第9話

 クルムの弟アディルは、俊作たちの泊まっているホテルに連れて来られた。クルム夫婦の泊まっている部屋の中、彼らによる尋問が始まった。

「御神乱ウイルスの治療薬があるなんてのは嘘ですよね。もちろん治療薬の治験なんてのも行われていない。そうですよね?」クルムがアディルに言った。

「……」

「ウイグルでこの手の噂が流されている。そして、治験を希望するウイグル人が消えて……。いや、おそらくは連れ去られて香港に送られている。そうなんでしょう?」

「……」

「そして、その手引きをやっているのは、他でもない、私の弟であるあなただった」

「……」

「一体何の為に? 一体あなたは何をやっているの? 黙ってないで、何か言いなさい!」

「姉さんこそ、何をやっている? いつからスパイみたいなことをやるようになった? ウイグルの人権活動家をやってるんじゃなかったのか? ……まあ、そのせいで、うちの家族はえらい目にあってたんだけどな」

「ああ……」悲しみの嘆息を漏らすクルム。

「……」アディルはクルムを睨みつけたまま、黙っていた。

「アディル、お父さんとお母さんは元気にしてるの? 何度か連絡を試みたんだけど、全く音信不通で……。ウイグルも御神乱のことで大変だったことは、ニュースで知ってるわ」クルムが尋ねた。

「何を知ってるって言うんだ! 父さんも母さんも殺されたよ!」アディルが言った。

「何ですって! ……いつ? どうやって?」愕然とするクルム。

「父さんも母さんも、それに俺も御神乱となって天安門まで行ったんだ。ニュースで出ていた、天安門の前で土下座するチェン国家主席の前にいた御神乱は、俺たちだったんだ」

「何てこと……。でも、あれで人間の姿に戻れたんでしょ?」

「いいや、国家主席が土下座して、そこにいた何十体もの御神乱は人に戻ったんだが、ヒトに戻ったその直後に、潜んでいた人民解放軍のマシンガンが俺たちを皆殺しにしようとした」

「ああー! 何てことを……」

「でも、人間に戻って正気を取り戻した俺は、そこから命からがら逃げたんだ」

「そうだったの……」

「ひどいことをしやがるな」俊作が言った。

「ニュースで流れているのは、土下座によって青や赤の光に包まれて人の姿に戻って行くところまでだ。しかし、実際にはその直後に悲劇が起きていたんだ」

「じゃあ、それってシー・ワンのSNSで言われているまんまじゃないか」ルークが言った。

「そうだ。彼女の情報は正しい。あれが真実だ。そして、おそらくは中国のあちこちで、あの日、同様の悲劇が起きていたんだろう。ウイグル系の御神乱は、結局は抹殺されたんだ」

「……」

「俺たちがつかんだ情報によれば、もちろん香港もそうだ」アディルが続けて言った。

「香港も?」クルムがつぶやいた。

「あの日、二十万人を超える大規模なデモ隊が香港庁舎に押し寄せていた。そして、まさにそのとき庁舎から現れて暴れていたのは、御神乱化した香港民主化の女神だったマギー・ホンだった」

「マギー……」

「そして、民衆に引きずり出された香港政庁の長官は、御神乱となったマギーの前で土下座をしたんだ。まさしく象徴的な場面となった」

「それは、ニュースで見たよ」俊作が言った。

「ところが、これにも続きがあった。土下座されて人の姿に戻ったマギーは、香港市民が見ている前で中国軍に射殺されたんだ。まさしく、中国政府による市民への見せしめだよ。それからというもの、香港市民は黙りこくってしまった。もう何も政府に対して反抗しなくなったんだ」

「マギーが……」クルムが小さくつぶやいていた。


 ちょうどそのとき、ホテルの外ではリウが張っていた。というか、正しくは何事もないか見張っていた。そして、その姿をじっと見ている漢人のスパイもまた……。


 中国公安がウイグルに派遣した男性諜報部員の梁梓豪(リアン・ズー・ハオ)は、上司の朱欣妍(ズー・シン・イェン)中国公安当局部長へ報告していた。

「カシュガル総合病院の職員アディル・モハメドは、姉のクリルとその夫のルーク・マクガイアと、もう一人の日本人と共に、彼らが宿泊しているホテルに入って行きました。何か有力な情報を得たのかもしれません。しばらく泳がせておきたいと思います」リアンが言った。

