第24話 かたつむり

 映画館はスクリーンの映像と一体化できる独特の空間で、小さな映画館はなぜか、より一体化できる。

 中国の過疎地の、郵便配達員が山奥の道なき道を歩いて黙々と配達する映画も観た。

 飛脚の時代から配達という仕事は速い動きで家々を駆け回る仕事だった、とは、宅配会社の社内研修の時に聞いた。

 車もなく、道路も整備されていない時代、手紙や荷物を背負って山中や夜道をひょいひょいと駆け抜けていたらしい。

 その頃よりは遥かに移動手段や通信機器などが発達した現代、配達のスピードも格段に上がった。

 沖縄で米軍基地の辺野古移設に反対し座り込みを続ける人達の記録映像、市民団体のデモ活動の記録映像、元首相の演説に反対のプラカードを掲げたら連行された人達の記録映像、などがミニシアターでは断続的に上映され続けている。

 権力の本質は、戦前や明治以前と、今と、本質的には変わっていない、ということをこれらの作品群を観ていくと、強く感じる。

 表層は目まぐるしく変わって行くが、根っこはずっと変わらない。

 そんな権力の本質をそれらの記録映画は、戦時中や終戦直後、高度成長期の貴重な記録映像を織り交ぜながらあぶり出していて、観てはげんなりさせられる。反対に、こうしてはいられない、と奮い立つような気持ちにさせられることもある。

 この先、下手をすると幸之介や僕のような人間にとってはとても生きにくい時代になって行くのかも知れない。

 ミニシアターからの帰り、百円ショップに寄る。いつもは生活必需品を少し買い足すだけだが、時間に余裕があることもあり、今日は店内をじっくりと見てみた。

 改めて見てみると、実に色々な商品が開発され、売られている。掃除道具も、画期的だ。台所用品や部屋のインテリア用品も、今や百均だけで事足りる。

 地図コーナーで足が止まる。地球儀もある。世界地図と、スケッチブックを買っていた。家に着くのは、ちょうど幸之介が帰宅する時間ぐらいだと思った。

 午前中降っていた雨が止んでいる。雨上がりの濡れた道を蒸発する空気を感じながら歩く。

 借家の我が家の軒先に、小さなかたつむりがいる。この季節には必ず現れる。

 よく見ると、少しずつ動いている。

 帰って来た幸之介が、またじっと見つめるだろうか。そのままにして、家に入る。




 



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かたつむり 松ヶ崎稲草 @sharm

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