短編① 山手線

山手線



 それはダムの様。溜めていた水を一気に放出するがごとく停車するやいなやすぐさま駅のホームは人で溢れかえった。足早に階段を下っていくもの、耳につく甲高い声で話しながら歩くもの。まるで休日昼間のファミレスのように人の声や足音が合わさり、恐らく学年最下位になるであろう合唱を繰り広げている。

 その津波を一瞥した後ゆっくりと中に入り、空いている席に座った。首につけたヘッドフォンを装着し、銀杏ボーイズの「銀河鉄道の夜」を流す。別にゴイステの方でもよいのだが

 こちらの方が音質がいい。サビはゴイステの方が好きだが聞いているとこちらの方にも愛着がわく。その丁度Aメロに差し掛かったところで電車は出発した。

 ギターとベースとドラムと峯田。それに加えて車輪の音。ガタゴトとなるその音までもが音楽の一部であるかのように音を刻む。しかしその音は次第に小さくなり最後には消えていった。それと同時にヘッドフォンから流れる音が跳ね上がる。

 たまらなくなり音量を下がるが一向に下がらない。丁度「ハロー今君に素晴らしい世界が見えていますか」という部分だった。

やけになりヘッドフォンを耳から外しす。すると爆音で響いていた音楽は一切の影も見せず、ただ車輪が奏でる音しか聞こえない。

 ふと外正面の窓に目を向けるが反射して間抜けな自分の顔しか映っていない。その反射が一人の影を捉える。その人物は私の隣に座った。

そこでふと疑問に思った。どうしてこの人は私の隣に座ったのだろう。見渡せばこの車両にいるのは私たち二人だけ。にもかかわらずこの人は私の隣に…。私たち二人だけ?

 おかしい。こんなことはありえない。だってここは。

「今、あなたには素晴らしい世界が見えていますか?」

 不気味な声が横から聞こえてくる。この空間には私と声主だけ。であるならば必然的に声主がいう「あなた」とは私のことだ。

「どういうことですか?」

 私は言った。

「そのままの意味です。あなたには素晴らしい世界が見えていますか?」

 彼は言った。

「それは…、どうでしょう」

 沈黙はアナウンスが破る。どうやら次の駅に着いたようである。私の目的地はここではなかったがどうやら彼の目的地であったようでそれ以上何も言わずに降りていった。乗車するものはいなかった。

 車両に一人取り残され、先ほどの問いに思考を巡らせる。一体「素晴らしい世界」とは何だろうか。何をもって「素晴らしい」とするのだろうか。親がいて、大学に通い、バイトをする。貯めたお金で休日には服を買う。これは果たして「素晴らしい世界」なのか?何の目的も持たず同じ毎日を繰り返す。楽しい。楽しいのは確かだ。だが私はまだ何も為していない。私が生きてきたというこの轍はきっと誰にも知られない。友人の心に少しだけかすり傷を付けているくらいだ。

 果たしてこれは「素晴らしい世界」なのか。

 否。全くの否だ。そんな代わりの利く世界など素晴らしい世界なはずがない。

 答えが出たころに電車は次の停車駅に止まった。恋人と見受けられる二人が乗車してきた。彼らは私の正面に座った。ドアが閉まり、再び走り出す。

 そうだ。私には恋人がいない。これでどうして「素晴らしい世界」と言える。一度でもいい。一度でいいから「愛」を知りたい。私の全てを曝け出し、彼女の全てを曝け出す。時には獣のように互いを求め合いたい。私は彼女にとって代えの利かない存在となるのだ。そうすればそれは「素晴らしい世界」と言えるのではないか。

 だが「愛」とは何だ。

 正面の恋人たちに目を向ける。彼はギターを抱えながら愛を謳っている。彼女はそれをうっとりといた顔で見ていた。

 これが「愛」か。これが私の求めていたものか。そんなはずはない。私は一人でも生きていけるのだ。誰かに頼るでもなく、依存するでもない。私の価値は私だけが決められるのだ。その権利を他人に譲渡する気などこれっぽっちもない。

 なら私は「愛」などいらぬ。

 答えが出たころに電車は次の停車駅に止まった。恋人たちは仲睦まじく降りていく。彼らはこれから何をするのだろうか。どこに寄るのだろうか。いやそれよりも果たして彼らはあとどれくらい続くだろうか。

