第23話

 チェンは、俊作、クルム、リウ、アディル、リアン、そして瀕死のルークの六人をシャルターの中へと案内した。

「こっちだ」

 チェンに導かれ、シェルターの奥深いところに入って行く七名。すると、チェンは、俊作たちをある部屋に導き入れた。

「ここは、私だけの部屋だ。サオもこの部屋に入れたことはない」チェンはそう言った。

「ここは……! やっぱり……」

 クルムは、その内装のある特長に気がついたみたいだった。他のメンバーは、その女性の部屋らしく飾り付けられたゴージャスな内装を見回している。

「まずは、この御仁の治療をしなくてはな」チェンはそう言って、さらに奥にある部屋を開けた。そこには、最新鋭の医療設備の整えられた部屋が存在していた。しかし、医療関係者の姿など一人もいなかった。

「ここは……!」

「ここは、中国でも有数の病院とリモートで二十四時間つながっている部屋だ。リモートで医者が治療してくれる。さ、ここに寝かせて。今、上海の病院に連絡を入れるのでな」

 しばらくすると、モニターに医者の姿が現れ、チェンとのやりとりが始まった。

 その後、巨大な医療機械がルークの身体を包み込み、治療が始まった。

「あとは機械に任せておけば良い。さ、我々は元の部屋に戻ろう」

 さきほどのゴージャスな調度品の置かれた部屋に戻った七人。

「少し待っててくれ」

 チェンは、そう言うと、さらに奥にある別の部屋に消えていった。

「ここって、どこかで見たことのあるような……」ルークが言った。

 しばらくすると、チェンが消えた奥の部屋から、SNSで見たことのある、濃い化粧の女性が現れた。何とそれは、シー・ワンQの姿であった。

「やっぱり……。そうだったのね」クルムがつぶやいた。

「シー・ワン!」

「ま、まさか……! あなたがシー・ワン……」

「そうよ。私がシー・ワンQ。中国の希望」

「どういうことなんです?」俊作が聞いた。

「お話を聞かせて? シー・ワンさん」クルムがシー・ワンに言った。

「かつて、中国で最も貧しい地域と言われている貴州省のある村に許希望という男の子がいたわ。それが私」「……ところで、どうして私の正体に気がついたの?」

「部屋にある花瓶です。珍しいデザインですもんね」

「そう、そうよね」「私の生まれた貴州省は、中国の中でも最も貧困層の多い地域の一つと言われているの」シー・ワンの説明がはじまった。「あのね、今の中国の中には、二つの国が同居しているようなものなの。一つは、主に内陸部にある農村部で、貧困層の人たちの多い地域。そして、もう一つは沿岸部にある富裕層の人たちの住んでいる大都市。例えば、貧困層の人たちの月収は、日本で言えば、せいぜい九千円くらいね。彼らは農村工という貧困層なの。戸籍も都心部の裕福な人達とは別にされていて、農村工の人は、都市の戸籍になることはできない。都市に出稼ぎに行くことはできても、都市に住んで、事業を起こして富裕層になることは禁止されているの。そして、農村工の人たちは、生きていくために売春や売血をしている人だっている。このような貧困層は、七億近い人口がいるのよ。それでいて、片や沿岸部にある裕福な都市に住んでいる人たちは、貧困層の所得の千倍以上もある。彼ら富裕層の人口は、わずか二億くらいしかいないの。ねえ、これっておかしくない? しかも、この国は、建前上は公平を謳う社会主義国家なのに……」

「……」

「私は、そんな中国の最下層の農村工の家に長男として生まれた。本当の姓名は許希望。たまたま阿Q正伝に出てくる主人公が、本当は許かどうかさえ分からないのでQとしておいたってところから、シー・ワンQと名乗ったの。LGBTQのQの意味もあるけどね」

「私には、十人の弟や妹がいたわ。母親は、私が十歳のときに父親に売り飛ばされて、ある日から姿を消した。母親は、売り飛ばされるとき、鎖につながれていたわ。父親はいつも暴力をふるう人だった。母親はもちろん毎日のように殴られていたし、弟や妹たちだって、父親と目が合うたびに、いつも父親に殴られていたわ」

「……でね、私は子供の頃から性同一性障害だったんだけど、そんな知識なんて、両親や村の人たちにあるわけはないし……、父親も母親も、それから村のみんなだって、私のことを女の子みたいで身持ち悪いとか、病気じゃないかとか、両親の育て方が悪かったからだとか言われてた。私には、何のことか分からなかったけど、そのたびに、私は父親に殴られて『男なんだから、もっと男らしくしろ!』『こんな気持ち悪いやつは家族じゃない。もう売り飛ばす』とか、色々な罵詈雑言を浴びせられたわ。お前は、できそこないだの、光らぬ子だのと言われ、お前は俺たちの希望じゃない。失望だと罵られた。希望という名を付けられた子は、親に失望を与えてた。皮肉なものね」

