第23話 「趣味」復活

 緘黙児は昔からいたが、徐々に一般にも認識されだしてきている。昔の僕も、今なら緘黙児とされていたのかも知れない。

 徐々に、認識や教育は変化してきた。配達先の空気が、季節が、天候が少しずつ変わっていくように、人間の文化や教育も知らないうちに変わっていて、年月を経ると、結果として大きな変化を実感する。

 緘黙はイギリスやドイツで二十世紀初頭に報告されたのが最初だと言う。記録が残っていないだけなのか、学校がまだない時代には、緘黙もなかったらしい。学校、あるいは学校を必要とする社会全体が緘黙を生み出しているのかも知れない。

 学校というものができたのが、日本では明治期、つまり百五十年ほど前から、西洋でも十九世紀からで、長い人類の歴史の中でせいぜい最近二百年ほどのことに過ぎない。

 元々は、軍隊に順応できる人間をつくるためのものだそうだ。明治期の日本は『富国強兵』がスローガンだった。

 第二次世界大戦が終わっても、学校に軍隊の色が消えたわけではなく、朝礼や体育の時間の整列や部活動のあり方などに色濃く残っている。個人が集団の犠牲になるべきだとか、一人が勝手な振る舞いをすると皆に迷惑が掛かるという考え方は、軍隊があった時代から引き継がれている。

 今ではだいぶ薄れたが、僕が小中学生だった三、四十年ほど前は、朝礼の時は背筋を伸ばしてきちんと立っていなくてはならないと言われ、できない子供が体罰を受ける場面も当たり前にみられた。

 その子だけでなく、その列全員がビンタを受けることも、しばしばあった。連帯責任ということを強調された。そんな暗黙の了解も今は変わってきているとは言え、消えずに根強く残っているものもあるだろう。


 幸之介は四年生で、六時間授業がある日も増え、学校からの帰りも夕方四時を過ぎて五時近くになることもあり、妻もパートを始めたので、平日の休みにぽっかりと時間が空くようになった。

 結婚以来、初めてのことかも知れない。

 幼稚園や学校の送り迎えなどに今までは休日を費やしていた。

 小学校も一、二年生のうちは、学校へ行ったかと思うと、あっという間に帰って来る。なかなか一人の時間はできなかった。

 幸之介が四年生になってからの平日の休みは、家の掃除などをしていた。それでも時間が空くようになった。

 そうだ、映画を観に行こう、と思った。

 同僚と話していた時に思わず語ったフェイクの趣味だが、ミニシアターへ行くことは、今でもワクワクする。

 ミニシアターで上映している映画は、淡々としてストーリーもなく、ある人や家族や地域の記録を追うだけのものだったり、ある人の生涯について関係者の証言を延々と流しているだけだったりする。

 俳優の演技というものがほとんどあるいは全く入らない、その種の映画を観るのが好きだった。それで世の中を学び、未知の世界に触れることができる。

 そうだ、自分は学びたかったんだな、と突然、思う。

 映画で、英語やロシア語やヒンディー語やタイ語を聴く。旅行中の記憶とシンクロする。

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