消えていく記憶


 日野日茄は思った。

 この状況は何度も見たことがある。SNSで。結局デマだったはずだけど、写真からマニアがどこの駅かを特定していた気がする。

 電車で寝落ちしていた日茄が慌てて降りた場所は、見知らぬ駅だった。


 しかし私が絶体絶命の状況であることには変わりない。

 明日も遅刻すればあの恐ろしい上司に殺されてしまう。いや、上司の言葉に耐えられない社会人一年目の私が勝手に死ぬだけだが。


 とりあえず駅名を携帯で撮る。

 笠簑犠駅。


「……かさ、みの……?」


 ずれた眼鏡を直しながら、日茄は首をかしげる。

 アニメの演技めいた大仰なクセは二十二になっても治らない。

 小さな停留所、周りは真っ暗で何も見えない。


「えへへ、へへ」


 喉が勝手にひくついて笑い声が漏れた。

 連日の残業で精神が参ってるのかもしれない。全て自分で出したミスの穴埋め。自業自得だ。

 大変な状況ほど笑いがこらえきれないのは、なぜだろうか。


「お姉さん」

「はゃい!?」


 変な声で叫んでしまった。

 急に背後から声をかけられたために。


 小さな男の子が立っていた。


「お姉さん、この町の人じゃないね?」


 着物を着ている。

 そういう君はこんな夜中に出歩いていていいのか。と聞く前に、祭囃子が近付いてくる。


 さっきまで何も見えないと思っていたが、よく目を凝らせば駅舎の外には紙の灯篭が連なっていた。

 小さな川を挟んだ橋の向こう、繁華街が見える。

 大人も子供も浴衣で歩いている。


「お祭り?」

「うん。ここはねえ、電車は滅多に止まらないんだよ」

「君は、どこの誰?」

「ボクはこの町のカササギ」


 彼は名乗った。鳥のカササギことだろうか? あるいは、違う字を書くのだろうか。

 全体が黒く胸だけが白い着物の広い袖をひらりと回し、カササギという少年は大きく腕を広げた。


「ついてきて」

「いやちょ、ちょっとまって、えっ」


 無人の改札にICパネルはない。


「このまま降りていいの……?」

「いいよ~。皆そうしてる」


 本当にいいのだろうか。しかし私の両足は促されるまま階段を下りて、灯篭の下を歩く。

 木製の古い階段がかすかな悲鳴を上げる。


「お姉ちゃん、お腹空いてる?」

「ううん、大丈夫だけど」


 お弁当をつい数時間前に食べたばかりだ。

 少年は不満そうに口を尖らせた。


「そっか、なんでもおいしいのに。今は鍋かな。山菜や、シカやイノシシのお肉」

「へえ、えへへっ、ン゛ッごめん」


 咳払いでごまかす。自分は笑いの沸点がおかしい。いつも言われることだが。

 彼の口調が妙に大人びていて、これは彼が家族の物真似をしているのだと思ったのだ。

 私を見て、カササギはクスクス笑った。


 たしかにレトロな空気の繁華街には、飲食店が暖かい光をこぼして並んでいる。中華そば、牡丹鍋……。

 中には飲み屋もあり、店主と盛り上がっている中年女性の姿が見えた。

 ここで朝まで明かすのもいいかと思いつつあった。


 携帯の充電は無くなりかけている。


 カササギがくるりとこちらに体を向けた。


「お姉ちゃん、あのね。この町はね、ちょうど駅長さんが辞めてしまったところなんだ」


 下を向いて、もじもじと袖に隠れた手をすり合わせる。


「だから、お姉ちゃんには駅長さんになってほしいな」

「いや無理無理。出来ないよ私になんて。どんな仕事かもわかんないし」

「簡単だよ。この駅だったら切符だって見なくていいし」

「そっかぁ、それならできるかなぁ」


 今の会社よりは私に合ってるだろうか。

 のろまで凡ミスばかり、挙動不審で会社に馴染めない私には、デザインよりも小さな町の駅での生活がいいのかもしれない。ただお給料が出るかが心配だ。

 子供の夢のある話に付き合っているのは、なんて楽しいのだろう。自然と頬がゆるむ。


「うーん、じゃあ、次の電車が来るまでね」

「本当? やった、やったあ!」


 彼と約束をしてしまった。

 だんだん空腹感も強くなってきた。中華そばの看板が誘惑している。


 中華そばの暖簾をくぐり、出されたお水を一口飲んだ時だった。


 ふと、ゴトンゴトンと車両が近付く音が聞こえた。甲高いブレーキの音も。


「すごい。一夜に二度も来るなんて」


 無邪気な彼の驚く顔が見える。

 ああ、助かった。


 袖越しの小さな手が、私の腕を引く。





 駅に来ていたのは電車ではなく古い汽車だった。

 非現実的な光景にも疑問が出ないほど、私は夢ごこちだった。


「電車じゃないからノーカン?」

「ううん、約束だもの。お姉ちゃんも早くお家に帰りたいんでしょ」


 カササギは寂しそうにしていたが、そう言った。優しい子だ。


「またいつか遊びに来てほしいな」

「うん、仕事に疲れたら」


 幼い顔がパッと笑みを浮かべ、カササギが先頭車両へ向かって走る。

 汽車から背の低い車掌が降りて来た。


「さあ駅長さん、初めての仕事だよ! お客さんを案内して!」


 車掌が拳銃を取り出した。