 くだらない妄想を吐き捨てる。電車が出発した。

 再び車輪の音が聞こえる。またしても私一人になった。一体この電車はどこへ向かっているのだろう。私はどこへ向かっているのだろう。現状に満足せず、普通の「愛」を理解出来ぬ私はどこへ行きつくのだろう。行き先の見えぬこの電車はどこへ向かう。

 突然ドアの上に貼り付けられた電光掲示板が光りだす。

『次は○○小学校』

 懐かしい名前が表示される。記憶などほとんど残っていないが心には残る懐かしい感情。走り回ったあの頃。皆が服を何重にも着込む極寒の中で半袖半ズボンをかたくなに着続けたあの頃の私。

 だが停車したところで何も起らなかった。

『次は△△中学校』

 これは私でも微かに覚えている。部活の顧問、先輩、後輩。何より同級生の仲間たち。今では地元に帰れば一緒に酒をかわす。片田舎に洒落た居酒屋やバーなんかないもんだからいつも知り合いが営む宴会場だ。その後は昭和のスナックのようなカラオケ。本人映像なんかあるわけないからいつも安っぽい映像と共に歌い明かす。

 それでも停車したところで何も起きない。誰も乗車しない。

『次は□□高校』

 あぁ嫌な記憶が蘇る。高校生活において私は部活動しかなかった。本分である勉学も高校生の特権である甘酸っぱい青春も全てをゴミ箱に捨て、これに懸けていた。それでも何も得られなかったのだ。監督の怒鳴り声、チームメイトの視線。何より私が私に向ける失望の視線。世の中にはもう一度高校生に戻りたいなど馬鹿げたことを宣っている奴がいるが、私からしてみれば愚か者という他ない。少なくとも私はあの地獄のような日々はもう送りたくない。

 電車が止まる。なかなか出発しなかった。早く出発してくれ。ここは、ここにだけは止まりたくないのだ。早く過ぎ去ってくれ。

 そのドアが閉まる数瞬前。全速力で乗車してきた人物がいた。息を切らしながらその者は息を整えるようにしてゆっくり歩き、私の隣に一つ空席を作るように座った。

『次は☆☆予備校』

 この一年は楽だった。勉強さえしていればいいのだ。誰に迷惑をかけるわけでもない。私の失敗は私の失敗で終わる。たとえ結果が出ずともそれによって苦しめられるのは私だけなのだ。なんて楽な日々だっただろう。

 電車は止まるとすぐに出発した。

『次は「  」大学』

『次は      』

 その表示と共に電光掲示板は砂煙を起こしたかと思うとすぐに黒い画面に戻った。

 電車は止まらない。永遠に走り続ける。用意されたレールの上を規則的に、守られた速度で、決められた時間通りに到着するように走り続ける。

 一体誰が用意したのだろう。世界有数の大都会東京で張り巡らされる路線図は一体誰が定めたのだろう。一体誰が。

「誰でもいいじゃないか」

 急に聞きなれた声が横から聞こえる。そうだ。そう言えば一人乗客がいたのだった。

「そんなこと考えてもしょうがないだろう」

 お前に何が分かる。今までは進むべき行き先が与えられ、その通りに進んでいた。そこを進むだけの燃料はあった。だが、行く先がなければ、そこにレールがなければ電車は走れないのだ。

「ならこれからもそうすればいいのではないか?」

 これからも?そのレールの上を?だが行き先がない。

「それは甘えだ。他のやつを見てみろ。働き口を探すために嘘で塗り固めた自分を誇示している。お前もそうすればいいじゃないか。簡単なことだろう?それがこの先を進むための条件だ。必要なんだよ。この古ぼけ、傷だらけで、いつ壊れても不思議じゃない車両から次の車両へ乗り換えることが。この車両はもうすぐ終点だろう」

 暗に伝えてくる。その冷たい口調が自分の我儘に気付かせようとしてくる。

「その癖にこの車両は何も得られなかった。ただ決められた場所へ運ぶことしかできない。

だがそれが電車の役割だ。その役割を全うしただけだろう。なんとも素晴らしく、つまらない車両だ」

「素晴らし」くもあり「つまらない」。「素晴らしい」ことと「面白い」ことは両立すると思っていた。だが違う。世間的には「素晴らし」く、「面白」くても当の本人はつまらないと感じているかもしれない。物足りないと感じているのかもしれない。

「ならどうするというのだ。お前は悪態しかつかない。そんなこと誰にでもできることだ」

 気付けば私は声を出していた。

「簡単なことだ。今まで通りレールの上を走るしかないだろう。お前には何もないのだから。自分を騙し、満足しない人生を送ればいい。自分に言い聞かせ、普通を生きればいい。そうすればお前は人並みの幸せを得られるだろう」