「まあ、それだけが理由って訳でもないと思うけど、私が十三歳か四歳の時、とうとう私は四川(スーチョワン)省のある家に売られていったの。おそらくだけど、妹や弟たちの何人かも、その後売られていったんだと思う。私たちの村では、生きるために人身売買を行うことなんて、日常的に行われていたんですもの」

「私の売られていった先の四川省の家というのは、いわゆる名家で、四川省での中国共産党員の有力者だった。その家が陳(チェン)家よ。私は、その家で、朝は夜の明けないうちから深夜まで、まるで馬車馬のように酷使されたわ。でも、それでも、ありがたいことに毎日食事にだけはありつけた。当時の私は、それだけで嬉しかったわ」

「そんな四川での日々を送っていた時、私にある転機が訪れたの。四川の大地震よ。そして山津波が、私が働かされていた家を押しつぶしたの。その家の一人息子は、そのとき亡くなってしまった。それで、その家の主人が年齢の近かった私を養子にしてくれたのよ。というよりも、本当は私と彼が入れ替わったの。実は、その息子の名前が陳浩然(チェン・ハオ・ラン)だったの。彼は知的障害者だった。それで、私は死んだ彼として生きるよう義父から命じられたの。学校にも行かせてくれた。その日から、私は義父母の目にかなうように猛勉強に励んだわ。でも、やっぱり義父母は言ったの。『その女みたいな言葉遣いとしぐさを何とかしろ。それじゃあ、学校に行っても、バケモンみたいで友達から嫌われるぞ』ってね。それで、私は、あえて男の子っぽい言葉遣いと身のこなしを身に付けるようにしたの。最初は何だか自分じゃないみたいで、違和感があったけど、こう考えるようにしたの。『他人のぬいぐるみを着て、別人を演じているんだ』ってね。

「それから、北京大学に入学し、在学中には中国共産党に入党した。ここからは、公にされている経歴に書いてある通りよ。でも、私が四川省出身というのも、陳家の長男というのも嘘なの」

「北京大学の法学部には、サオ・ハオユーが在籍していたわ。彼は都市部にある名家の御曹司で、父親は代々軍人だった。私とサオは同じ寮で過ごしていたんだけどね、彼はあまり出来の良い学生ではなかった。あるとき、彼は論文で苦しんでいたの。論文の内容がどうのこうのという前に、彼は、自分自身を表現する文章能力に乏しかったの。それで、私は彼の言いたいことをまとめてあげたのよね。だいたい、彼が言いたいことっていうのは、いつも聞いてるから分かっていたし……。漢民族の優位性とか、中国の歴史は不変であるとか、偉大な中華帝国の復活とか、そのために民族を統一し、文化を統一するんだとか、徳による政治が大事であり、そのために不道徳なものは厳しく取り締まらねばならないとか、西洋の民主主義、自由主義は腐敗と堕落を引き起こすだのね。……まあ、だいたい分かるでしょ?」

「私は、そんなことよりも、とにかく中国をもっと豊かにして、自由に表現できる国にして、そして、何よりも貧富の格差を無くしたかった。サオの言うことに、私は興味が無かったわ」

「……でも、歴史はいたずらが好きみたい。私が代筆してあげた、そのサオの論文が非常に高評価を受けたの。ところが、サオ本人は、そのことにあまり納得していなかったみたいで、『この論文は、自分が書いた物ではない。チェンが書いたものだ。だから、この評価は私が受けるべきだ』って、こう言うのよ。そこから、妙なことになっていったの。私の意見は、サオの思っているようなことであると誤解された。でも、一度、掛け違えたボタンは、なかなか元に戻すことは困難になっていくわ。彼は調子づいて、どんどん私に論文を書かせた。そして、それは共産党内で評価されるようになっていった。サオとしては、それで満足だったみたい。自分の意見が、私という人物を通して拡がっていくんですもの。おもしろかったでしょうね」

「でも、どうしても彼の考えに我慢できないことがあったわ。LGBTの件よ。古い考えのサオは、同性愛者を犯罪者とか精神異常者と断じた。そして、私のような性同一性障害者についても、精神異常者だの化け物だととののしっていた。そのことだけは、私にはどうしても許せなかった」

「大学を卒業してからというもの、私は党の要職について出世街道を歩み始めた。サオの考えが私の考えであるという混同から、私は出世していったの。それに、私も、彼の言いそうなことを言っていれば、私は出世できることを知った。党内では、サオの思想が受けることを私は知ったの。ただ、それは私の本意ではなかった。……でも、私は考えたのよ。このままどんどん出世して、偉くなって国家の頂点にまで上り詰めることができれば、この国を変えられるんじゃないかって思ったの」

「サオの方はサオの方で、軍部の中をどんどん出世していっていたわ。彼は、私とは違って、両親の眼にかなう人物になったのよ」

「私は、かつて中央軍事委員会弁公庁秘書や南京軍区国防動員委員会副主任などの国防文官を兼任したことがあった。そのとき、サオと再会したの。彼は彼なりに軍のトップを狙っているようだった。ただし、彼には人望は無かった。そのことは、彼にもよく分かっていたみたい」

