第7話

 香港の十五階建てのアジト内、ジャオはワンに報告していた。

「ワン先生、ついに白ウイルスが完成しました」

「そうか! じゃあ、次は治験だな。既に中国政府に恨みの強いウイグル人は、かなり集めてあるからな。しかも、ほとんどがウイグルでの被爆者だ」

「はい、良い結果が期待できそうです。でも、どうして、この香港でウイグル人を確保できたんですか?」

「ウイグルのテロリストを利用したんですよ」そう言いながら、指令室にハーが入って来た。

「ハー!」

「ワン先生、VRの方も、プロトタイプができあがりましたので、ご報告に参りました」ハーが言った。

「おお、そうか!」

「覚醒モードと睡眠モードのVRイメージは、ひとまず完成しましたが、まだ御神乱を人に戻すカームダウン・モードが完成していません。完成にはまだ数か月かかるかと……」ハーが言った。

「そんなには待てんよ。それはもう良いから、とりあえず、治験者に取り付けろ」ワンが言った。

「しかし、カームダウン・モードが機能しない場合、前頭葉に埋め込んだVRは、メタモルフォーゼ前の人間や、少なくとも巨大化しない御神乱から外したり、破壊したりすることは可能なのですが、巨大化してしまうと、VR装置は身体の中に埋め込まれていき、取り出せなくなってしまう可能性があるんです」ハーが説明した。

「じゃあ、どうするんだ?」ワンが聞いた。

「睡眠モードで眠らせておくしかありません。覚醒と睡眠をこちらで制御し続けるんです」

「頭部を破壊すれば、良いんじゃないのか?」ジャオが聞いた。

「理屈はそうなんですが、それは、巨大化した白御神乱の持つ核融合火焔の破壊力次第ということもあります」

「……」

 ワンは、しばし考え込んだ後、口を開いた。

「しかし、やはり二年は待てん。太宇も既に打ち上げられたんだ。やはり、治験を開始しろ。同時に、カームダウン・モードの開発に引き続き続けてくれ」

「分かりました」

「ジャオ、ハー、いよいよこれからだ。よろしく頼んだぞ」


 指令室を出た二人、他に誰もいない研究室でハーがジャオに言った。

「ねえ、ジャオさん」

「なんだ?」

「これだけのもんができたんです。何だかもったいないと思いませんか?」

「もったいない? どういうことだ?」


 ウイグルでは、ある噂が口づてに流れていた。「香港では、ある製薬会社が御神乱ウイルス治療薬の治験者を募集していて、治験者として合格すれば、お金をくれる」と言うのだ。そして、それを斡旋している人物がウイグルにいるという。

 街角で男たちがひそひそ話をしていた。

「その噂は本当らしい。アディルっていう男が斡旋しているらしいぜ。あそこの角の病院にいるらしい。俺も今度、行こうかなと思ってるんだ。なるべく中国政府に対して強い恨みを持っている人間が優先されてるらしい」

「そうなのか? じゃ、俺も、それに乗るよ」


 カシュガルの大きな病院の職員として勤務しているアディル・モハメド。彼のところに香港から連絡が入った。

「はい、アディルです。……はい。……はい。今週は、こちらから七名ほどそちらに輸送します。よろしくお願いします」「収容所の方には、来週末にも入ります。……はい。でも、何せ今でも百万からいますので、すぐに全員の接種はさすがに厳しいと思いますよ。それに、VRの方もそれだけ提供していただかないと……。……はい。……分かりました。では、よろしくお願いします。万事うまくやりますので……」

「誰からですか?」隣にいた職員がアディルに聞いた。

「香港のジャオ博士からだ」


 新彊(シンチャン)ウイグル自治区は、中国国内に住んでいる様々な民族が調和して暮らしている中央アジアの幸せな地域であり、かつてはシルクロードの拠点として栄えた、開かれた地域、重要な経済拠点である。ただし、これは中国政府としての、この地域に対する見解である。当然、中国としては、この地域を開かれた観光地としてアピールしたいという思惑がある。

 それで、旅行サイトで検索すれば、東京からウルムチまで往復六万円くらいで行ける。なお、日本人の中国渡航には、二週間以内であればビザ取得が免除されている。ウイグルは、外国人の観光客に対しては、安全な場所とされているのだ。


 真太たち三人は、香港国際空港に降り立った。

「なんだ、香港国際空港と言っても、香港島からも九龍(クーロン)からもずいぶんと離れてんだな」真太が言った。

「まあ、とりあえずは、クーロンまでタクシーで行きましょうよ」真理亜が言った。

「ホテルは、ちゃんと二部屋取ってあるんだろ?」

「うん、でも、捜査が始まったら、ホテルに戻れるかどうかは、分からないけどね。拉致されたら、ホテルになんて帰れないしね」真理亜が言った。

「おいおい、怖いこと言うなよな」

「いや、そのくらいのことは覚悟しておいた方が良い」村田がそう言った。


 俊作、クルム、ルークは北京国際空港のロビーにいた。

「クルムさん、ルークさん、今回、あなたがたは、あくまでも旅行者としてビザが取得できてるんで、そこんところ、よろしくお願いしますね。ジャーナリストはウイグルには入れませんのでね」俊作が釘を刺して言った。