「そう。分かったわ。……で、例のリウ・クァ・シンの方の動きはどうなの?」ズーがリアンに聞いた。

「特に変わった動きはしていません。言われた通りにクリルを張っているみたいです」

「そう。そのまま尾行していて」

「了解です」


「こんなことが許されて良いはずがない! 俺たちはウイグルの完全なる解放と独立のために、中国政府と戦うつもりだ!」

「俺たち? 戦う? ……で、一体どうするっていうの?」

「他でもない姉さんのためだ。俺たちが今やっていること、そして、これからやろうとしていることを見せてやるよ。きっと、姉さんもお義兄さんも喜んでくれると思うよ」


 アディルがホテルで詰問されている最中、彼のスマホが鳴った。

「出て」クルムがアディルに言った。

「はい、アディルです」

「例のVRの件だが、製造が追いつかない。そっちに回せるのは、せいぜいあと三つってところだ」

「はあ、そうですか」気もそぞろで答えるアディル。

「おい、どうした? そっちで何かあったか?」

「あ、いえ……、何も……」

「何か元気がないみたいだぞ。ちゃんとこっちの言うことが聞こえてるか?」

「はあ……。何もないですが」

「そうか? ……ならいいんだがな」

「とにかく、そういうことだ。そっちの要求を全部は飲めない。リズワンにも言っておいてくれ」

「はあ、分かりました」


 この電話のやりとりの後、香港はいぶかしがっていた。

「リズワンか? こちらは香港だ。アディルの様子が変だったぞ。何かあったんじゃないか? 念のため忠告しておいた方が良いと思ってな」

「分かったわ。連絡ありがとう」カシュガルにいる女性テロリストの首領が答えた。


 俊作たちは、アディルに連れられて、再び総合病院へとやって来た。地下へと案内される俊作たち。そこには、ベッドに横たわっている数人のウイグル人がいた。

「ホワイトウイルスを注射されたウイグル人だ。主に中国政府に対して恨みを持ち、かつ、被爆している可能性のある人たちだ」アディルが説明した。

「眠っているのか?」ルークが聞いた。

「睡眠薬で眠らせてある」

「ホワイトウイルスっていうのは?」俊作が聞いたが、それに対してアディルは、

「それについては、もう少しあとで説明するよ」そう言った。

「彼らを香港へ移送しているのか?」俊作が聞いた。

「そうだ。週に一回。だいたい数人ずつだな。トラックに乗せて香港に移送している」

「それは何の為だ?」ルークが聞いた。

「彼らは、主に香港の独立のために働いてもらうためだよ」

「香港の独立?」

「ああ。……それじゃあ、次にウイグルの独立の戦士たちをお見せするよ。収容所に来てもらう」

「収容所って? あの、ウイグル人を強制収容してる収容所のことか?」俊作が言った。

「ああ、ただ、今は俺たちの手中にあるがな」

「え? ……手中って、どういうことだ?」


 俊作たちは、カシュガルの中でも最も大きな収容施設に連れて行かれた。堀のいたるところが破壊されていて、簡単な修復が施されていたが、それは二年前の巨大御神乱が破壊したものだろうと思われた。高い塀の周囲には、銃を携えた衛兵が見張っていたが、彼らはいずれもウイグル人だった。

「漢人の衛兵が消えてる!」クルムが言った。

「ここは、かつて数千人の政治犯が収容されていた。そのうちの数百人は、二年前に御神乱となって、ここを破壊して脱走し、北京を目指したんだ。俺も、それから俺たちの両親もそうだ」アディルが言った。

