屋上には電気羊

 午前六時。

 アラーム。

 月曜の朝。



 


 私は、朝の波打ち際に突っ伏していた。先程から、寄せては返す朝の波が、容赦なく私に打ちつけられる。早く起きろと。繰り返される波音アラームは、眠っている頭に響く。早く止めろと。

 平日の朝が、いちばん嫌いだ。世界でいちばん、この世でいちばん…………別に、朝が嫌いな訳じゃない。毎朝起きて仕事へ行かないといけない。それが堪らなく嫌なんだ。

 イエス・キリストだって、復活の朝はダルかったに違いない。昔、玄関先で貰った聖書を読んだから、知ってるよ。かわいそうなイエス・キリスト。いちばん憐れなのはあんただ。あんな憂鬱な『起きて、行かないと』はなかったと思う。聖書にだるい描写が省かれているのは、慈悲深いあなたの教えが体現されたからさ。

 朝から頭の片隅で、グチャグチャな思考が勝手に這いずるのは、なんでだろう…………私も仕事に行かないと。





 バイクで海岸公園へ向かう。朝の空気の匂いと、潮の匂いがする。鞄には、適当サンドが入ってる。朝、トーストのついでに作った、ハムとチーズとスライスピクルスのサンドイッチ。途中のコンビニで冷たいお茶と、凍ったお茶を二本買う。

 私の仕事は、公園庭師。造園業だ。現地へ直行。公園管理事務所へ寄って、倉庫の鍵を開けて、仕事道具を装備したら、業務開始だ。





 七月。

 陽射しが、朝から強い。

 人は居ない。





 綺麗な海岸だけど、さすがに誰も居ない。朝の散歩をする人も、ジョギングをする人も、この暑さは避けているのだろう。

 今日の仕事は、公園内の散歩コースの整備。道を外れた芝生を刈り込み、伸び過ぎた植栽を整える。マップを広げて、日割りの計画ラインを見る。一週間もあれば、記念館まで着きそうだ。建物周りは来週か、早ければ金曜には取りかかれるだろう。





 デフォルトであった散歩コースの、芝生と道の境界を回復。電動草刈り機で芝生を平らに整えていく。芝刈りに没頭していると、自分は本当は芝刈りロボットで、人間ではないんじゃないか。そんな気がしてくる。

 腰ベルトを装備して、剪定作業もしていく。……伸びるの、早過ぎだろ。成長を通り過ぎた私は、日々衰えていく一方なのに、植物はどこまでも枝葉を伸ばし、根を張っていく。人間は面白くなくて、お前らをチョンチョン切るんだ。バサリ。

 のこぎりで切った枝を落とす。レーキで集めて、ブロワーも使って、一〇メートル四方が綺麗になった。この作業を十時まで、昼まで、一五時まで繰り返す。私の仕事は、夕方前に終わるのさ。





 今頃、屋上のウーリーは何をしているだろう。

 私は、住んでいる集合住宅ビルの屋上で、羊のアンドロイドを飼っている。建て替え需要もない、古いビルだ。最上階はエアコンの効きも悪くて、家賃が安い。夏になると屋上なんて、ホットプレートのよう。

 ウーリーは、元々妻が飼っていた電気羊で、今は私が飼っている。屋上は植栽を施して、陽避け幕も張り、充電ポートは室内に降りて使えるようにしてある。

 ふわふわのウーリー。かわいいウーリー。今日はとても暑い。オーバーヒートしないように、ウーリーはきっと、ポートのある場所へ降りて眠っているだろう。

 ウーリーが快適に微睡んでいる姿を思い浮かべて、私は仕事に戻る。





 昼はサンドイッチ。

 溶け出した氷のお茶。

 美味くて、寝転ぶ。





 汗だくで、手足は疲れていて、刈り込んだ芝生の上で、仰向けに空を見上げている。木陰の隙間から光がキラキラして、眩しい。風が吹いても熱風で、全然涼しくない。

 管理事務所へ戻って歯みがきしていたら、騒がしかった。誰か熱中症で倒れたらしい。

 会社から、空調ベストや水冷ベストが支給されているが、そろそろ着てもいいかもしれない。





 事務所を出る時、救急隊員が到着していた。搬送は、近くの海浜病院だろう。ご苦労なこった。

 私は仕事に戻る。午後は果てしない。太陽はとっくに頂点を越してるはずなのに、栄華は続く。

 夏の、伸びきった昼間は長くて、遠い、小学生の頃みたいな永遠が蘇る。…………長い。ちょっと水分休憩。





 ウーリー……

 私は疲れたよ。

 もう帰りたい。





 弱音を吐くのには、ちょうどいい時間。こなした仕事が目に見えてわかるのは、良い仕事だ。大分綺麗になった。とても美しい。非常によく出来た。振り返って自分を褒めたら、もう少し頑張ろう。

 こんなに孤独で、黙々と取り組めて、やった感の得られる仕事もあるまい。週末になったら、ウーリーと散歩しよう。この道を歩いて、海岸へ出て、砂浜も歩くんだ。幸せな想像で、私は幸せになる。





 退勤。

 帰りのバイクで走っている。

 一日は今から始まるんだ。





 いつものスーパーマーケットで、いつもの買い物。自炊はしていない。妻が他界して、どれだけ経った? 私はウーリーと、何年暮らしてる? もう少しお金を貯めたら、ピックアップトラックを買おう。車があれば、ウーリーとずっと遠くまで行くことが出来る。ウーリーと知らない場所へ、行ってみたい。私は休まず働くよ、ウーリー。


 私は、『人間』の区分を外れて、何年も働いている。造園業なんて、今じゃ、生身の人間が従事しているところは、少ない。


 私は人間じゃないのかって? 人間さ。多分。


 私は……交通事故で脊髄を損傷し、身体機能麻痺の症状に陥った。

 麻痺した部分は脱力や運動機能の消失、感覚の低下や消失、しびれや痛み、腸と膀胱の機能低下や消失……それ以上に、内臓(呼吸器、消化器、泌尿器など)や自律神経にも麻痺の影響が起こり始めた。中年の私と妻には、大打撃だった。

 この時、保険適用で治療が受けられて、本当に良かった。おっかなびっくり受けた全身手術で、私は別人のように生まれ変わった。……そう、私は電気羊のウーリーと大差ないくらい、身体の大半を人工物に置き換えているんだ。

 私が、実際の肉体年齢より快適に動けることも、炎天下の日中に働けることも…………不幸中の幸いと言うか、災い転じて福となすといったもので…………ならいっそ、同僚はロボットでもいいかな…………そう思ったんだ。

 労働基準法も改正されて、久しい。八時間労働や残業なんて、今やロボットやアンドロイドのものだ。私は、もう少し稼ぎたい。自己存在性自認を申請し直したのは、それが理由さ。





 ウーリー。

 ふわふわのウーリー。

 おひさまの匂い。





 知らない場所へ行くことは、妻とした約束だった。長いお休みを取って、妻と遠くへ行くのが好きだった。ウーリー…………思い出が、足りないんだよ。記憶の彼方で、夢の向こうで、私はどこか遠くへ行っている。朝起きるのが、あんなに辛いのは……きっと、幸せな夢を見ているからなんだ。





「おやすみ、ウーリー」


【終】

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