的な西側諸国の一員だった。中国への返還が迫る中、多くの富裕層が外国へ亡命していった。ここにいるスティーブ・リーやサンディもそういった人間だ。当時、天安門事件による中国政府の政策転換により、既に中国国内での民主化を求める力は、政府によってそぎ落とされて、民衆のパワーは奪われていたのだが、香港には、まだそれがあった。天安門事件……。そう、私の父はそこで命を奪われた。父は、香港大学から北京大学に留学中だった。父は北京の学生たちを民主運動に導いていたとき、そこで母と出会い、母はそこで私を生んだのだ。あの日、父は戦車に惹かれて死んだが、中国人だった母は、父の家族を頼って命からがら自由の都市、香港に逃れてきたのだ」

「香港に住む父の祖父母のもとにやって来た母は、そこで私を生んだ。私は、香港では神童と呼ばれるほどの学業の天才に育って行った。大学で細菌学を専攻していた私は、一時、日本の大学に留学をした。そこで希望の父親である芹澤昭彦博士に師事した。香港に戻って復学したとき、再び香港に民主化運動の嵐が吹き荒れた。私はその真っただ中にいた。そして、そこで同じ学生運動家だったホン・シーハンと会ったのだ」

 ワンがそう言ったとき、希望がギロリとワンの方を睨んだ。

 しかし、それを無視するようにワンは話を続けた。

「学生運動は、政府によって、その内部からも崩壊させられていった。私は中国共産党に呼び出された。学生運動をやめて、私の持つ学者としての知識を中国の為に役立てるならば、父親と母親の犯罪者としての不名誉な過去を消し、彼らを復権させてやるというのだ。私は、このとき政府の権力に屈したのだった。同時に、当時の最愛の恋人だったシーハンとも別れた」

 マギーは、じっとワンの顔を睨みつけていた。希望は、ワンの顔を振り向こうともしなかった。


「何かおかしいですね」堺市庁舎内、ネオ・クーロンにいる真太のスマホから送られてくるビデオ画像を眺めていた彩子がつぶやいた。

「ああ」横にいた和磨もうなずいた。

「え? どういうことです?」美姫が聞いた。

「この人たち、どうしてこんなに自分たちのことを飯島さんたちに対して話してるのかしら?」彩子が言った。

「ああ、なるほどですね。確かに不自然ですよね」

「奴ら、おそらくスマホのビデオで撮影していることも知ってるんだと思うんだよな……」

「何か、聞いてると、自分たちの人生とか意思とか、言い残しておきたいことを、外の人間に伝えておきたいって言うのか……。例えて言うなら……、遺書?」彩子が言った。

「遺書! ?」美姫が驚いて言った。

「そうだな。何かそんな感じがするな」和磨が言った。

「じゃあ、彼等は一体何の目的の為に……?」美姫が言った。

「彼等……、というよりは、あの二人に何らかの目的があるのかもしれんな」


「我々の当初の目的は、私の身体の中にある抗体を使ってワクチンを製造し、それを販売することによって得られる利益を香港の民主化の資金源に充てようとするものだった。でも、それはすぐに変更された。ワンは天才だったの。それよりももっと凄いことに気づいたの」ネオ・クーロン指令室にいる希望が言った。

「それは、改めて私の方から説明しよう」ワンが言った。

「芹澤博士のメモは完璧だった。ワクチンは資金と製造するメーカーさえあれば、すぐにでもできうる状態になっていたんだ。しかし、私が興味を持ったのは、もう一つのこと、それは常温核融合だ。赤ウイルスと青ウイルスの罹患者が衝突することで核融合反応が起きるのであれば、同一個体内で二種のウイルスに罹患している細胞をぶつけることができたら、どうなるのかということを考えたのだ。もしかして、二種のウイルスに同時に罹患させることができたら、うまくいくのではないか。そこで、このアイデアを大学の後輩である物理学者の趙宇辰(ジャオ・ユーチェン)に言ってみた」

「私がジャオだ」ジャオが言った。

「ジャオは、俺たちのもとにやって来て白ウイルスの研究を進めた。ジャオはうまくやってくれたよ」ワンが言った。「研究の資金源は、ここにいるスティーブ・リー氏が出してくれたよ」ワンがスティーブの方を見て言った。

「私はまんまと話に乗せられたってわけだな」スティーブが悔しそうに言った。

「しかもだ。頼みにしてないのに、あなたはVRの専門家をこちらによこしてきた」ワンが言った。

「私のことかな?」椅子に座っていたハーが、くるりとこちらに向いて言った。「トニー・ハーだ。俺とリー社長とは、もともと考え方が違っていて、ことあるごとにぶつかっていたからな。どうせ厄介払いをしたかったんだろ? なあ、社長」皮肉を込めてハーが言った。

 スティーブは、ハーを悔しそうに睨み付けていた。

「資金源については、もう一人、やはりここにいる資本家のサンディ女史だ」ワンが言った。

「私もスティーブも、あなたのことを、かつて香港の民主化の為にともに闘った同志だと思っていた。一度は、あなたは中国共産党に入党して裏切ったと思ってたけど、この話を聞いたときは、やはりワンは昔と同じように高い理想を失ってはいなかったのだと思い、とても嬉しく思ったのよ。……それなのに、私たちを利用し、こんなにも愚弄して……」恨めしそうに眉にしわを寄せながら、サンディが言った。