「もちろん分かってますよー。まかせてください」ルークが言った。

「ええ、私たちは日本からやって来た、日本に帰化したアメリカ人の夫婦で、今回はウイグルのツアー客です」クルムが言った。

「国が色々と手をまわしてパスポートとか作ってくれてるんですからね。ばれないように、ばれないように……」俊作が心配そうに言った。

「俊作さん、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。私たちは、ある程度慣れていますので。それに、あんまり不安がってると、かえって不自然です」ルークが言った。

「あ、そ……、そうですか」


 北京からカシュガルまでは、飛行機で五時間以上かかる。

 クルムはしきりにシー・ワンのSNSに見入っていた。それに対して、隣に座っていた夫のルークが話しかけた。

「君は最近、そのSNSばかりチェックしているな。そんなにおもしろいのか?」

「ううん、まあ、面白いと言えば面白いんだけどね……。どうしてシー・ワンのSNSは中国政府から削除されないんだろうって。中国政府を真正面からストレートに批判して事実を突きつけるオネエ系の謎のティックトッカー。これだけで、もう中国政府からは嫌われるはずよ。それが、どうして規制できないのかしら?」クルムが言った。

「ああ、なるほどな」

「それに、中国政府が何かやらかすと、すぐに、それに呼応するように、彼女は更新している」

 そう言いながら、熱心にシー・ワンが語っている彼女の部屋に見入っていた。

 すると、今度は、隣に座っていた俊作がクルムに話しかけた。

「クルムさんの家族はお元気なんですか?」

「実は、家族とはとうに音信不通になっていて、生きているのか死んでいるのかさえ分からないんです。私のように亡命して外国に出て行った者の家族に対しては、中国当局からの厳しい処遇が待ち受けています。両親にも弟にも、私が大変な迷惑をかけていると思うと、とても辛くて……」

「弟さんがいらしたんですね……」


 まもなく着陸という頃、機長が高度を下げると言うアナウンスをした後、「窓の日よけを閉めてください」という機内放送が流れた。それによって、機内は急に暗くなった。新疆の景色を見せたくはないのだろう。徹底した対策だった。「外の写真は撮らないでください!」スマホを窓の外に向けようとした客がCAに注意されていた。


 カシュガルの街のいたるところには、最新型の監視カメラが置かれていた。それも、必ず一か所に複数あり、死角というものが無いような街だった。商店街も住宅地も、もちろん道路にも厳重な監視体制が敷かれており、車については、全てのナンバーを記録しているようだった。城管、公安、武装警察・特殊警察、中国の治安維持機関の眼はいたるところに張り巡らされているようだ。

 市街地の通りは中国国旗とチェン政権のスローガンの書かれた旗だの看板だのだらけだった。

「不気味だな。全部監視されてるんだな」俊作が言った。

「あんまり言わない方が良いですよ。なるべく表情を作らないようにしてくださいね。防犯カメラだけじゃありません。生身の人間も総動員されていますので……」クルムが俊作に言った。

 見れば、町の通りには数百メートルごとに交番らしきものがあり、そこには二人組の警官が監視していた。そして、彼らはバイクや歩行者を止めて身分証の確認をしていた。

 駅、バスターミナル、店舗などに入るときは、全て身分証の提示を要求され、金属検査まで受けた。街のいたるところにこのような検問があった。

「それにしても、表向きは昔と変わってないようだけど、何か違和感を感じるのよね」クルムが言った。

「違和感ですか? 例えば?」

「何というか……。平和になったと言うか……」

「平和? 良いことじゃないですかー!」

「でも、違うのよ。昔は、みんな黙っているけど、もっと殺伐としていた。それと緊迫感みたいなものがあったのよね。でも、今はおとなしくしているだけ」

「中国政府に怒っているウイグルの人たちは、北京とかを攻撃して殺されちゃったもんな」俊作が言った。「そう言えば、黄河や長江から多数の御神乱の遺体が流れ着いたってニュースやってたし……」

「そうですね。確かに、もうみんな疲れてしまったのかもしれないし、あきらめているのかもしれない。この町は、確かに監視しまくられているけど、目に入る人達は、今やほとんどウイグルの人たち」クルムが言った。

「えっ? 漢人が見当たらないと言うことですか?」

「え、ええ。……確かに変です。変なのはそこです! ここでは、ウイグル人を監視するために大勢のウイグル人を治安要員として雇っているんです。それこそが、ウイグルの監視体制の特長なんです。私たちウイグル人は、差別をされているので、漢民族の商店やホテルでは雇ってもらえないんです。だから、安定した収入を得るため、当局に雇われて同胞を監視する人が多いんです。警官たちも、ほとんどがウイグル人でした。必ず二人組で監視をおこなっているんです。まあ、仕方なくやっている人が多かったんですけど」クルムが言った。

「何てこった!」俊作が言った。

「でも、おかしいですね。漢民族の姿が見えないのに、監視装置はそのままになっている」

「彼らは、監視されているふりをしていて、実際には、漢民族はとうに駆逐されてしまってるというのは考えられないか?」ルークが言った。

「一体何の為にです?」

「うーん、それは分からないけど、そう考えないとつじつまが合わないような……」

 彼らがこのような会話をしているとき、カシュガルの総合病院からトラックが出て来た。トラックは、一路、香港を目指していた。


 香港のアジトに連絡が入った。

「ウイグルから、今、トラックが出たと連絡が入りました」

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