 車は、顔パスですんなりと中へ入れた。

「何てこと! こんなバカな……」クルムが驚いたように言った。

「でも、もう今は、ここは俺たちのアジトだ。占拠したんだ」

「さっきから君は、俺たち、俺たちって言ってるけど、俺たちって、どういうことなんだい?」ルークが尋ねた。

「そのうち教えてやるよ」

「ねえ、アディル、あなた一体何をやってるの? 人の道に違うようなことをやってるんじゃないでしょうね?」

「違うって! 姉さんもきっと感動するよ」

 アディルに導かれて、俊作たちは施設内に入って行った。

 収容施設内のそれぞれの留置所には、総合病院の地下室と同じようにベッドが並べられており、たくさんの人たちが寝ていた。見れば、そのうちの何人かの額には、小さくて変な機械を取り付けられている。うつぶせになって寝ているものの、皆苦しそうだった。そう、それは御神乱ウイルスに発症する前の状態に似ていた。

 廊下に沿って、一つ一つの房を見ながら進むと、それぞれの房に寝ている人間たちの背中は、次第に激しく光り出しているのが分かった。そして、光が強くなるにつれて、苦しみも強くなっているようだった。しかし、これまでの御神乱ウイルスの発症とは、明らかに違っている点が一つあった。それは、一人の人間の背中の光が、青白いのとピンク色の両方とも光っているということだった。厳密に言うと、脊髄を中心として、その両側が青とピンクに光っていた。左と右がどちらか決まっているというわけではなさそうで、それは人によって左右まちまちなのだが、とにかく一人の人間の背中が青とピンクの両方光っているのだ。

「青御神乱ウイルスと赤御神乱ウイルスの両方を持っているということか」俊作が言った。

「その通りだ」

 そして、さらに廊下を歩いた先には、もがき苦しんでいる発症者たちがいた。

「何だこれは! 白く光っている」俊作が言った。

 この房の発症者の背中は、左右のピンクと青が中央に光っていっており、中には中央部で白い光になっているものもいた。

「白ウイルスの効果だ」アディルが言った。

「白ウイルス?」俊作が言った。

「もしかして、それがワンの……」俊作がつぶやいた。

「どうして、ワン先生のことを知っている? ……そもそも、お前、何者だ?」アディルが言った。

(しまった)と俊作は思った。

「いや、俺は単なる日本からの旅行者で、シルクロードの研究をしている。そしたら、ここでこの夫婦とたまたまカシュガルで出会って仲良くなったんだ」

「じゃあ、どうしてワン先生の名を?」

「い、いや、何かの……聞き違いじゃないのかな」

 俊作は、そう言ったが、アディルの中には警戒感が芽生えた。

「これは、白ウイルスを打たれた人たちだ。ホワイトウイルスは、赤御神乱の罹患者には青ウイルスが、また、青御神乱の罹患者には赤ウイルスが、補完的に生成されて一つの個体に両方のウイルスができあがるものだ。知っての通り、赤御神乱と青御神乱が激しくぶつかることで核融合反応がおきることは分かっているが、この白ウイルスに罹患し、発症した人間は、体内で核融合反応が起きることが予想される。まだ、理論上の問題だがな」アディルが説明した。

「核融合反応が起きるとどうなるんだ?」俊作が言った。「自爆するとか?」

「いや、そうではない。もっと合理的なシステムだ」アディルが言った。

「……で、その発症した白御神乱をどうすると言うんだ?」ルークが聞いた。

「ウイグルの独立だ」

「暴力で独立を勝ち取ろうと言うの?」クルムが言った。

「彼らを使ってウイグルの独立と解放のために中国政府に戦いをいどむんだ。これは我々の自由と独立、そして民族の解放のための闘争だ。もちろん、姉さんも分かってくれるだろ?」

「分からない。……分からないわ!」クルムが言った。

「え! どうして?」

「私はそのようなものは望まない。しかも、何も知らないウイグルの人たちの憎しみを利用して兵士にするということでしょう?」

「俺たちは、みんな中国政府に憎しみを抱いている、誰でもが、彼らから独立を勝ち取る手段が得られるのであれば、喜んで解放の戦士となって闘うよ。だから、騙して利用している訳じゃないんだ」

「でも、実際には、彼らは何も知らされていない。苦しんで兵士にさせられているじゃない。こんなこと、人道的に絶対に許されることではない!」クルムは声を荒げて反対した。

