第2話

 ワンは、ハーをジャオに引き合わせた。

「はじめまして。トニー・ハーと言います。VR担当です。スティーブ・リーの会社から派遣されてきました」

「ああ、君が……。ジャオ・ユー・チェンだ。細菌学と核融合が専門だ」

「生物学と物理学の両方がご専門なんて、すごいですね! 生物と物理は、自然科学の中でも最も関係性の薄い学問だ」

「そうだな。ま、本当は、その間をつなぐ化学分野も得意なんだがな」

「そうなんですね!」

「ま、そういうことだ。私も、それに私の恩師の芹沢博士だって、専門は細菌学だ。ところが、このジャオという男は、マルチタイプの非常に稀有な科学者なんだ。一つ、よろしくな」ワンが言った。

「ハー、君には、何かVR以外に得意なことがあるのかい?」ジャオが言った。

「そうですね、ま、あえて言えば、金儲けでしょうか。実は、私、政治とかイデオロギーとか、全く興味がないんですよ」ハーが言った。

「おいおい、そうなのか?」ワンが言った。みんな笑っていた。

「実は、スティーブ社長って、政治信条とか信念とかにこだわる人でしょ。それで、たびたびぶつかることも多くて……」ハーが言った。

「え、じゃあ、何か? 君はスティーブ社長から厄介払いされてここに来たって言うのか?」ワンが聞いた。

「さあ、それはどうか分かりませんけど……」


 その頃、芹澤希望は、同ビルの中にある彼女の部屋の中にいた。

 少女趣味に飾られた彼女の部屋。そこに設置された大型テレビでは、大阪への度重なる御神乱の襲撃が映されており、その日は、日本の自衛隊の攻撃ヘリが米軍の攻撃ヘリを撃ち落としたというニュースで持ちきりになっていた。


 その日、世界中で真理亜が降臨した。

 北京の天安門広場前にも、何体もの御神乱が押し寄せてきていたが、出て来たチェン国家主席が御神乱たちの前で土下座した。すると、たちまち、御神乱がピンクや青の光に包まれていった。

 この日もワンと希望は香港のビルの中にいた。外では大規模なデモが連日繰り返されていたが、そんなことには目もくれなかった。それは、このビルにいるハーやジャオも同じことだった。この日、希望はずっと部屋の中にいた。

 同日、夜、香港では、香港政庁にまわりを、二十万人を超える大群衆が取り囲んでいた。政庁の屋上で暴れまわる御神乱。そこに長官が現れて土下座を行った。ピンク色の光に包まれて、マギー・ホンが人の姿に戻って行った。


 ワンと希望が消えてからおよそ半年が経っていた。ワシントンⅮ・Cでの真理亜の事件の後、世界には、表向きは平和な世界が訪れていた。それは、地球上の全ての人類が抑止力を持つ世界であった。人々は自己の怒りのバロメーターを光によって表せるようになった。そうして、それが暴走しないうちに、怒らせている側が謝ることも慣例化していった。人々は、人を怒らせぬよう、また、うっかり怒らせた場合は、謝罪するようになった。相手に発症でもされると、自分の身が危ないからだ。結果、人々は、とりあえず笑うようになった。大戸島の人々がそうであったように。そしてまた、怒らせぬよう、相手を過度に気づかい、自分の気持ちを滅し、相手に忖度さえするようになった。松倉のように。しかし、人々は、決して優しくなったわけではなかったし、おおらかになったのでもなかった。人々は、単に我慢するようになっただけだった。

 怒りを我慢するようになった人々、許し合う人々、でも、それで問題は本当に解決したことになるのか? 相手の気持ちを推し量り、笑ってばかりで良いのか? 相手の気持ちを忖度して、本音を言わず、我慢してばかりで良いのか? 地球は、今や大きな大戸島のようなものになっていた。その大戸島だって、色々あったではないか。

