第6話

「この内容は、山根博士が死ぬ間際にSNSで拡散させた内容とほぼ一致しており、山根博士は、このメモの内容をもとに、あのSNSを公開したことも考えられます」

「なるほど」

「……で、ここには御神乱ウイルスに対する治療の手掛かりになることが書かれています。しかしながら、これはメモを撮影した画像でしかありません。オリジナルおよび各種の研究結果は芹澤邸にあったものと思われます」

「つまり、それを中国軍の一部が持ち出したと……」

「はい、そうだと思います。それで、御神乱ウイルスの治療のヒントになるのは、ここにも書いてあるように、一人娘の芹澤希望さんなんです。おそらくなのですが、芹沢博士は、既に御神乱ウイルスに対するワクチンは既に完成されていたのではないかと思います。それを娘の希望さんに接種していたのかも……」「飯島さんと中島さんご夫妻は、大戸島で希望さんにお会いになっておられるんですよね? どんな娘さんでしたか?」

「はい、一言で言えば、笑わない女子という感じです」真理亜が答えた。

「笑わない?」

「ええ、大戸島の人たちは皆、お互いが発症しないように、いつも笑顔でした。そんな中にあって、希望さんだけは笑わないので、異質な感じがしたんです。あっ、そう言えば、須磨子さんが言ってました。笑わない子は、光らぬ子だって……」真理亜が言った。

「笑わない子は、光らぬ子……。光らないってことは、希望さんには既に御神乱ウイルスに対する抗体があったものと思われますね。だから、大戸島において、彼女だけは怒っても発症して光ることがなかったのではないかと思います」

「まるで、ジェンナーみたいね」真理亜が言った。「それで、その芹澤希望さんは、どうされてるんでしょう?」

「消えました」

「消えた?」真理亜が言った。

「はい、東京消失の後、大戸島では多くの人たちが御神乱化していきました。そして、島民どうしで殺し合い、喰い合ったりした事実も認められます。また、その後、御神乱となった島民たちが海を渡って日本の各都市を襲ったことは、周知の事実です」

「では、発症しない希望さんは、島民に食べられたとか……」

「いや、芹澤邸が島民の御神乱に襲撃された形跡はありませんでした。両親の姿は消えていましたが、中国軍が家屋に入るまで、希望さんは家の中のどこかに隠れていたのかもしれません」

「じゃあ、中国軍に見つかって……」真太が言った。

「はい、実は、大戸島に上陸した中国軍のうちの一部が、中国本土に帰国する前に突然消えているのです」村田が言った。

「消えた?」真太が言った。

「この人物は、中国の人民解放軍に所属していた王宇航(ワン・ユー・ハン)という人物と彼に近しい数人の中国兵です。ワンは、もとは香港の民主活動家だった男で、当時は香港名のサミュエル・ウォンという名前で活動していました、また、ワンはもともと大学で細菌学を専攻していた人物で、日本に留学していた経験もあるそうです。そのとき、彼に教授していたのが、他でもない芹澤昭彦博士なんです」

「じゃあ、そのワンとかいう男が希望さんを……」真太が聞いた。

「その可能性は大です。彼は、大戸島で芹澤邸を操作したとき、そこにいた希望さんに遭遇した。そして、あの状況下でも背中の光っていない彼女を見て、全てを悟ったのではないかと思います。そして、世界で唯一、御神乱ウイルスの抗体を持つ彼女を連れ去って行ったのではないかと思われます」綿貫が言った。

「では、なぜワンは、部隊を離れたんです?」

「それは、分かりませんが、何らかの目的に希望さんを利用しようという目論見があるのではないかとは思います」村田が言った。「まあ、これらは全て、推測の域を出ないものですが……」

「あの時点で、まだ世界的なパンデミックは起きていません。希望さんの抗体を研究すれば、世界でいち早く御神乱ウイルスの治療薬を完成することができます。これは大変な資金源になると考えていたのではないでしょうか」富樫が言った。