「それもこれも、全てはより高い理想の為だ」ワンが言った。

希望による説明は続いた。

「パンデミックにより全世界が罹患した。これが私にとって何を意味するか分かるか? 全人類が罹患したと言うことは、人類にとっては、もはや私の抗体はいらなくなったということだ。またしても、私だけが光らぬ子となった。しかも、今度は全世界の中で私だけが……。今度は、全人類が私の敵となったのだ。今や、私の恨みの対象は全人類へと向けられるようになった。御神乱するのはヒトのみだ。男も女も白人も黒人も黄色人種も……。御神乱化したら、男も女も白人も黒人も関係ない。でもそれは、逆に言えば、感染しなければヒトじゃないってことだ」希望は目に涙を溜めていた。

「……そんなことない! そんなことないわよ!」真理亜が叫んだ。

「御神乱となって暴れた女が良く言うな。私はまたしても要らない存在になったのだ。そして、我々の計画もまた大きな変更を余儀なくされた。我々は、その目標をワクチンの製造という目標から白ウイルスの製造に一本化した」希望が言った。

「真理亜の降臨した日、この香港でも事件は起きた。御神乱となっていた民主化の女神マギー・ホンが群衆の前で射殺された。……ただ、既に皆は知っていると思うが、マギーは双子だ。民主化の女神と言われていたのは、姉のホン・シーハンだ。妹のメイリンの存在は、両親によって隠されていた。この秘密を知るのは、両親と彼女たちに近い、ほんの数人に限られていたようだな。マギー……、いや、ホン・メイリン」

「……」マギーは、黙ってじっと希望の顔を見ていた。

「でも、ワンにとって、この事件はもっと大きな意味を持っていたわ」希望は話を続けた。「シーハンは、ワンのかつての恋人。シーハンは、群衆の目の前で公開処刑にされた。ワンは、その日以来絶望の日々を送っていたわ」

「その話はもう良いだろう」ワンが口をはさんだ。

「そうね。それ以来、絶望していたワンの心を支えたのは、この私なのだから……」

「何ですって!」希望のその言葉に、マギーはギョッと目を見開いてつぶやいた。

「ワンの気持ちは私に向いた。私は愛するワンの夢の実現に向けて、精いっぱい支えていくことにしたわ。今や、ワンの夢を最も理解するパートナーであり、彼の唯一愛人であり、この組織を統率する総統だ」

「それで、彼女はボスとして君臨するようになっていったのか……」真太がつぶやいた。胸のビデオはオンの状態であり、ここまでの真実は全て和磨のもとに送られていった。マギーは、ワンと希望を睨み付けたままだった。

「しかし、パンデミックは、我々にメリットももたらした。それは、検体の数が増えたということだ」ワンが説明し始めた。「サンプルは増え、ここで研究を続けていたジャオは、ついに二種混合ウイルスの着床に成功した。真理亜が降臨した後のことだ。これによって、我々は白御神乱の製造に成功した。さらにジャオは、被験者の体内で核融合反応を起こさせることに成功したんだ。これには、ハーのVR技術が大きく関わっている」

「額に付けて操作している装置だな」真太が言った。

「ああ、白御神乱たちは、前頭葉を刺激されて仮想現実空間、いわゆるメタバースの世界に生きている。彼には、怒りや恨みの原因となる状況が、逐一我々から送られており、イメージとして脳内に形成されていくのだ」

「彼らはウイグルの人たちなのでしょう?」真理亜が言った。

「そうだ。もともとが中国政府への激しい恨みを持つ人間であり、しかも、彼らの中には、中国がウイグルで行っていた核実験によって被爆している者も少なくない。巨大な白御神乱を製造するのに、これほど都合の良い兵隊はいないのだ」

「酷い! あなたたちは、彼らウイグルの人々騙して利用しているのよ!」マギーが憤慨して言った。

「何とでも言うが良い。全ては崇高な理想の為だ」

「俺たちが最初に君から聞いていたのは、香港の解放の為だけにVRで制御できる白御神乱を利用するんだということだったじゃないか。なぜ、北京まで攻撃する? 香港やウイグルの独立の為だけなら、あのようなことをする必要なないはずだ。さっきから崇高な理想とか言っているが、君たちの本当の目的は何なんだ?」スティーブが言った。

「そうよ。私もそう聞いていたわ。だから資金も出したし、この建物だって提供したんじゃないの」サンディが言った。

「それは言えない」希望が言った。

「ところで、白御神乱のVRは、どうやって操っている?」村田が聞いた。

「さすがに、それらの全ては言えない。しかし、これには怒りを与えて覚醒させるウェイクアップモード、眠らせるスリープモード、そして、詫びのイメージを送って人間に戻すカームダウンモードの三種類が存在していることだけは言っておこう。我々はSLモード、WUモード完成、CDモードと呼んでいる」ハーが説明した。

「さて、もうそろそろ良いだろう」希望はそう言うと、真太の胸のポケットからのぞいているスマホを引き抜き、そして言った。

「井上大臣、聞こえてますか? こちらは香港にあるネオ・クーロンの総統、芹澤希望です。飯島真太、中島真理亜、村田哲平、ホン・メイリン、スティーブ・リー、サンディ・チャン、以上六名を人質として投獄します。余計な手出しは行わないよう、お願いします」

「連れて行け。女性と男性は部屋を分けるようにしろ」そうして、希望はスマホの電源を切った。

 この画像を、和磨たちはじっと見つめていた。

「おっと、マギー・ホンには、これから一仕事あるからな」希望がマギーに言った。

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