シェパード

「今、シェパードを連れて来る」

 シェパード? 僕は、他の大型犬も思い浮かべた。ゴールデンレトリバー、ラブラドール、バーニーズ、グレートピレニーズ、ハスキー……魅惑的なが駆け寄って、飛び込んで来るイメージ。





 国立の研究機関で、最新鋭の研究班に招致されて、初日。

「ハイドロキシアパタイト製の人工骨材は、ステンレス製の骨材とは異なり、徐々に本来の骨組織へ置換ちかんされ、骨の再生を促していきます」

いずれ私は、本物の左手になれるということですか? シェパード博士』

 僕は、ギョッとした目を隠せなかった。

「本物とは何をもってして、そう呼ぶのか」

『私が……人間の生来の左手と、まるきり同じ成分に置き換わったら……つまり構成要素についてですね』

 僕は堪らず声をかけた。

「あの、シェパード博士……誰と、話されています?」

「私の左手と」

 ニコッと即答されても、意味がわからない。さっきから彼は独りで会話しているのだ。

 彼は左手の袖口を上げて、手首を見せてくれた。

「手首の関節を含む左手。これはバイオマテリアル(※生体内で機能を果たすために設計された材料。生体適合性、可滅菌性、機能性、耐久性が高い)の左手で、私オリジナルの部位はこの辺までです」

 彼はまるで継ぎ目のわからない手首を、指し示して見せる。

「私が平静を保った狂人のように会話している相手は、左手にあるAIエーアイであり、私の言語野へのアクセスを許可してあり、私の発声器官を介することも許可している」

「…………化け物、じゃないですか」

 僕はエイリアンを真っ先に想像していた。体内に侵入した地球外生命体に身体を乗っ取られる人間の、パニックムービー…………

「あはは。私の許可を越えて、私を侵食する?」

『興味ありませんよ』

「だそうだ」

「本当に?」

 序盤で命を落とすキャラクターは、いつだって軽率だ。

『私が万が一暴走しても、シェパード博士は手首を切断できるワイヤーをポケットに持っています』

 サラリと恐ろしいことを言う。そして、そんなものを持ち歩いて、即断実行に移せるシェパード博士が、いちばん怖い。

「骨部をワイヤーで切るのは大分力技になるから、そんなことは起きてほしくないですね」

 笑顔で聞きたい台詞じゃない。





 シェパード博士は、国家主体の研究機関で長年働くベテランだ。彼はおよそ労働に就かなくとも、生涯遊び暮らしても生きていける財閥クラスの出身だったが、その生まれに反して、人工人体部位生成のダイナミクス(※ギリシャ語のdynamisに由来。力、能力、潜在力を意味する言葉。現代では、動態、相互作用を表す概念として用いられている)に魅せられて、没頭する研究者となり、今に至る。

「何故、左手なんですか?」

 彼はふっと微笑んだ。

「左手をなくした人が居て、ずっとさみしいまま、ずっと妥協したまま、ずっと違うと思い続けて」

「義手に求め過ぎでは?」

「そんなことはわかっていますよ」

 彼はフラットに言った。

「そんな我儘の為に?」

 シェパード博士ともあろう人から、そんな甘い言葉を聞かされるとは意外だ。

「この仕事に従事する意義について、忘れずにいてください。国民の幸福を追求することが、最上の目的です」

 国立の機関が最上段に掲げるべき目的意識だった。そして、そのような希望を叶えるに足る、魔法のように見える技術力と資本が、この人にはあった。

「今は左手の試用運転期間中です」

 僕は素晴らしい人の後続育成に選ばれた自負で、胸がいっぱいになった。シェパード博士は、素晴らしく冷静にイカれた研究者で、僕は最高にツイている!





