四丁目の天使

@RyuUnder7

第1話

 自転車がキリキリと嫌な音を立てながら前に進んでいくのを、他人事のように思いながらただサドルに自分の質量を乗っけていた。スマートフォンに浮かび上がる無機質で素っ気のない文字列を眺めながら、足をハの字に広げ、坂を滑り降りていく。「選考の結果につきましては、誠に申し訳ございませんが、

 ご希望に添いかねることとなりましたので、お知らせいたします。」もう何回目だろうか。私のご希望の本当のところは、さっさとこの茶番を終わらせて海外にでも逃げる事だろうか。こんな事ばかりが続くので、近ごろの僕は動画サイトを開いては、海外の投稿者がポストするラグジュアリーな旅行を記録したVLOGを観て、溜め息ばかり付いている。何処か遠いところに逃げて、皆に忘れられたかった。余りにも感情が昂るので、乗っていた自転車を蹴り飛ばして、空に向かって大きな声で叫ぶ妄想をしてみた。ちょっと頭から転倒してみようかとも思った。アスファルトに打ち付けられた頭から血が吹き出したら、自分の中のドロドロした感情も消えていくような気がするのだ。その日は日が暮れるまで人の居ない公園を巡り、繰り返し古いビデオテープみたいな解像度で自傷的な妄想を繰り返した。


 僕の住むアパートは世間で言うところのボロアパートだ。昔僕が好んで観ていたヤクザ映画では、こんな風な四畳半のボロでよく暴力沙汰になる。大概包丁か何かで刺された男の腹部から血が吹き出し、畳にべったりと着く。つまるところ昭和の映画のロケ地の様な、典型的なアパートなのだ。僕は好んでこのボロアパートに住んでいた。お婆ちゃんから貰った敷き布団を敷くとますます雰囲気が盛り上がる。金麦の缶ビールを飲みながら明日の事は考えずに横になる。身体が暖かくなって、直ぐに眠たくなってきた。そういえばアラームも掛けていない。本当は明日何か予定があったのでは無かったか。もう知らない。暗い闇が眼前に落ちてきた。眠気というのはこういうものだったか。意識が消える。


 夜中、恐らく丑の刻。中途半端に目が覚めてしまった。僕は眠る時、決まって読書灯と呼ばれる様な背の低い照明を常夜灯代わりに使って、常に微かな光が部屋を満たすようにしていた。だから夜でも部屋の様子はよく分かった。おかしいのは自分の身体が自分の意思で動かせない事と、部屋の壁に変な形の影が張り付いて、揺ら揺らと蠢いている事だった。人の形をしている様にも見えるが、背中に鳥の翼の様なものが付いている。身体が動かせないのでその姿をはっきりと見ようにも、どうしようも無い。暫くすると僕は諦めて天井の方をただ眺める様な状態になった。する事もなく時間が過ぎる。輪郭のはっきりしない天井の模様を眺めていると、またも身体の感覚がおかしな事に気付く。腹部が漬物石ほどの重量で圧迫される様な不快感に襲われるのだ。僕はその重さの正体が気になってしょうがなかった。上体を起こそうと背中に力を入れた。すると意識がはっきりとして、先程まで僕を縛り付けていた妙に写実的な幻覚の世界は消えていた。いつもの僕なら「あー、いつもの金縛りか。」とか思って二度寝するところだろう。しかし今日は違った。明らかにおかしい事が起こっている。僕の眼前に、背中に翼の生えた青年が立っていた。身体に見合わないやたらと大きな学ランに身を包んでいる。その人はちょっと暗い表情を浮かべながら子供みたいに笑っていた。

 

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