視線の高い小学生




 本をたくさん読んだおかげか、作文の文章も大人のようだと先生から言われました。


 私の背はすこし、他の子より大きくて、成長が早いようです。

 もうすぐ小学五年生です。だけど、周りの人からは高校生くらいに見えると言われます。

 お母さんからのお下がりを着て、口紅を塗って、近所の人には会わないようにして、夜中に外出すれば、誰も声を掛けません。

 今日そうしたのは、お父さんとお母さんが大けんかをしたからです。


 口紅はべたべたするので、人のいない所へ来たら落としてしまいます。

 学校の裏山は何もない場所です。道もないので、夜中にわざわざ来る人もいません。元気のあり余った子供が秘密基地を作る、そういう場所です。

 幽霊が出る噂もありますが、私はそういうのは見る人の心によると思っています。


 でも、その日は急に空が明るくなりました。

 まさか、UFO? 信じているわけではないのに、思わず変な考えが浮かびました。でも、空に浮いていたのは、電車でした。

 見慣れた形のものが、空に五つ繋がって、するすると円を描きながら、降りて来ています。

 おかしな夢を見ているようでした。だって、その時は全然、不思議だなあ、とは、思っていなかったのですから。


 電車の運転席から降りてきたのは、コートの襟で顔を隠して、帽子を被った車掌さんでした。手には白い手袋。金色のボタンがキラキラと輝いていました。

 車掌さんは帽子の鍔に指を当てて、おじぎしました。


「こんばんは」


 私はぼうっとしていて、挨拶を返すのを忘れてしまいました。電車は暗くてよくわからなかったけれど、お父さんがいつも通勤に使う電車のように思いました。


 車掌さんの声は壊れたハーモニカに似ていて、金属を通ったような低い声でした。






 一年生の時から私の背は誰よりも大きかったです。

 その年の夏休み、私はお母さんと一緒に、出張で帰ってくるお父さんを迎えに行きました。


 改札を入って、ホームで待っていました。電車から降りてくるお父さんをビックリさせようと、お母さんと話していたのを覚えています。

 お父さんの乗ってる電車が入ってきました。停車して、ドアが開きます。お父さんを探していたのですが、なぜか、降りてくる人がざわざわしていました。

 スピーカーを通して、駅員さんの声がずっと流れていました。


 男の人たちが何かを囲んでいました。

 押さえられていたのはお父さんでした。


 事件のことは、あまり話題にはなりませんでした。

 ただ、先生も学校の皆も知っているはずでした。


 戻ってきたお父さんはケロッとして、笑い話のようにあの時のことを語る日もあります。

 お母さんは、その度に恐ろしい顔をして、家計のこととか、別の話でお父さんの声を遮ります。




 二年生のころ、私はやっぱり背の順で一番後ろでした。プールの授業はなんだかゆううつで、よく休んでいました。


 その時の私のクラスにはA君がいました。

 サッカーが得意なA君は、誰かの股の間に滑り込んでくぐるいたずらをよくしていて、標的は座っている子も立っている子も、男の子も女の子も入っていました。女の子は迷惑そうにする子が多かったです。


 ふざけているだけだと知っていました。

 だけど、私はとっさに、彼の顔を強くけってしまいました。


 職員室に呼び出され、はじめて入る部屋のソファに、お母さんと座って、向かいには、A君とその母親が座りました。


「気にしなくてもいいですよ」


 先生は説明していました。でも、すべて逆のことを言っているように、私には聞こえました。


 気にし始めるのは、他の子にしては早いけど。


 まだ準備ができてないけど。


 あなたはすこし違うから。


 あなたは変だから。


 ばんそうこうをはったA君が謝っていましたが、私はどうしても先生の言葉が気になってしかたがありませんでした。




 心と体のギャップになやむ人は多いと授業では聞きました。

 だけど、そのどれもが私とは違うように思いました。


 図書館で本を探しては、週に一冊、かりてくるようになりました。


 一度読んでいるところを、お母さんに見られました。


 「お医者さんになりたいの?」

 お母さんは笑って言っていました。

 それから、隠れて読むようになりました。止められたわけではないけど、私はなぜか、そうしました。




 最近、卒業式が近付くごとに、心がざわざわします。


 卒業し中学に上がったら、私は、制服を着なければならないのです。


 期待ではなく、不安でもなく、友達のことでもなく。


 制服という言葉だけで、あの紺色のプリーツを見るだけで、あの日を、家がおかしくなってしまったあの日の光景を思いだして、ざわざわと、虫が心をはうようで、気持ち悪くなるのです。


 どこかの誰かの視線を、誰かの手を。


 相手が悪いのですから、堂々と手を挙げて被害者だと宣言して、忘れてしまえば良いことなのでしょう。


 逆上するような人が居ても、勝手なことを言う人が現れても、堂々としていればいいと、習いました。


 だけど、誰かに傷つけられたり、傷つけたりするのは嫌です。


 自分が立って歩いているだけで、そうなるきっかけになってしまうのだと思うと、やりきれない思いになります。


 女子中学生に、女子高校生に、女子大生にならずに、早くおばあちゃんになってしまえばいいのに。


 つい、そういうことを考えてしまいます。





 車掌さんは、ただ静かに、私の話を聞いてくれていました。


「難しいことを考えますねえ」


 私はすこしがっかりして、自分のひざに顔をつけました。どこにも答がないような気がして。


「無責任なことしか言えませんが、今すぐおばあちゃんになってしまうのはおすすめしませんね」


 どうしてでしょうか? 私はたずねました。


「だってあなたの心が今のあなたのままで、外側だけおばあさんになって家に戻って、それから昼間に外を歩いてるのを想像してみてください」


 言われてみて少し考えてみました。

 私は私のままなのに、お父さんもお母さんも私とわからず困ってしまうでしょう。

 私は私のままなのに、席をゆずられたり荷物を持たれたり、道案内をされたり……


 それはなんだか、おかしなことです。


「外見にとらわれてしまう人達が悪いわけではありませんけどね、どうしても人間、最初の印象に引っぱられてしまいますから」


 私は私でいることに、引っぱられていたのでしょうか。


 車掌さんはどこからかハンドベルを取り出すと、ゆっくりと振りはじめました。

 そうして運転席に乗りこみ、電車が空に浮かびあがりました。


「では」




 家に帰った私はすこしだけ、制服を着てみる気になりました。





  了

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