 シェパード博士が、何か口ずさみながら、ずっとタイピングしている。なにあれ。

「シェパード博士」

『しーーっ』

「タッチタイピング練習中です」

 彼が無作為に口にする言葉を、ひたすら打ち続けている。『タッチタイピング練習中です』も打たれた。時折、左手がつかえる。

「私の思考に干渉してはいけません」

 先読みして打とうとする左手を、彼がいさめる。

「あなたの行く先は作家の左手です。私も考えながら打ち込む時は速いので、ついて来てください」

『もう! それ以上お喋りはやめて。シェパード博士』

 左手は、律儀に会話分もキッチリ打ち込んでいる。端から見ていると面白い。僕は子供向けの絵描き歌を口挟んだ。見る間に、支離滅裂な文章が紡がれていく。なんて出来の良い左手だ。

『あっちへ行って!』





「その爪は必要ですか? シェパード博士」

『爪がないと、トントンってできないよ?』

 さも当然とばかりに返された。

「爪を含む皮膜と皮下脂肪、及び皮下組織は骨部のように生来のものへの置換は起きません。代謝機能を持たせた部位は開発中です。しかしながら、爪の持ち得るアイデンティティは無視していいものではありません」

 彼は右手の人差し指で、トントンと机を叩いてみせる。

「このアクションを一つ失うことは、主張手段の一喪失です。小さなことですか?」

『見て』

 左手が得意気に彼を真似て、トントンとしてみせる。ガラスの爪の有用性。

「モニター画面に使われる強化ガラスから、更に劈開性に強くしたものを用いています。デザインとしては、生来の爪へ寄せるよりは、ガラスの美しさを前面に出しています」

「爪、なのに?」

「機能的にはなくてもいい、ガラスの爪ですから」

 冷たさのまるでない合理性を示された。頭の良い人は、常に最適解の上を行く、最上の選択ができるらしい。

「シェパード博士! あなたのオリジナルの左手は……どうなってい」

 彼は冷蔵保存庫を見た。

「まさか……」

「手足くらいなら、いくらでも好きにできますよ?」

「…………そう、です、か」

 …………やっぱ、この人、大分イカれてる。





 僕は……イカした左手に興味津々で、手相を見るナンパ男の如く、シェパード博士の左手を繁々しげしげと観察……見学させていただいている。一見して、造形はシェパード博士の右手とほぼ同じ造り。…………にしても、シェパード博士の手は美しい。指が長くて、総体的には縦長なフォルムで、爪なんてマネキンの手のよう。蜘手くもてのような、或る種の気持ち悪さは微塵もなく、なめらかな皮膚感も、大理石から造られた彫刻のようでもあって…………こんな左手は、確かに喪失感を埋めて尚、愛着を持ちるに足る芸術作品のようであった。(こんな時に、芸術がもたらす情動効果にさえ気付かされるとは)

 顔を上げると、シェパード博士はいい加減にしてくれという目付きをしていたが。





 食堂で、シェパード博士のはす向かいに着席する。彼は生姜焼きの平たい肉を、ナイフ・フォークで賽の目状に切り分けていた。

「テーブルマナーですか」

『卒業も間近だね』

「マナーと言えば……」

「何です」

「倫理的なマナーはどうなっているんですか? その」

 察しの良い彼は、僕が何を指しているかを直ぐに理解したようだった。

「手が関与する、非常に秘匿性の高い事柄について。細心の注意と黙秘をもって立ち入ること。厳重に取り扱うべき、具体例も教育済みです」

 生体的欲求と性別的欲求への対処は万全であると。抜かりなし、さすがです、シェパード博士。

「では…………利用者の自死幇助じしほうじょの回避については…………確固たるブレーキは、可能なんですか?」

 シェパード博士は手を止めて、僕を見た。

 模索しようと促すよ。そう答えられた。それが左手の言葉か、シェパード博士の言葉か、僕にはわからなかった。













『こんな化け物、どうしたら受け入れてもらえると思う?』

「へぇ〜〜!」

「なんですか」

「化け物って自覚はあったんだ、と思いまして」

 彼は遠くを見遣って、溜め息をつく。

「良いものを用意できたとは思います。でも、どうしたら、旨く渡せるでしょうか?」

「簡単ですよ。シェパード博士」

「ケアワーカーとも相談中です。義手の交換申請も、ずっと出されていないままで」

 僕が加わって、一芝居打つのは簡単だった。





「クリスマスって、そんなにワクワクしますか? 大人になっても」

 理由のない小さな期待は訪れる。そんな季節だ。

「多分、きっと…………悪くはならないですよ」

 左手をなくした人はどうやら、繊細な心情から、自虐的なサイレント・ストライキに陥ってしまったらしい。旨くいくかは、わからない。

「…………充分です」

 イカした左手は…………気に入ってくれるかもしれない。





 シェパード博士と居るうちに僕は、そんな確信めいた気が、していたんだ。


【終】

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