「具体的には、どうするつもりなんだ? 彼らは巨大化した白御神乱となるんだろ?」ルークが聞いた。「北京でも攻撃するつもりなのか?」

「そうじゃない。彼らには、ウイグルを守らせる。そして、ウイグルへと侵入・侵略をしようとする全ての軍隊を蹴散らす。陸からも空からも、どこからも、攻撃してくる奴らは全て撃退する。名実ともにウイグル、いや、正しくは東トルキスタン独立のときだ」

「東トルキスタン? まさか、あなた……」クルムが言った。

「ああ、そうさ。これは東トルキスタン解放戦線の一環だ」アディルがそう言った。

「さっきから、俺たちって言ってたけど、俺たちっていうのは、東トルキスタン解放戦線のテロリストのことだったのか?」

「どうして……? あなた、どうして、そんなテロリストになんかなったの!」クルムが叫んだ。

「二年前の天安門、俺は運良く流れ弾に当たらなかった。それで、そこに皆と同じように倒れていた。死んだふりをしていたんだ。まわりは血の海でね、誰が死んでいて、誰が死んだふりしてるかなんて分からなかった。しばらくして、俺は立ち上がって一目散に逃げだした。血のりに足を取られそうになりながらも木立の方へ走って行くと、急に俺の腕をつかむ者があった。彼女は東トルキスタン解放戦線のメンバーで、北京のウイグル御神乱の襲撃の様子を探りに来ていたらしかった。彼女の名前は、リズワン・カーディルという。今の俺の嫁だ」

「嫁? アディル、あなた結婚したの?」クルムが驚いて言った。

「ああ、二年前のことだ。天安門で彼らに救出された俺は、ウイグルに戻って、彼らの仲間になった。とにかく、そのときの俺は、目の前で両親を殺害されたという中国への恨みが大きかった。しかし、怒りをそのまま解放すれば、再び御神乱へと自分がメタモルフォーゼしてしまう。怒りを抑えながら、ストイックに物事を追行する心の持ち方を、このとき俺は覚えたんだ」

「彼らとともに、中国政府からの解放運動をやっているとき、香港の独立を画策している仲間から連絡があった。ワン先生とその友人のジャオ博士が開発した白ウイルスの話だった。白ウイルスを注射して白御神乱化した人間を、香港の独立運動の兵士として調達したいというのだ。なるべく、恨みが強く、しかも被爆している可能性の人間が欲しいということだった。ウイグル人を提供する見返りとして、香港からは白ウイルスがとVR装置が提供されたんだ。もう姉さんたちが何をしても無理だよ。計画はまもなく完成して、そして実行される運びとなっている」

「ああ! 何てことを……」

「VR装置とは?」ルークが聞いた。「あの額に埋め込まれているやつか?」

「ああ。あれは脳に強いイメージを送る装置だ。香港にいるハーという男が作り上げた。あるイメージを脳に直接与えて恨みを増幅させる機械だ」

「じゃあ、機械を取り外せば、彼らは元に戻るのか?」俊作が聞いた。

「いや、取り外しただけではだめだ。怒りの炎は暴走しているからな。怒りを鎮めるには、カームダウン・モードにする。すると、彼らは脳の中で謝られているのと同じ感覚を持つことになり、人間に戻ることができる。怒りを増幅させる覚醒(ウェイクアップ)モード、眠らせる睡眠(スリープ)モードも、全てこちらの意のままだ」

「どうやってモードを切り替えるんだ?」俊作が聞いた。

「さすがに、そこまでは話せないさ」

「ウイグルで制御してるのか?」ルークが聞いた。

「いや、俺たちじゃない。制御できるのは、香港の方だ」

 そのとき、彼らの後方から声をかける女性があった。

「アディル、もうその辺にしときなさい」

「あ、リズワン」後ろを振り向いたアディルがそう言った。

「姉さん、紹介するよ。俺の嫁のリズワン・カーディルだ。俺の命の恩人だ」「リズワン、こちらは俺の姉さんのクルム・モハメド、アメリカに亡命してるウイグルの人権活動家だ。それと、こっちは旦那さんのルーク・マクガイア氏。それに……」

「あ、津村俊作です」

「そうですか。リズワンです。よろしくお願いします」

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