ループ餃子
仕事から帰宅して早二時間…………このままソファーに沈み込んでいても、日が暮れて夜になり、風呂と眠る時間が差し迫ってくるばかり…………
おなかすいた。
何か食べれば又動けるかも。そう思って、俺はフラフラと階下の食堂へ降りて行った。俺が住んでいる建物には食堂階があり、夜七時までは人が居る。夕飯のラストオーダーは、当日六時まで。平日働いてる社会人には、ギリギリ……少なくとも俺には無理無理な時間。
但し、この食堂には救済策があって、台所にラップを掛けて置かれた食べ物は、夜食として自由に食べていいことになっている。
七時過ぎ……運が良ければ、何かあるかもしれない。もしかしたら、温かい食べ物があるかもしれない。
先週末は、ラップに包まれたおにぎりが沢山あった。俺がありがたく頂戴した二つは、梅干と
あった…………餃子だ。
台所のシンク横に、ラップの掛かった楕円の平皿。まだ汗をかいたラップに、餃子が七つ、皿舟にギュっと身を寄せ合って載っている。
台所には販売用の冷蔵庫があって、ガラス戸の棚にはソフトドリンクとアルコールも置いてある。俺は
炊飯器を開けるとご飯。オーナーが米を無限に供給してくれるので、食堂には白ご飯のセーフティネットがあるのだ。
俺は台所に置いてある、赤いドーナツ座面の丸椅子を引き寄せると、餃子、ご飯、レモンサワーの夕飯にありついた。
餃子は、至ってノーマルな普通の餃子。まるで、ついさっき作ったばかりのように、温かい。カウンターに置いてある調味料へ手を伸ばして醤油とラー油をかけた。さて、いただきますかと、餃子をパクリ。ご飯を掻き込む。餃子を食べて、ご飯を食べる。…………ふぅ。途中、片手でレモンサワーの缶を開けて飲む。餃子ご飯の合間に飲む、冷たいレモンサワーの旨さよ。…………最高だな。
はぁ…………美味しかった。ごちそうさま。
食堂の灯りが点いているのは、台所だけ。窓の外は夜。残りのレモンサワーを煽ると、俺は皿を洗って片付けた。良い夕飯だった。…………そうだ!
目が覚めて、一瞬焦った。
遅刻?! …………いや、休みだ。有給消化だ。今日は休みじゃないか。いったい、いつの間に寝落ちしたのだろう?
二十時過ぎ…………急に心臓が血流を上げたかのような、でも待って、大丈夫、落ち着いて。スマホ片手に寝落ちはいつものこと。今日はそれを見越して、掃除、洗濯、録画予約まで済ませてあるの。…………勝てる。寝落ちしても勝てるスケジューリング…………素晴らしいわ、今日の私。(なんなら録画容量まで空けた有能っぷり)
風呂も済ませてある。休みだと心の余裕が違うわね。後は寝るだけ! …………って、肝心なことを思い出した。
眼鏡、マスク、ノーメイク。部屋着にフリースの上着。財布をポッケに入れて、飯友持参で来ました食堂。
って、誰も居ないけど。
朝ご飯と昼ご飯をいっしょに摂るのは、ブランチ。夕飯と夜食バージョンは、名前あるんですかね?
常夜灯代わりに明るいままの台所へ足を踏み入れると、シンク横に置かれたそれに、目が行った。
餃子だ…………
食堂ルールで、これは食べてもいいやつ…………いいんだよね? …………いただこう。どうせならと、持参した食材から、高菜の漬物と卵で高菜炒飯を作った。
おぉ…………いいんでない?
餃子、高菜炒飯、急遽買い足したドリンクはサングリア。漬物と卵かけご飯の予定が、随分と豪華になった。
いただきます!
台所で適当に食べる夕飯にしては、出木杉くん。ハフハフと食べる、ピリ辛高菜炒飯の美味いこと! 独り飯はこうでなくっちゃ。どれどれ餃子は…………キムチ餃子!
ありがとう…………ありがとう、餃子の妖精さん。
炒飯とバッチリ。合挽き肉と粗く刻んだキムチのみっちり詰まった餃子は、息継ぎを忘れた全力疾走で消えていく。…………美味い…………止まらない。ゴールのサングリアは、華やかな声援のように果実と赤ワインが、駆け抜けた餃子と炒飯に祝福を送る。
なんだ…………この、最高の晩餐は……
夕飯ついでに、明日の朝ご飯を作っておこうと思ったが、これは…………やるしかないな!
つまらない人生だ。
もう、いやだ。
僕は結局、何者にもなれていない。
真夜中、真っ暗な部屋。虚無と近しい自分。何か夢を見ていたような気がする。
明かりを点けて、シャワーを浴びに行く。サッパリしたのは、身体だけ…………いや、気分も少しだけ。
新しい服に着替えた。気持ちも着替えられたら。
食堂…………台所…………麦茶のペットボトルを買った。ウォッカの小瓶が、冷蔵庫のいちばん下の、端っこにある。買った。麦茶をチェイサーにしよう。
台所の丸椅子に腰掛けて、ウォッカを開ける。一口。少し唇に付いた箇所と通り過ぎた喉が熱い。冷たい炎に触れたみたいだ。ちびりちびり、消毒液と変わらないウォッカをやって、時々麦茶を飲む。
あれ?
目を遣った先には、ラップの掛かった皿。ご丁寧に割り箸まで添えてある。
…………餃子。
無意識に箸を取ると、ラップを取り去って、餃子に手を付けた。口の中に、出来立てのような食べごたえが拡がる。餃子は、シンプルな肉とニラ。何も点けていないのに、オイスターソースか何かの風味の肉汁が溢れる。
酒のツマミにと手を出した餃子は、肉の暴力で口内を侵攻してきた。
カウンター越しに醤油と酢の小瓶を取って、掛けて、食べた。肉餃子は、片手間に食べることを良しとせず、僕は深夜、餃子に向き合った。
誰かが、誰が食べてもいいようにと作った餃子…………
僕は、餃子を食べながら泣いていた。きっと、度数の高いウォッカに麦茶のチェイサーは、効かなかったのかもしれない。
僕は餃子の載っていた皿を洗って片付けると、その足で深夜でも開いているスーパーへ向かう。今夜は、やらねばならないことが出来た。その為に必要なものを、スマホで調べながら次々カゴに放り込んでいく。
料理なんてしたことないが、僕でも作れるだろうか?
「あら!」
ウフフと食堂の調理人が微笑む。昨日、夕飯に作った餃子は皮も手作りで、モッチモチの出来は評判が良かった。夕飯に来られなかった住人にも、食べてほしかった。帰り際、残った一皿分を焼いて、手作りの皮も自由に使えるよう、置いておいた。それらが全て無くなっている。
そして、置かれた一皿の餃子。
『ありがとう』とメモが添えられて。
【終】
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