第5話
「皆さんもご存じのように、今から一年近く前のこと、東京が消失した直後のことです。中国軍とアメリカ軍は、御神体である石棺をめぐり、大戸島で激しい戦闘状態にありました。結果として、中国軍が赤井社および青井社の二つの石棺を持ち出すことことに成功したのですが、このとき、ある中国の部隊が芹澤昭彦博士の家に押し入り、そこにあったと思われる数々の研究結果を持ち出ししたものと思われます」
「ああ、あの芹澤博士か。眼帯の」真太が言った。
「そうです。実は、我々WHOは、その後の大戸島を調査に入ったのですが、瓢箪湖の横にあった山根、緒方両博士たちのバラック建ての研究棟から、あるUSB端末を回収しています。そこには、芹沢博士が書いた物と思われる研究メモを写した画像が記録されておりました。その内容をここで映し出します。
大戸島における風土病についての一考察
芹澤明彦
大戸島の人々のオオトカゲ形状へのメタモルフォーゼは、瓢箪湖に水の中に存在するウイルスによると考えられる。瓢箪湖(淡水湖)は、この島における閉じた湖である為、ウイルスが外部に流出しにくかったものだと考えられる。
尚、ウイルスは、淡水、海水にかかわらず、水を媒介として拡散する。
ウイルスは、大戸島の赤井社および青井社に御神体として保存してある隕石に存在していたと思われる。
赤井社付近のウイルスと青井社付近のウイルスには、若干の差異、および対称性が見られる。しかし、この対称性が、なぜ、どのようにして生まれたのかは不明である。
感染・罹患
このウイルスは、水を媒介して感染拡大する。
両親がキャリアである場合、その子もキャリアとして生まれる。
しかし、どちらか片方のみがキャリアである場合、子どもがキャリアとして生まれてくる確率は下がる。
発症
発症は、恨みや憎しみを伴う強い怒りによって発症する。強い怒りにより、ウイルスが活性化、細胞を変化させていくものと考えられる。
この「強い怒り」という意味であるが、主に人と人どうしの恨みによって引き起こされる怒りであり、より大きな集団的な怒り、例えば、思想闘争によるものとか、イデオローグによる差異によって発症するなどということは、認められない。
大戸島ウイルスの発症システムの解明については、いまだよく分からないことが多いが、おそらくは、怒りによる心拍数、脈拍数、体温、およびアドレナリン等のホルモンの急激な変化が、ウイルスにある変化をもたらし、それによって、特殊な酵素(これを御神乱酵素と名付ける)を生成、それが細胞を変化させていくものだと推察される。
経過
●赤井社付近のウイルス(以下、赤ウイルスと言う)に罹患している者が、発症する課程
初期症状:背中の脊髄に沿ってほの赤い点滅がはじまる。この点滅は、数週間を経て強くなっていく。
数週間後:同時に、脊髄は光りながら柏の葉の形状に大きくなっていき、これとともに、脊髄は尻尾のように後方に伸びていく。
顔面は、怒りの形相のように変化し、口が裂けていく。身体は全身が鉄のように固い鱗で覆われていく。
●青井社付近のウイルス(以下、青ウイルスと言う)に罹患している者が、発症する課程
初期症状:背中の脊髄に沿って青白い点滅がはじまる。この点滅は、数日を経て強くなっていく。
あとの課程は、赤ウイルスと同じであるが、青ウイルスの進行の方が、赤ウイルスよりもはるかに早い。
恨みのターゲット・捕食
発症し、オオトカゲ形状にメタモルフォーゼした者は、その恨みの対象者を襲い、捕食しようとする。
尚、メタモルフォーゼした患者は、その大きく変形した身体を維持するために、人、動物など、目につくあらゆるものを、手当たり次第に捕食しようとする。
核融合反応の可能性
赤ウイルスを発症した患者と青ウイルスを発症した患者が、もしも激しくぶつかることがあれば、核融合反応が起きる。この理由については、私は物理学が専門ではないので、仮説でしか述べることができないが、御神乱酵素のやりとりしているものが、地球上の生物でよく見られる水素イオンなのではなく、重水素である可能性が高い。しかし、この重水素がどこから由来したものなのか、御神乱酵素が作りだしているものなのか、御神体である隕石に由来するものなのか、それは分からない。ただし、仮説として、激しい怒りにおいて、この体内にある重水素が常にプラズマ状態になり易くなっているいるものと思える。
赤ウイルスと青ウイルスについての研究は、常温核融合の実現をはらんでいる。これはこれで素晴らしいことではあるが、気をつけるべきは、これが覇権的国家とかテロリストの手に渡ることだ。したがって、このことは封印すべきであり、科学者は、むやみに研究に着手すべきではない。
鎮静化の可能性
大戸島のウイルスに罹患・発症した者を治療する手立ては、現在のところ無い。
しかし、理論上では、怒りによって変異した細胞を、何らかの方法で鎮静化することさえできれば、心拍・脈拍・体温などは連鎖的に鎮静化していき、もとの身体にもどるはずである。ただし、この場合でも、患者が相変わらずキャリアであることに変わりはない。
理論的な話ではあるが、この鎮静化する現象が起きるときには、変異した核細胞内に蓄積されたエネルギーが空中に放出されるはずである。それは、結果として、同化の為に捕食したたんぱく質が、水素、酸素、炭素、窒素の各単体分子として空中に放出されることが想定される。
ワクチン・抗体
私は、十七年ほど前、大戸島の住民より採取した抗原よりワクチンを作りだすことに成功した。私は、このワクチンを生まれたばかりの私の娘に摂取している。既に大戸島ウイルスの抗体の保有者となった私の娘は、今のところ罹患していない。
大戸島の住民は、私の娘を除く全ての住民が大戸島ウイルスのキャリアであるため、ワクチンを接種している者はいない。新生児へのワクチン接種を提案してもみたのだが、御神乱信仰のためか、住民はひどくワクチンの接種を拒んだ。
治療薬
現在、大戸島ウイルスを治す治療薬は存在しない。しかし、私の娘は、世界で唯一、このウイルスに対する抗体保持者である。この私の娘の身体の中に存在している抗体からのみ、治療薬は作れるはずである。いや、治癒する方法は、これしかないのである。
最後に
私が大戸島に来て、既に二十年以上が経とうとしている。この島に来たとき、当然、私は大戸島ウイルスのキャリアではなかったが、最近になって、どうしようもない怒りを覚えたときなどには、ときとして私の背中も光るようになってきた。長い時間この島の水にさらされれば、さすがに罹患してしまうようだ。
ただ、前述の通り、私の娘は、乳児の段階でワクチンを接種しておいたせいか、いまだに背中が光ることはない。
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