第2話 咎の炎
目が覚めたら、樹は陰鬱な執行室を抜けて何処かの崖の上にいることに気づいた。
ここが何処なのかは分からないが、石段を降りた先には黄緑色の平原が広がっている。RPGゲームなんかではよく見る、最初のマップの光景だ。
久方ぶりの外の光景に心が躍る。
「なっ……それに裸かよ。刑事さんの言っていた電脳世界に俺も送り込まれたってことか」
俺は辺りを見渡したが、獰猛そうな獣が徘徊しているくらいで他に人間の姿はない。
そう思った矢先、樹の前にどこからともなく白い装束に身を纏った怪しげな男が現れた。まるで空間をすり抜けてきたような登場の仕方だ。
丸腰の樹は拳を作って身構えるが、白い装束の男は口元を押さえて笑った。
「フッフッフ、心配いりません。私はこの電脳世界の案内人『ヴァラン』です。妹を殺害したこの上ない下衆野郎の『タツキ』さんですね?お待ちしておりました」
「……チッ」
樹は反論したい気持ちを押し殺して唇を噛み締めた。今この案内人と揉める訳にはいかない。
ヴァランと名乗る男は、淡々とこの電脳世界について説明を始める。
「まずは『咎の炎』について説明しましょうか。貴方達のような極悪人には、頭上に山吹色の炎が灯っています。罪を犯した『咎人』である証です」
「この炎が点いているとどうなる?」
「この世界の咎人には莫大な懸賞金がかけられています。善良な一般プレイヤーの皆さんには、咎人を殺害する権利が許されているのです。つまり、咎人の皆さんは毎日、殺される恐怖に怯えて生きていかなければなりません」
「なるほど。性格の悪い奴が考えた仕組みだ」
「そして咎の炎には独特な香があります。この香はこの世界の魔獣を誘き寄せ、挑発する効果があります。なので、不用意に魔獣には接近しないことですね、フフフッ」
「この世界で死んだらどうなる?例えば魔獣に食われたりしたら」
「肉を引き裂かれ、骨を潰される耐え難い苦痛を味わった後、装備や所持品を全てロストした上でまた再開します。勿論、咎の炎は消えませんよ?」
「なんだ、死んでも戻ってこれるのか」
「戻されるからこそ、凶悪なのですよ。死んで終わりなんて甘くありません。死の恐怖は克服できるモノではないですからね。無限に殺される地獄に幽閉されると、人間の精神は崩壊していくのですよ」
ヴァランはニコニコ口角を上げながらそう語る。
樹は自分の腕を軽く抓ってみた。するとやはり痛覚はある。意識だけを電脳世界に送り込んでいる仕組み上、現実世界を生きる新御堂 樹が死亡することはない。とはいえ、それで割り切れるほどヤワな痛みではなさそうだ。
ヴァランなる案内人はさらに話を紡ぐ。
「実はこの電脳世界、貴方達のような人間の屑ばかりが集まる世界ではないのです。見たところ貴方は若い。この光景、どこかで覚えがありませんか?」
ヴァランに促され、もう1度この無限に広がる地平線に視線を遣る。
初めにこの世界に降り立った時、樹は確かに既視感を覚えた。その正体は分からないまま彼の心の中で渦巻いていたが、突然ハッと閃いた。
(もしかしてこの世界は、あのゲームと同じだ!)
樹が思い浮かべた『あのゲーム』とは、この頃 SNS 媒体などを通して流行し始めたフルダイブ型オープンワールドゲーム『LIFE』だ。
フルダイブ型の名の通り、プレイヤーは専用のヘッドギアを装着して意識だけをゲーム世界に送り込む。広大な電脳世界をまるで自分の足で歩いているかのような没入感を味わえる新感覚のゲームとなっている。
ただ現時点の日本ではそこまで流通数は多くない。
なんといっても価格がネックだ。樹も大学時代に富豪の友達を頼って数回遊ばせてもらった経験しかない。それでも、樹はこの平原を『歩いた』覚えがある。
そしてヴァランという男は、まるで樹の心を読んでいるかのように反応する。
「勘が冴えていますね。ご明察の通りです。この電脳遊戯の世界は、『LIFE』の世界と繋がっているのです。ですから、数年ぶりにご友人と再会などということも、夢じゃありませんよ」
「……なんの為に創られた世界なのか、余計に謎が深まったぜ。俺はこの電脳世界でなにをすればいい?元の世界に戻れる方法はあるのか?」
「詳しくはこちらのガイドブックに記されていますが、簡単に要約しましょう。貴方達咎人の使命は、『善行レベル』を上昇させていくことです。善行レベルが5になれば咎の炎は消え、10になると電脳遊戯から脱することができるのです」
「善行レベルの上げ方は?」
「そのままですよ。市民を助けたり依頼をこなしたりして徳を積めば、善行レベルの値は上昇していきます。それから……」
ヴァランは不敵な笑みを浮かべて、意味深に喋るのを止めた。
樹は彼の分かりやすい挑発に乗ってやる。悪い笑顔を貼りつけて待つ彼の言葉の先を促すと、待ってましたと言わんばかりに話し出した。
「善行レベルを上げるもうひとつの方法は、他の咎人を殺害することです」
「市民も敵、魔獣も敵、そのうえ咎人同士でも殺し合いさせるのか。抜かりないな、感心するぜ」
「ただ、あくまで電脳遊戯の刑は懲罰。犯罪者の更生を願うプログラムですから、徳を積む方が遥かに善行レベルの上昇度合いは大きいですよ。咎人同士での殺し合いを推奨している訳ではないのですよ、フフッ!」
ご機嫌なヴァランから電脳遊戯のガイドブックを譲り受けた樹。
彼曰く、これでチュートリアルは終了らしい。
武器はおろか、服すらも身に纏っていない状態で果ての見えない地に放り出されてしまった。崖の上からしばらく動けずにいると、現実世界から新たなプレイヤーが送り込まれてきた。
「なんだァ!?この世界はよォ!俺様はヤクと酒と女で気持ちよくなれりゃあ何処でもいいんだけどよォ。おい、そこの白いの!俺様にその服寄越せや!」
例に漏れず裸で送り込まれてきた男は、あろうことか案内人のヴァランを恫喝し始めたのだった。
不自然に痩せ細った肉体、焦点がトンだ瞳、呂律の回らない口調。
そして頭上には山吹色の炎が宿っている。間違いない。彼は樹と同じ、咎人だ。
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