消えない紙魚
月這山中
消えない紙魚
鎖骨の下に入れた鏡文字:私の名前は夢野胡蝶
左前腕に入れた文字:私はデザイナーとして働いている。仕事に時間を掛けすぎないこと
右前腕の文字:私の記憶は5分間しか持たない
スカートに付いたメモ:映画出演の仕事その1 A町のスタジオへ、このルートで10時までに行くこと
「たかが原作の装丁に関わっただけで、役者の真似事だなんて、いやに思われませんかね?」
「そんなことはありません。監督があなたの姿にグッと来たそうですよ。ぜひ映像化した作品の中に、あなたが居て欲しいと」
「うまくできるかしら。私、持病で……」
(胡蝶は頭を押さえ、いつものように説明しようとするが、遮られる)
「分かっています。常に見えるところに指示のスケブを出しておきます。メモだっていくつでも身に着けてください」
メモ:映画出演中その1 役柄はカフェの客。掲げられたスケッチブックの内容に従うこと。
「カット!お疲れ様です!」
「……っはあ!すごく緊張したわ。こんな感じでいいのかしら」
「とてもよかったですよ! ところで、実は相談が。他カットに出るはずだった役者が来れなくなってしまって」
「あら、まあ……」
「それでは胡蝶さん。こちらへ」
メモ:映画出演中その2 役柄は風船を配る着ぐるみ。メモはこれ以外読めないけど、背筋を正して。
「すみません、またお願いできるでしょうか」
「ええ、早い方がいいわ。だって、休憩の内に忘れていくのよ」
・
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メモ:映画出演中その48 役柄はジャンプインする乗客。荷物を手放さないように、一直線に走ること。
メモ:映画出演中その49 役柄は江戸の町人。着物の裾を踏まないこと。
メモ:映画出演中その50 役柄は銀行に来ていた客。身を寄せ合い、じっとしていること。
「あ、あの、こんなお話だったかしら? 私、記憶力は悪いけど、それでもここまで突飛な設定じゃなかったような……」
「早期記憶は5分も持たないと言っていましたね。仕事で読んだ本は覚えているのですか?」
「いいえ、いつも、記憶は、ないの、だけれど……」
左膝の文字:貰った本は大事にすること。
「大丈夫です。編集が終わればちゃんと繋がっているので」
(あわただしく走るスタッフ)
(一貫しない世界観。常に何かを傍観するような役柄をやらされ、振り回されて行く)
(何かに気付く胡蝶)
「もしかして、今までのは、私が……」
「全部、あなたが手がけたお仕事です」
(バスがパトカーに囲まれて停車している。
それを輪の外から見つめる傍観者の役となり、呆然と佇む胡蝶。
バスの中で一人の少女が、座席から飛び出すように立ち上がる)
「この映画はあなた自身のお話なんですよ」
メモ:映画出演中その100 役柄は主人公の友人 使命感のために夢を諦めた彼女を、私は遠くから見るしかない
(夢から目覚め、胡蝶は息をつく)
「映画のメモがない」
(壁にかけた服や、床に散らばったメモに「映画出演中」の文字は無い)
(夢であることを確認し、深く息をつく)
右手首の文字:夢の内容を覚えていても、メモに取ってはならない。あなた自身のために。
(自分以外の誰かが入れた、消えない文字を見つめる)
(決心したようにペンを取り、手首に文字を書く胡蝶)
左手首の文字:映画出演中その101 それでもこの夢を忘れてはならない。私自身のために。
左膝の文字:貰った本は大事にすること。
(電話番号の書かれたメモを手に取り、受話器のダイヤルを回す)
メモ:xx年xx月xx日現在 消えない文字を入れる方法/xxxx-xx-xxxx
(呼び出し音が鳴り響くその間、本棚を開く。今まで装丁を任された本が全て並べられている)
(茶封筒が一番上の段に挟まっている。開くと黄色く古びた紙束が入っている)
「そうね。まだ、本にはなっていなかったわね」
(茶封筒の隅に、短い文章が書かれている)
胡蝶へ:
私にもしものことがあったなら、あなたに任せます。
お願いね。
了
消えない紙魚 月這山中 @mooncreeper
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