ピカピカ
美容師に髪を預けている時間。
歯医者のシートと美容室のイスって、似ている。身体の一部を他人に明け渡している感じ。歯医者との違いは、施術中の会話があること。
私は彼女と、その場限りの、中身のない、何でもない会話をしていた。
「お顔、失礼致します」
シャンプー台でシートを後ろに倒され、顔にフェイスガードを掛けられる。
「シャワー、熱くないですか?」
「大丈夫でーす」
「シャンプーしていきますね」
「はぁい」
今日の予定は、シャンプーあり、トリートメントと毛先カットのみ。寝ててもいいメニューだ。
「本日は、ヘアサロン・ピカピカのポストやアカウントを見て、ご来店いただいた感じでしょうか?」
私は事前アンケートで、ヘアサロン・ピカピカをどこで知ったか? という問いに、『
「タイムラインで、お店のポスト見て」
広告ポストじゃなくて、お店の人が呟いていたポスト。なんかお店で使うシャンプーやコンディショナーについて、真面目に検討している感じの。その雰囲気は好感しかなくて、垢に飛んでみたら、通勤で使ってる沿線の美容室で、検索しても良い感想が多かった。
「ありがとうございます」
「ヘアサロン・ピカピカって、お名前かわいいですよね。ピカピカにしてもらえそう」
美容師さんは女性しか居ないみたい。私、気付いたんだけど、美容師さん、みーんな黒髪ストレートで、めちゃめちゃ綺麗なの。
「ふふっ。ピカピカって、鳥の名前からとっているんです」
「へぇ〜〜」
そう言えばお店のロゴに寄り添って、小鳥があしらわれていた。かわいいの。
「
なんとなく、なんとなくだけど……白雪姫を連想したんだ。私もプリンセスみたいに、してくれないかなぁ……って。
「タイムラインに偶然流れてきたの、見れて良かったです」
「タイムラインと言えば…………祠が壊されるポストって、知っていますか?」
おっと…………その話、振りますか!
「えぇ、まぁ。見たこと……ある、かも」
私が見たのは、どれだっけ? 祠が壊されて泣いている神様の、可愛いらしいイラストのポストだったかな?
「実はこのビル、建てる前に祠をどかしたらしいんですよ」
ふふふ。怪談の導入かな?
「なんだっけ……超絶偉い人の首塚があるけど、祟りが恐ろしくって……で、周りだけスタイリッシュになったの、ありませんでしたっけ?」
「あぁ、大手町の将門塚ですね。あれは……大分綺麗にリニューアル整備されましたけど、将門公を
…………少し、引っ掛かる。そんな恐ろしいものを、あれって言うの。なんだか、間近に怖い。
「なんで……どうやって、無事リニューアル工事が出来たんでしょうねぇ」
耳が、シャワーの
「……お供えしたし。神様って……縦軸の移動には、割と無頓着らしいですよ」
私は美容師さんの言葉を何か、聞き逃したかもしれない。そうだ、
「このビルの祠は……どこに移動したんですか?」
「屋上に、ですよ」
「ふぅん」
神様って……y軸移動には、怒ったりしないものなのだろうか?
美容師さんの指先が、こめかみの辺りから脳天へ…………力加減がちょうど良くて、気持ち良い。
「祠をね」
「……えぇ」
シャンプーと頭皮マッサージ、同時にされてるみたい。
「移動してから、ちょっと変なことが起きたんですよ」
「変な……こと?」
寝ちゃいそう。
「夜に、シャワーを浴びていたら、足の指に髪の毛が絡んでいたんです」
「ぅわ……」
怖いけど……眠たく……
「多分、自分の髪でした。一本だけでしたし」
「なぁんだ」
「でも、夜寝ていたら、手の指先に何か絡まっている感触がするんですよ」
「手に……何が?」
「髪の毛です」
かみ……のけ……
「一本だけ。絡んだコードみたいに。掃除はしているんですけど、落ちて、踏んで、ぐしゃぐしゃに折れ曲がった髪の毛が」
「ふぅ……ん」
あるある……て程じゃないけど、ないこともない。
「夜や朝方に冷え込むから、温かいものが食べたくなって、豚汁を作ったんです」
豚汁。野菜いっぱい食べれて良いよなぁ……あったまるし。
「朝温め直して食べていたら、口の中に違和感があって……噛んでいました。絡んだ髪の毛を。一本だけですけどね。直ぐに吐き出しました」
!? …………最悪。
「そんなことが、日をあけてボツボツ起きたんです。さすがに気持ち悪いと思って。でも或る晩、とても疲れて眠っていたら、口の中に入ってる感じがして」
ぅわぁ……
「『銀河鉄道の夜』って、観たことありますか?」
え? …………えっ??
