大戸島の娘 第三部 光らぬ子

御堂 圭

第1話

大戸島の娘 第三部「光らぬ子」(前編)


 二年前の、大戸島から御神体が奪われた例の日の朝のことだった。東の海原に中国の艦隊が現れた。大戸島で中国軍とアメリカ軍が御神体を奪い合う為に戦闘状態になることになる、あの日の朝ことだ。

「あ、あそこだ」アメリカ軍豚との激戦の末、中国軍のある部隊が赤井社に到達した。

「お前らは、あそこの青井社の方へ行け。俺たちは赤井社にある石棺を持ち出す」

「了解です」

 その日、大戸島にあった二つの石棺の奪取作業を終えた中国軍は、海岸の揚陸艇へと引き上げていた。

 帰途、一軒一軒しらみつぶしに家を調査していく中国軍のある部隊。その舞台に同行していた細菌学者の王宇航(ワン・ユー・ハン)が、芹澤という名の家を探していたのだ。

 そうして、彼らはとある家に踏み込んでいった。その家には六畳ほどの離れがあり、そこにはビーカーや試験管や、その他にも様々な実験機器が置いてあった。また、数々の研究ファイルやらメモらしきものが棚に整理されて並んでいた。そこは研究室らしかった。中国の兵士は、今度はキッチンに踏み入った。流しの下の床の上にはボウルやフライパンやバケツが放り出してあった。流しの下の扉を開けると、そこには膝を抱えてうずくまっている一人の少女がいた。彼女の背中は光っていなかった。なぜかあまり笑わなかった少女、当時一八歳になっていた芹澤希望である。希望は、とっさに手にしていた日記を毛布の間に押し込んだ。

「先生を呼んで来い」兵士は部下にそう言った。

「王(ワン)先生! 王宇航(ワン・ユー・ハン)先生」そう叫びながら、兵士の一人がワンと呼ばれる男を呼びに行った。

ワンがやって来た。彼は、しばらくじっと少女を見ていたが、やがてこう言った。

「連れて行け」

希望は身体を震わせながらも、中国軍の指示に従った。


 芹澤邸を荒らしまわる中国軍、彼らは芹澤の研究室から様々なものを押収していった。

「ワン先生、こんなものが……。先生は日本語がお読みになれるのですよね」

 兵士の一人がワンに差し出したものは、芹澤教授によって書かれた、とある研究メモだった。ワンはそれを無言で目を通していた。そして、一通り目を通した後、ポツリとつぶやいた。

「そうか……、あの子が……」

「ワン先生、重要と思える一通りのものは、全て接収しました」兵士がワンに告げた。

「よし、引き上げよう」

「了解です」「おーい、撤収だー!」


 中国への帰途、揚陸艦の中で、ワンは幽閉されている希望の部屋に何度も足を運んでいた。

 そして、揚陸艦が、その目的地である青島軍港にまもなく到着しようとする前の日の夜のことだった。真夜中、人知れず、救助用のエンジン付ゴムボートが海面に降ろされた。そこにいたのは、数人の男性と女性が一人。彼らは救助用ボートに乗り込むと、荷物を積み入れた後、揚陸艦を離れて闇に包まれた夜の海の中、どこかへと消えた。

 翌日、ワンとその部下数名、そして芹澤希望の姿が艦内から消えていた。また、芹澤邸から接収されていたもののほとんどもいっしょに紛失していた。艦内は大騒ぎになっていた。


「同志チェン、大戸島から帰還途中の揚陸艦からワン教授の姿が消えました」曾浩宇(サオ・ハオ・ユー)中国人民解放軍司令官が陳浩然(チェン・ハオ・ラン)中国共産党国家主席に言った。

「なに! ワンが」

「はい。まもなく青島に入港というところだったのですが、前の晩、彼と彼の部下数名が脱出用救命ボートで船を出て行ったみたいなのです」

「理由は何だ?」

「今のところは、何も分かっていません。だた、同じ艦の乗組員の証言によれば、ワン教授は大戸島で十七か八くらいの少女を救助して、同艦に乗せていたとのことです。そのことと何か関係があるのかもしれません」

「そうか、何としても探してくれ」

「はっ、同志チェン」


 中国のティックトッカー、シー・ワンQのSNSが更新された。

「大戸島から石棺を盗んで帰る途中の揚陸艦から、ある生物学者の姿が消えたわ」

「彼の名前はワン・ユー・ハン。大戸島からある若い女性を連れ去っているわ」

「例によって、中国政府はこの事実を隠しているけどね。みんな、何か情報があったら教えてね」


 ワンと希望の二人は、中国のとある都市の安アパートの一室で、名前を隠しながらひっそりと暮らしていた。その頃、テレビの中では、日本の大阪での御神乱出現とアメリカに巨大御神乱が上陸したというニュースで連日持ち切りだった。しかし、ワンはそんなニュースには目もくれず、日々、何かを研究をしているようだった。