「そうですね。でも、もはや世界的なパンデミックが起きて、全世界が罹患したので、ワクチンを製造するメリットは無くなってしまったわ。だから、今はもっと別の何かを考えているのかもしれないわね」真理亜が言った。

「いずれにしても、希望さんは連れ去られており、ワンは、何らかの野望を持っているものと思われます。現在、ほぼ世界中の人類が御神乱ウイルスに罹患してしまっている現状においては、もはやワクチンの存在は不要のものではあります。しかしながら、抗体を持っている彼女から治療薬を作りだすことは可能です。我々WHOとしましては、何としても芹澤希望さんを救出して、彼女から御神乱ウイルスの治療薬を作りだしたいと考えております」綿貫が言った。

「なるほどな。……で、ワンは希望さんを連れて、一体どの辺に潜んでいると考えられるんです?」真太が聞いた。

「おそらくは、ワンの地元、香港辺りではないかと思われます」村田が答えた。

「それで、我々は何の為にここに呼ばれたんです? 我々に一体何をしろと?」

「CIAの村田氏とともに中国に渡って、サミュエル・ウォンと芹澤希望さんを探し出して欲しいのです。彼女に会っているのは、いまや飯島さんと中島さんだけだからです」松倉が言った。

「じゃあ、クルムさんとルークは? どうしてここに?」

「実は、ワンの失踪事件と並行して、もう一つ気になることが起きているんです」和磨が言った。「最近になって、ウイグルからも人が消えています。消えた人々の直前の足取りをたどると、そこにある共通点が浮かび上がりました。彼らは御神乱ウイルスの治療薬の被験者になると言って香港に向かったと言うんです。被験者になればお金もくれるし、しかも、旅行代も全て製薬会社が持ってくれると言うんです」

「そんなバカな!」

「この香港にあるという製薬会社と東トルキスタン解放戦線との関連性も見え隠れしています。それで、クルムさんとマクガイア氏には、ウイグルに行ってもらおうと思っています。なお、彼らには、うちの事務所の津村俊作を同行させます。日本人の旅行客としてカシュガルに潜入してもらいたいのです」和磨が説明した。

「これが、本件の概要ですが、何かご質問などありますでしょうか?」綿貫が言った。

「あのー、実は、うちの妻はおめでたでして、あまり無理な行動はできないと言われてますので、任務からはずしてもらえないでしょうか?」真太が言った。

「おめでたいって、一体何がめでたいんだ? 真太」村田が言った。

「バカだなー、お前! 日本でおめでたって言ったら、普通は赤ちゃんができたってことだろうがよ」真太が得意げに言った。

「ええー! そうなのか。それはおめでとう、真太」

 隣でくすくす笑っている真理亜だった。そして彼女は言った。

「私、まだ二か月ですし、大丈夫ですので、行きます」

「えっ、お前、大丈夫なのか?」心配する真太。

「平気よー。行かせてください」

「では、香港への潜入と芹澤希望の救出を飯島氏、中島氏、村田氏の三人に、ウイグルへの潜入と実態解明にモハメド氏、マクガイア氏、津村氏の三人と、実はもう一人いるんだが、ここではその人物の名前は明かせないので、あしからず」和磨がそう言った。「ただし、中島君の容体次第では、彼女にはすぐに日本に戻ってもらうことにするからな」


「俊作、これから中国に行かなくちゃならないんでしょ? しばらく会えないのよね?」帰宅した俊作は瞳にそう言われた。

「もう知ってたのか。和磨さんから依頼されて、ウイグルに行くんだ」

「そうなの。……気をつけてね」


「……で、村田。どうしてアメリカ人のお前がここに呼ばれてたんだ?」堺市にある喫茶店で真太が村田に尋ねた。

「芹澤希望さんは人類の希望だ。当然、彼女を探し出そうと各国がやっきになっている。アメリカの製薬会社だってそうだ。御神乱ウイルスの治療薬を作り出す技術は、日本よりもアメリカの方が持ち合わせている。中国やロシアに渡すわけにはいかないだろ」