「えぇ……と、あの……アニメの、猫が電車に乗ってる、映画の?」
大分急ハンドルだな。宮沢賢治だっけ。いや、待てよ…………美容師さん、観たことありすかって言ったぞ。この人は、『銀河鉄道の夜』は小説じゃなくて、映画の認識なんだ。
「銀河鉄道には、話が進むと、次々お客さんが乗って来るんです」
私は美容師さんの話を、記憶を総動員しながら、聴く。子ども向けの古い映画。
「汽車が夜空を走っていると、鳥撃ちが大きな荷物といっしょに乗ってきます。鳥撃ちは主人公とその友だちに、今しがた撃ってきたばかりの、カササギを分けてくれました」
そんなシーン、あったような気がする。
「主人公が貰ったカササギは、甘くて美味しい砂糖菓子になっていました」
そうだ…………胡散臭い鳥撃ちのおじさんは、居た。薄っすらと、今の今まで思い出すこともなかった、観た記憶が蘇る。
「噛んだら、あのカササギの砂糖菓子みたいでした」
何が?? …………!!
「かみ……のけ!?」
「歯で、一度で噛めて、シャクシュワの……甘い砂糖菓子でした」
そんなばかな……
「そんなはずない……って思うでしょう? 一気に目が覚めて、自分はいったい何を噛んだのかって。嫌な想像をしました。でも、口の中には何もなくて、ただ、甘い感触だけがあって、消えたんです」
これは……怪談? 夢物語? 途端に美容師さんの話が、ゆらぎ始める。私はいったい、何を聞いているのだろう??
「それ以来、一本だけの髪の毛は現れなくなりました」
不思議な怪談は、終わってしまったのだろうか? 又、私の耳はシャワーの水量が知れる程、
「そんなことがあったので、屋上の祠へ御参りに行きました。頂き物ですが、日本酒の小瓶が二本あったので、お供え物に捧げて」
「もう、そんなことが起きないように?」
ふふっと、美容師さんは小さく笑ったようだった。私の顔には薄布が被せられているから、美容師さんの表情は伺えない。
「椅子、起こしますね。おつかれさまでした」
美容師さんは、美しい黒髪のロングストレート。ふわりと甘い匂いがした。
「香水、訊いてもいいですか? 良い匂い」
お菓子みたいな、可愛い系の香りが美形の美容師さんからするの……すごく良い。
「甘いの好きなので、香水と言うか、ボディスプレーのコットンキャンディですよ」
てっきり高めの香水を想像していたから、ギャップ萌え……良い……
「それでは、トリートメントしていきます」
鏡越しに見える美容師さんは、ほんと美人さん。腕まくりしたワイシャツに、黒い細身のズボンと鋏を入れてる腰ベルトが、かっこいい……
「次も……ここ来ます。指名って出来ますか?」
「ありがとうございます。ご指名、承っております」
にっこりした美容師さんが見える。バンドマン、バーテンダー…………美容師。3Bの職業は、恋愛対象に向いていない。……そうかもね。
「あの、スマホ見ててもいいですか?」
「はい、どうぞ」
美容師さんは、私の鞄を手渡してくれた。スマホを取り出して、鞄を置いてもらう。至れり尽くせり。
「ありがとうございます」
私は『ピカピカ 鳥』と、検索窓に打ち込んだ。
カササギ。
「ピカピカって、カササギの名前なんですね。合ってますか?」
「正解です」
「カササギって……どんな鳥だったかなぁ」
美容師さんは、棚からボトルを取っている。
「七夕の、天の川に橋渡しをする鳥ですよ」
背を向けたまま、答えてくれた。
「キューピッド?」
「西洋では、カササギの斑模様が邪悪視されていて……キリストの死を悼むことを拒否した罰とも」
戻ってきた。
「ノアの方舟へ乗らずに、人間の溺れる様を見て嘲笑した罰とも、言われているようですね」
カササギの画像を見る。
斑……黒と白の、まるで美容師さんみたいな、凛々しいカラーリング。罰だなんて、かわいそうにね。とっても素敵なのに。
「カササギは、よく見ると玉虫色なんですよ」
ほんとだ。モノクロじゃなかった。見え方で、本当は鮮やかな色があるのが知れる。
「あ、ちょっと電話失礼致します」
美容師さんはバックヤードへ下がった。私は、スマホから目を離して膝へ置いた。
次も、ここへ来よう。あの人を指名しよう。
そんなことを考えていた。
トリートメントと毛先カットも終えて、会計を済ませて、私は駅に居た。ホームから、ヘアサロン・ピカピカの入っているテナントビルが見える。高架線なのでビルの屋上も見渡せる。ウキウキした気分の私は、気付いてしまった。
ない。
美容師さんが言っていた祠は、なかった。給水タンクや室外機は見えるけど、そもそも屋上には柵もなく、人が立ち入れる感じの造りではなかった。
祠は?
ざわつく疑念が、ふわふわしていた心に忍び込む。冷たい、濡れた手で掴まれたような、嫌な感じ。
ピカピカは、邪悪なカササギだったの?
人間を嘲笑う、嘘つきだった?
美しい美容師さんが、お客を退屈させない為に、怪談めいた作り話をした。そんな想像をしてみようとしたけど、出来なかった。
あの人の指先に絡まってきた髪の毛は、何だったの? 答えなんて、わからない。私は、何もわからない。
電車が来て、風に髪が舞った。
一瞬私の髪から、甘い匂いがする。口に入った髪の毛を噛むと、甘い気がした。
【終】
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