第3話:記憶喪失の邪教徒
雨を眺めるたびに脳裏に勝手に浮かんでくる唯一残った記憶の虚しさと悲しさが青嵐の胸を刺した。
自分にとってかけがえのない存在である育ての母親、魔女が今何処で何をしているのかを知る由は青嵐には残されていない。
心にぽっかりと大きな穴を埋めることができないまま、魔女の残り香に惑わされながら青嵐は生きていた。
………授業に集中するか。
カーテンを静かに閉めて視界に映る雨を遮った、これも毎日繰り返すような行動だというのに、普段の財前達の青嵐への仕打ちの方が慣れてしまうのは一体何故だろうか。
青嵐は虚しさを誤魔化すようにノートにペンを走らせた。
普段の彼からは考えられない乱雑な文字がノートに綴られていった。
無心でホワイトボードの内容をノートに写し、授業の終わりはまだかまだかと、壁にかけられたデジタル時計の表示が変わっていくのを眺めた。
授業が終わればまた蔑まれ、笑いものにされるのは目に見えているというのに。
青嵐はただこの虚しい時間が早く過ぎて欲しいと人知れず願った。
授業の内容なんて頭に入るわけがなかった。
1人の高校生の人生をここまで狂わせてしまうなんて、魔女と呼ばれても仕方ないのかもしれない。
デジタル時計がチャイムが鳴る時刻を示すと同時に、定刻通りにチャイムが学校中に鳴り響いた。
イギリスにあるビッグベンの鐘の音を模した音の合図で教師は授業を終える。
「今日の授業はここまで、次回までに復習しておくように」
教科書をぱたんと閉じ、教師は次の授業をするべく別の教室へと向かって行った。
教師の後ろ姿が見えなくなった途端に、また面倒事が始まる、それを青嵐はしっかりと理解していた。
早速丸められしわくちゃになったプリントが青嵐の元に飛んでくる、飛んできた方向を見る限り財前のグループで間違いない。
床に落ちたそれを拾い、広げると先程の世界史の授業で使われたプリントに乱雑な文字で青嵐に対する悪口がいくつも書かれていた。
青嵐は本日3度目のため息を吐き出した、財前達に悪気という概念はない、前々から理解はしていたが、再認識した。
「せっかく作ったプリントに読めない文字で落書きをするなんて、勿体無いことをするな」
遠回しに字が汚いことを皮肉しつつ、無駄だと理解しながらも嫌味に言う。
相手側のレスポンスなんて聞くまでもなく想像できていた。
「は?お前日本語読めねえの?」
と、財前が青嵐の発言を逆手に取る。
「あれじゃねえの?魔女に育てられたから日本語が読めねえんじゃねえの?」
「きっとそうだ!魔女に育てられたからイカれちまってるんだ!哀れなもんだぜ!」
財前が攻撃を開始すればその取り巻きが過剰なまでに反応し、必要のない援護射撃を行う、
砲撃対象が青嵐ほど無関心でなければ、オーバーキルもいいところだ。
青嵐を除くクラスの全員が声をあげて笑う。
汚らしい、下品な笑いが教室に響き渡る。
はあ、と青嵐は4度目のため息を吐き出した、救いようのない哀れな者達に対しての呆れるようなため息。
青嵐は財前達が魔女の存在を信じなくとも、馬鹿にしようともそんなことはどうでもいい、自分だけは母親を信じ続ける、ただそれだけのことで満足なのだ。
青嵐はこれ以上ないほど居心地の悪い、悪魔の巣窟となった教室を抜け出そうとした、せっかくの休み時間を潰されるなどたまった物ではない。
だが悪魔達はそれすら許そうとはしなかった。
「おいおい何処に行くんだ邪教徒?」
扉の前に財前が立ちはだかる、扉から1番遠い窓際の席だったのが仇となった。
いつも雨を眺めるのが好きな青嵐にとって最高の席ではあったが、今日ほど今の席が嫌いになったことはないだろう。
「別に、何処に行くか決めてるわけではないな」
「予定ねえなら残れよ、みんなと遊ぼうぜ?」
遊ぼう、と言っても青嵐は遊ばれる側、彼らの都合のいい玩具にされるだけだ。
そんなものに乗る道はない、喜んでサンドバッグになるほど青嵐はマゾヒストではないのだ。
「面倒そうだから俺はパスさせてもらう」
「付き合い悪いなぁ?まあいい、通りてえなら通行料出せよ、ほら万札で勘弁してやるよ」
やっていることはカツアゲだ、不良はいじめる相手から金をむしり取らなければ生きていけないほど生活が困窮しているわけでもない、ただ優越感に浸るがため、奪うことこそを快楽とするサディストなのだ。
それに青嵐の通うこの高校は所謂ところ金持ち私立高校だ、社長令嬢だったり次期社長が通うような高校だ、財前もその例に漏れず、親に縋れば金など湯水のように湧いてくるだろう。
「はいはい、これでいいだろ?」
青嵐は面倒くさがりつつも一万円を財布から取り出し、財前に渡す、そうしなければ余計に面倒くさいことになってしまうからだ。
「まあ今日は勘弁してやるよ」
幸い青嵐も資金は潤沢にある、一万円をむしり取られたところで生活が困窮するわけではない。
金を奪い取ると財前は満足したようで、仲間達の下へと戻っていった、ここまで生粋のドSがいるとは思わなかった。
青嵐のものだった一万円を手に、放課後に遊びに行く計画を立てる財前達、憎たらしさも怒りも超えて、最早青嵐の目には哀れに映っていた。
それに彼らにとっては邪教徒の触れた花は汚くて触りたくもないのに関わらず、邪教徒の触れた一万円札は汚くないらしく離すまいと握りしめている、それが青嵐にはなんとも滑稽に見えた。
失笑を隠しきれないないまま、青嵐は悪魔の巣窟を逃げるように出た。
記憶喪失の青嵐に、味方なんて存在は誰1人存在していなかった。
もし母親が自分の目の前にいたのなら、もし手を差し伸べてくれる人がいたのなら、意識せずともそんなタラレバをどうしても考えてしまう。
人のぬくもりを知らない青嵐の手は、酷く冷え切っていた。
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後書き
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