「なるほど、そこに日本政府が乗っかったわけか」

「そうさ、俺はアメリカ政府から依頼されて来ている。そして、アメリカのゲイル大統領に依頼したのが国連WHO本部って訳だ」


 中国の中南海、チェンがサオに聞いていた。

「あれから既に二年が経っている。消えたワンの情報について、まだ何も無いのか? 同志サオ」

「申し訳ありません。今、全力を挙げて捜査しているところです」

「石棺を獲得したまでは良かったが、その後、世界中に御神乱ウイルスを撒き散らしたことで、ただでさえ中国に対する世界の目は厳しいものになっておる。この後、何とか中国製の御神乱ウイルス治療薬を世界で最初に作り上げて、中国の実力を世界に示したいのだ」

「もちろんです! 同志チェン。何としてもワンと芹澤希望を見つけ出しますので」

「……ところで、シー・ワンの件だが」

 チェンにそう言われて、サオの顔が青くなった。

「どうしてあのときの画像が流れた?」

「申し訳ありません! それについても、現在、色々と手を尽くして調べてはいるのですが、なぜか彼女のSNSだけは、規制の網をかいくぐっているのです」

「規制のことよりも、どうしてあのときの画像なのかということだ! どうしてシー・ワンはあのときのリアルタイムの画像を、あそこで撮影できていていたのかということだ。いつ、誰があそこで撮影をしていて、その画像をどうやってシー・ワンは手に入れたのかということだ。そっちの方が問題だとは思わんのか」

「そう言えば、そうですな……。中国共産党内にシー・ワンへの内通者がいるとか?」

「そこも調べておけ」

「了解しました、同志チェン。ジャーナリストへの自分勝手な報道は、国民の一体感を損ねます。多様な見解、自由な表現は統一感を欠落させます。言論も報道も党の指導のもとに統制を強化します」

「ところで……。なあ、サオ、どうして君は、そんなに自由な表現が嫌いなのか?」

「そりゃあ、そうでしょう! 民主主義を標榜する連中の言ってることは、たいていは文句、言い訳、誹謗中傷であり、自己中心的で相手のことを考えない言い分でしかありません。彼等には、古代中国から続いている仁とか徳とか、礼義忠考などといった素晴らしい考えが欠如しております。彼らは自由な表現のもとにエロ・グロ・ナンセンスを好み、人心を低俗かつ間違った方向へと導きます。これを許すことは、国家としてどうかと思います。個人の自由な欲望は、国家に乱れた秩序をもたらします。秩序こそが正義であり、秩序を乱す行為は、悪に他なりません。また、多様というものは、優れた思想、最も優れた正義のもとに国民の心を一つに統一しようとする政策には、邪魔なものです」

「なるほど」

「また、自由は、決して楽になるものではありませんし、幸せをもたらすものでもありません。選択肢が多いことは苦痛です。自由な社会というのは、人民に対して常に自己責任を強いるものでしかないです。だったら、最も優れた思想、最も優れた正義というものを国家が人民に与えてあげれば良いだけです」「中国は、確かに豊かに豊かになりましたが、自由主義経済を導入したことで、国民の間には、汚職、不倫、SNSでの誹謗中傷がはびこり、企業は貪欲に営利をむさぼるようになりました。ですので、これらを党の徳による教育のもとに、今一度きちんとした社会に戻すのです」

 サオは得意げに、ここぞとばかりに弁舌をふるった。

「それで、君は最も優れた正義の考えに全員を同化してしまえば良いと、君は考えるのか?」

「そうですとも! そして、その最も優れた思想をお持ちのリーダーこそ、あなたです。同志チェン。あなたの人徳が中国を良い方向へと導くのです」

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