 その言葉が鉛のように我が身を深淵に連れ込む。傷だらけの車両は酷い金属音を上げながら走り続けている。

「何を迷う?お前はそうやって生きてきたじゃないか。それに物足りなさを感じながらも騙し騙し生きてきたじゃないか。これからもそうするだけだ。」

 言葉に詰まる。もうそこまで出てきているのにこの言葉を口にしてしまえばもう引き返せない気がした。その勇気が私にあるのか。

「それは一時の迷いだ。やめておけ。なんだそれともそれを否定するだけのモノがお前の中にあるのか?」

「迷っている時点でその程度ということだ。お前が普通ということだ。選ばれた人間は、それに生きる人間は迷わない。失敗した時のことなど考えない。考えたところで意味がないことを知っているからだ」

 そうだ。そうだとも。私はどう足掻いてもその域を越えない。どの分野でも常識人の域を出ない。だがこいつは誰だ。現実を突きつけ夢を捨てさせるこいつは誰だ。親か。大人か。世間か。違う。私自身だ。私自身が言い訳を並べ、動かない理由を探し、普通を強要する。私自身が自分に言い聞かせているのだ。危ない道は進むなと。

 それならば。そうであるならば。

 私は立ち上がった。その時電車の速度が上がったが身体がぐらつくことはなかった。

「いいのか。そちら側へ行こうとお前が成功する可能性はゼロに等しい。それでもいいのか」

 私はその言葉を真正面から受け止め先頭車両へと走り出す。

 この身体を動かすのは心の奥底に沈められた馬鹿げた夢への羨望か。煽られたことに対する子供じみた怒りか。今はそんなことどうでもいい。たとえこれが一時の感情であろうと今ここで湧き上がる衝動と熱望と怒りが私の身体を動かすのだ。動く理由など、生きる理由などそれで十分だ。

 先頭車両にある運転席のドアを思い切りこじ開け中に飛び込む。まるで元から操作の方法が分かっていたかのようにブレーキをひたすらに殴った。

 電車は速度を上げとどまることを知らない。信号も無視しただひたすらに走った。円環を描く鉄の道から大きく外れ電車は空高く飛び立つ。

 さぁ走れ!走り続けろ!到着時刻?目的地?関係ない。関係ない!

 空を飛び、雲を突き抜け、大気圏を抜ける。空に煌めく星々をまたにかけどこまでも進んでいく。電車は熱を帯び、やがて燃え尽きようともその力の限り走り続ける。

「本当にいいのか?」そんな問いかけはもう聞こえない。

 良いに決まっている。私が求めているのは普通の幸せではない。そんなものを得るために走り続けるくらいならレールから外れてやる。他人から非難され失望され見放されようとも、私は真っすぐ進んでいくのだ。普通の幸せなどいらぬ。そんなものなら特別な不幸せを受け入れよう。

 銀河の果てにはオーロラが浮かび、蜂蜜に濡れた月が浮かんでいる。ガイコツが踊り、男が問う。「素晴らしい世界が見えていますか?」

 あぁ見えているとも。私は他の誰でもない私を想い飛び立つのだ。臆病な自分を隠し、口笛を吹きながら裸で駆けるのだ。涙などとうに枯れた。誰かの真似はもう散々だ。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 叫べ。進め。そして叫べ。

 果ても見えぬ空に、果てまで届くように叫ぶ。

 生まれて初めて生きている心地がした。

『次は池袋。池袋』

 唐突な無彩色のアナウンスに意識が戻る。

 そこは人にあふれた池袋駅だった。酔っ払いのサラリーマンが同僚に担がれながら乗車してくる。どうやら下車の波はとうに去っていたようで足早に降りる。乗車してくる人たちは遅れて降りる私にすこし嫌な顔を向けるがすぐに何事もなかったかのように電車のつり革を掴む。その最中疲れた顔の黒のスーツが似合わぬ青年が乗り込んでいくのが見えた。

 そうして明らかに定員オーバーの電車のドアは無理やり閉められ発車した。暗闇に消えていく電車をそっと見つめる。

 こうしてその電車は進んでいく。早朝の街を駆け、深夜の街を駆け抜けていく。私が下りたその電車は終点を知らないまま今日も回っていくのだ。

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短編① 山手線 @konnpass

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