 ある日、ワンは大学の後輩である物理学者の趙宇辰(ジャオ・ユーチェン)に連絡を取っていた。

「ワン先輩! どうされたんですか? 確か、あなたは香港での民主活動家を辞めて中国共産党に入党、しかも人民解放軍に配属されたはずでは?」急なワンからの電話に驚いたジャオが言った。

「ああ、状況が変わったんだ」

「一体、どうされたんです?」

「実はな……」ワンは、芹澤邸で発見したものと、それについての自分の見解をジャオに説明した。

「ふーん、それが本当だとすると、すごいことになりますね。今、問題になっている御神乱ウイルスを治療することもできるかもしれない。そうなれば、ノーベル賞もんですよ!」

「いや、俺はそんなことを考えているのではない。もっとすごい可能性があるんだ」

「もっとすごい可能性、……ですか?」

「ああ、つまりな……」何やら説明し始めたワン。

「何ですって!」ワンの言うことの意味を理解したのか、驚きの声をあげるジャオ。

「ああ、だから、お前のその才能が必要なんだ」

「そ、それで……、私にそれを手伝ってくれと……」

「ああ、そうだ。香港の自由の為だ」

 ワンの傍らでは、無表情の望みが座り、このやり取りを聞いていた。

 アパートにあるテレビの中のニュースは、ロスアンジェルスに出現した御神乱と廃墟と化していく大阪の市街地を映し出していた。


 御神乱ウイルスによるパンデミックに世界中が襲われた。連日、各地で起きる御神乱のニュースで賑わっていた。

「これじゃあ、ワクチンの製造・販売は中止だな」ワンがジャオに言った。

「そうですね。全世界がウイルスに罹患した状態じゃあ、もはやワクチンの存在意義はない。中国政府も、全く余計なもんをまき散らかしてくれたもんだ」ジャオが言った。

「計画変更だ。白ウイルス一本でいく」ワンが言った。

希望は黙り込んでいたが、目の奥には、何やら怒りの炎を燃やしていた。


 その後、ワンは研究の資金源を得るために、香港からアメリカに亡命したスティーブ・リー(李)とサンディ(陳)に電話をかけた。スティーブはIT事業で成功した実業家であり、サンディは海運業を営んでいた。

「お前の言うことは分かった。支援しよう。しかし、これは香港の独立のためだからな」スティーブは快諾した。

「ありがとう。お互いに他言は絶対に無用で頼む」ワンが言った。

「ああ、もちろんだ。それから、うちで働いているVR開発担当のトニー・ハー(夏)という男がいるから、彼をそっちで使ってくれ。きっと良い成果が得られると思える」

「そうか、ありがとう」


「あなたの言うことは分かったわ。資金の援助についても承諾したわ。でも、それって香港の独立のためよね?」サンディが言った。

「ああ、もちろんだ」

「だったら、香港にある私の使ってないビルを使っていいわよ。昔は海運業で使ってたものだけど、もう古いから放ってあるの」

「分かった。恩に着るよ」

 ワンの隣で、希望が聞き耳を立てていた。もう既に最近の彼女は、簡単な広東語であれば理解できるようになっていた。

 部屋の中にあるテレビでは、大阪の大規模なデモの様子を映し出していた。この頃、大阪でのデモは日に日に過激さを増していっており、俊作は逮捕された。また、ほどなくしてクルムとリウも収監された。


 香港にある旧海運業の古ぼけた十五階建ての大きなビルがワンの研究所になっていた。中はかつてのクーロン城よろしく迷路のようになっており、表からはそれと分からないが、一歩中に入れば、小火器を持った軍隊あがりの屈強な男たちが要所要所を監視していて、さながらそこは要塞のような体を成していた。


 ビルの一室に設けられた研究室の中、ワンがジャオに声をかけた。

「どうだ? ジャオ教授、研究の具合は?」

「ワン教授の見立て通りですね。やはり、反応があります」

「そうか。……で、それを生態的に埋め込むことは可能か?」

「おそらく可能かと思います。あと二年ほどの期間があれば」

「二年か……。完成形態はどんな形になる?」

「新たにウイルスを注射することで、変異は可能になります」

「そうか、分かった」

 そう言うと、ワンは研究室を出て行った。


 そのビルに一人の男が入って行った。

「トニー・ハーです。ワン先生にお会いしに来ました」

 男は入口のところでそう告げると、ガードマンに導かれるように中に入って行った。そうして、奥まったところにある部屋のドアの前で、ガードマンに言われた。

「ワン先生は、お待ちかねです」

 ドアを開けて入って行くハー。

「君か? スティーブのところから送り込まれたてってのは」ワンがハーに向かってそう言った。

「はい。トニー・ハーです。よろしくお願いします」

「VRについてのプロフェッショナルだと聞いている。期待しているよ」

「はい、ありがとうございます」

「では、さっそくだが、君にやってもらいたいなんだがな……」

 ワンは、これからハーに任せる仕事の内容について、彼に説明をし始めた。

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