 そんな世界にあって、御神乱における罹患と発症についての法整備も同時に進めらた。

 残った御神乱、すなわち、元に戻れない人々については、国によっては処分された。それを恐れ、残った御神乱たちは森の中や海の中へと消えた。

 ヒトが発症して御神乱にメタモルフォーゼすることは病気とみなされた。したがって、御神乱が人を殺したり、人を食べたりしても罪に問われることはないとされた。逆に、御神乱は人であるので、ヒトがこれを殺すことは殺人罪に当たるとされた。それでも、大切な人を御神乱に食われて納得しない人々は多くいた。しかし、彼らもまた、再び御神乱化されるのが怖いから怒れないのであった。


 クルムはアメリカに帰ってきていた。ルークと再会したクルムは、ニューヨークで幸せな暮らしを送っていた。

 村田はというと、軍隊を除隊してロサンゼルスにある両親が経営している日本料理店を手伝っていた。彼はこの店を継ぐつもりなのだという。


 その後、日本は少しずつではあるが、復興に向かって歩み始めていた。ゲイルの約束の通り、アメリカの占領政府は撤退し、従来通り、米軍は日米安保条約の範囲内での駐留のみにとどまっていた。

 暫定政府は新日本政府として生まれ変わったが、様々な法整備はまだまだこれからといった感じだった。やるべきことは多く、内閣の各大臣は、とりあえずはそのまま引き継がれていた。当然、井上和磨は外務大臣として、日々忙しく動き回っていた。


 瞳はヒトの姿に戻った後も、相変わらず事務所に姿を見せないでいた。仲間のみんなは、瞳のことが気になっていた。

「瞳、相変わらずここに顔を出さないわね」美姫が心配そうに言った。

「あんなことになったんですもの。精神的にも色々ときついことがあるんじゃないかしら」彩子が言った。

「ねえ、俊作、何か聞いてないの?」美姫が俊作に聞いた。

「いや、実は、俺は毎日彼女のアパートに出向いてるんだけどね……」

「ええー、そうなの!」

「ああ、でも……、会ってくれないんだ。ドアホンの向こうから、会いたくないの一点張りなんだよ」

「そうなんですね。それは俊作さんも心配ね」彩子が言った。

「……ええ」かなり参っている感じの俊作だった。

「いいわ。今後、私、彼女のところに行ってみる。そして、何があったのか、瞳に聞いてみる」美姫が言った。「何か分かったら、俊作にも教えてあげる」


 美姫は瞳のアパートへ出向いた。

「お願い、瞳、出てきて。みんな心配してるのよ」美姫は瞳の部屋の玄関横にあるインターホンで呼びかけていた。

「帰ってください」そっけない瞳の返事が返ってきた。

「どうしても、話せないことがあるのなら、私にだけでも会って話してよ」懇願する美姫。

 しばらくすると、ゆっくりと玄関のドアが開き、瞳の姿が現れた。

「瞳! その姿は……」

 美姫が驚いたのも無理はなかった。瞳の下腹部は膨らんでいたのだ。


 美姫は、瞳を近くの喫茶店に連れだして話を聞いていた、

「……でもね、やっぱり俊作にはちゃんと話をするべきだと思うわ。彼だって心配してるし……」美姫は瞳にそう言った。

「でも……」

「そりゃあ、彼にとってはショックなことだとは思う。けど、俊作のことだもの、きっと瞳に寄り添ってくれるわよ」

「……」


 俊作は、堺市内にある某喫茶店で瞳と会っていた。瞳が俊作を呼び出したのだ。

「ごめん、俊作、驚いたでしょ? ごめんね」瞳が俊作に言った。

「……で、誰の子なの?」俊作が瞳に聞いた。「もしかして、俺の子?」

 しかし、瞳は首を横に振った。

「じゃあ、三千男とか……。まさか! あのアメリカ兵か?」

 すると、首をはげしく振りながら瞳は声を荒げた。

「分からない! 分からないのよ!」

「あ、ごめん。……ごめんね」

 瞳の瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。俊作は、何と言ってよいのか分からず、ただ、そこに黙っていた。

「どうして何も言ってくれないのよ!」

「いや、だって……。ごめん、瞳、少し考えさせてくないか。頭の中が混乱してるんだ」

「何を考えるのよ! 私はそんな答を聞きたかったわけじゃないの」

 泣き続ける瞳だった。

「また必ず話をしに来る。俺にだって、少し時間が欲しいんだ」

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