 少年は勢いよく倒れる。


 ダァン。


 重い銃声が、遅れて聴こえた。


 小さな体が倒れている。虚ろな目で。


 呆然としていると、車掌の男は白手袋をはめた掌を上に向け、電車の乗車口を示した。

 拳銃を構えたまま。


「うっ」


 吐き気を堪える。


「お乗りください」

「い、いや」


 私は首を横に振った。

 叫び声が出ない。


「当たるはずがないんですよ。実体のない弾ですから」


 実体、の、ない。

 空砲のことだろうか。いや、そんな言い方はしない。


 私の認識がおかしいのだ。


 銃声だと思ったのは彼が倒れた音だ。


 倒れた少年の身体がビクビクと痙攣している。


「これが効くのは物の怪だけです」


 痙攣が大きくなる。

 いや、徐々に全体が持ち上がっている。


 広い袖からは白黒の羽根が覗いてた。


「早く!」


 少年の頭が小さくなっていた。

 左右にはみ出した、巨大な感情ない目がギョロギョロと動く。


『ギギギッ、ガガッ、ガッ』


 鼻から下は、嘴のように細長くせり出している。


 少年の姿は奇妙な鳥へと変化していた。


 近くの扉から汽車へ飛び乗ると、白い無数の羽が追いかけて来た。

 扉に挟まれていくつか抜けた後、今度は窓を覆い尽くした。

 私は咄嗟に床へ伏せた。

 バリバリバリと不穏な音がする。


 甲高い汽笛の音が響いた。


「出発します」


 低い声と共に浮遊感が来る。

 何を信じていいのかわからない。


 汽車は空を走ってる。

 白い羽はいまだに窓を覆っていた。それに切れ目が出来て、あの目がこちらを覗いた。


『ニゲナイデ』


「ひっ……」


 ギョロギョロと動く鳥の目玉が、私を探している。思わず声が出た。

 目玉が離れると太い鳥の脚が現れた。爪で窓ガラスが削られている。

 不快な音を立てて無数の傷が出来る。


 ゴポッ。

 耐えきれず喉からせり上がって来た液体を吐いた。黒く濁った水だ。

 あの町の店で飲んだ水。


『ニゲナイデ、ニゲナイデニゲナイデニゲナイデニゲナイデニゲナイデニゲナイデニゲナイデ、ニゲ、ニ、ニニ、ニッ』


 巨大な爪の間に、目玉が貼り付いた。


 ギギギギギギッ、ガ、ガガガッ。


 嘴がへし曲がった。

 その怪鳥だけが見えない壁に激突したようだった。

 抜けた羽根を散らせながら、巨大な鳥は汽車から剥がされていく。


 私は起き上がって、後部の窓へ走った。

 小さな連結部の窓からあの姿が見えた。


 汽車のライトに照らされて、巨大なカササギは、山林を薙ぎ倒す前に薄れて消えた。


「結界ですね。誰かが張ったのでしょう」

「………」


 車掌の声が近くで聞こえた。振り返る。

 その後ろ姿は遠い運転席にあった。


「名前を教えなかったのは幸いです。町で飲み食いした物は吐き出しましたか。それはよかった」


 軽い調子でありながら、どこか無機質な声はそのまま喋りつづけた。


 鳴っていた心臓も落ち着いて来ていた。


「最近になって行方不明者が多く出ていましたから。あれは元々この辺りの土地神でして、私が前の仕事に就いていた頃はまだ社も地図に残っていました」

「地図……町ごと無くなったんですか?」

「兵器開発の拠点を建てたんです。地図上では無くなったことになりました。駅と線路は残っていましたし、人手も居るので村もそのままでしたが」


 呟き声でも会話が成立する。


「良い場所でしたよ。あの頃は」


 何かが原因で、地図に存在しない村は、いつしか本当に消えてしまったのだろう。

 あの鳥が落ちていく姿を見て、どこか憐れに思う自分がいた。


「果たしてなんのための結界でしょうか、犠牲者を救うためか、もしくは、利用するためか」

「……あの、私」

「気にしなくていいですよ。怨霊のなりかけとの約束など、反故にしたほうがマシです。触らぬ神に祟りなし」


 車掌はなんでもないように言った。


「さて、今からだと到着は朝の六時になりますが……あなたの職場近くで降ろしましょうか?」


 私は思わず、抱えていた鞄から携帯を取り出した。


「すみません。電波状況は悪いんですよ。何分この乗車率なので」


 『乗客』の影は全く見えなかったが、その一言で一歩も動けなくなってしまった。





 幽霊列車から降りた後は走った。

 会社の洗面所で髪を直し、目の隈を化粧で少し隠した。


「おっ今日は早い。ちゃんと寝てる?」

「す、すみません」


 上司が私の肩に手を置く。


「なんか付いてるよ」


 一房の白黒の風切り羽だった。


「あ」

「本当に面白いねぇ、日野さんは」


 その日に限っては彼女は一度も怒ることなく、私も大きなミスをすることなく仕事を終わらせられた。


 仕事を覚えるために日々を過ごしたために、あの出来事を考える暇はなくなってしまった。

 それでも彼の羽は捨てることも出来ず、今も取っておいてある。




  了

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