「彼に再会したとき、私は直感的に思ったわ。彼のような人物を頂点に置いてはいけないと。彼は、出世すればするほど、つけあがるタイプ。自分は選ばれし者なので、自分が正義である。それを妨げるものは、悪に他ならないと考える人物。私には、サオがそんな独裁者気質であることが分かっていた。そこで、私は考えた。逆に、彼を自分のそばに置いておこうと。幸いなことに、彼は私のことを尊敬し、頼りにしている。それで、私は副主席時代から、サオを司令官として、自分のそばに置くようにしたの」

「それで……、中国の頂点に登りつめたあなたは、中国を変えることはできましたか?」クルムがシー・ワンに聞いた。

「ううん、できなかった。中国は私が考えていたよりも大きかった。それは単に広いって意味じゃないわよ。人口も、生活も、考え方もあまりにも多様で、これを一つに束ねるには、昔からやっていたような専制的な指導しかないのかもしれないとも思った。そもそも、漢民族は、さほど愛国主義的な民族ではない。どちらかと言えば、家族や自分の会社、もしくはもともと自分を愛する人々なの。内陸部では、沿岸部へのねたみやひがみから、昔ながらの社会主義体制に戻して、自分たちにも豊かさをくれと言う。同時に、沿海部の大都市で豊かさを享受している人たちは、もはや昔の計画経済の生活などには、とうてい戻れない。内陸部の農村工を犠牲にすることによって、中国は表向き、大国の姿をしているのだけよ。巨大な中国を一つにまとめることは至難の業なの。それでも、私が国家主席としてやっていることは、私自身の政策でもなければ、私の考えでもない。そこに本当の私はいないの」

「なるほど」

「それで、主席になった私はあることを思いついた。」

「それがシー・ワンQ」

「そうよ」

「でも、シー・ワンにはたくさんの信奉者がいるじゃないか。であれば、チェン・ハオランとしても、もっと自信を持って、君の思うとおりのことをすればいいんじゃないかしら。古い党員のことなんて気にすることはないわ。きっと、うまくいくわよ」リウが言った。

「そうかしら」

「そうよ。私はシー・ワンQを信じるわ」

「私は、貧富の格差を無くしたいだけ。中国を豊かな国にしたいだけ。腐敗を許さない国にしたいだけ」

「あなたは中国の希望。中国の希望は、シー・ワンQ、いやチェン・ハオランにかかっているのよ」クルムが言った。

「ところで、あなたには、一つだけ確認したいことがあるんだが……」アディルが言った。

「なに?」

「マリア降臨の日、天安門でのウイグル人の虐殺事件のことだ。あなたは、あのとき人間に戻ったウイグル人たちを軍が銃殺する計画だったことを、あなたは知っていたのか?」

「……」シー・ワンは何かを回想しているように、目をつむって上を向いていた。

「なあ、何か言えよ」

「……あの日、ホワイトハウス前の映像は、ここ中南海にも飛び込んできた。ウイグルからやって来た御神乱たちは、天安門のすぐそばまで迫っていた。私は、自分が外に出て土下座をすると言い、そして天安門の前に出て、やって来る御神乱たちを待ち構えていたのよ。私はすぐに土下座して詫びた。本当に、心から詫びたわ。嘘じゃあない。そこには一点の曇りも無かった」

「私は下を向いていたので、前方で何が起きていたのかはっきりと見ることはできなかったけど、やがて、次第に青やピンクの光が辺りを包み込んでいくのがわかった」

「でも、私が顔を上げたとき、あたりは血の海になっていて、ウイグル人体の死体が累々と道に転がっていた。私には、最初、何が起きたのか分からなかった。信じられない光景で、私は放心状態で目の前に広がる地獄絵図を凝視していたの。でも、横を見ると、そこには塀の上にはおびただしい数の解放軍がいて、皆それぞれ自動小銃をかかえていた。私には、すぐにそれがサオのやったことだと分かったわ」

「……」

「サオは言ったわ。『恐怖は去りました。もう何も恐れることはありません。あとは我々が隠滅しますのでご安心ください』と……。私はサオに言ったわ。『寒い。ガウンをくれ』と。おそらく、そのとき、私は怒りで背中が光り始めていたのだろうと思うの。それを気づかれないようにするためだったの」

「ところで、そのときのシーンを、シー・ワンであるあなたは自身のティックトックにアップしてますよね。あれって、どういう仕組みになってるんです?」リウが尋ねた。

「チェン・ハオランであるときの私のネクタイピンが隠しカメラになってるの。それを私の恋人であるハッカーに送信してるのよ」

「……分かりました。シー・ワンさん。もういいです」アディルが言った。

「本当に申し訳ないことをしたわ。今こそ、本当の意味であなたたちに謝りたい」そう、シー・ワンが言った。

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