第22話 緘黙ではなかった

 廃校になった小学校跡に数年前作られたマンガ図書館へは、以前から幸之介が行きたがっていた。

 人気のスポットとなっていて、特に外国人客に人気がある。日本のマンガは世界中で人気がある。家族連れも多い。

 マンガを作る工程の展示に、幸之介はいつになく興味深く引き寄せられるように見入っている。目の輝きが、普段と違うように思う。

 原稿にはケント紙等を使い、コマ割りをし、鉛筆による下描き、ペン入れ、ベタ塗り、ネーム入れ等一つ一つの作業が丁寧に解説されている。

 ペンや筆も線の太さや強弱で細かく使い分ける。

 色んな種類のペンや筆が展示されていて、「こんなにあるのか!」

と驚いている。

 今ではマンガ原稿をパソコン画面で作ることが多くなり、筆やペンを使うことは少なくなっている、との解説も加えられている。幸之介は少し興ざめした顔つきになる。マンガの描き方も、時代の変化とともに大きく様変わりしている。

 僕はマンガの歴史に、じっと見入る。

 マンガは明治大正期から出版されていたが、戦後、手塚治虫などの活躍で、特に大きく発展した。

 昭和三十年代頃から、手塚治虫らを中心とする科学マンガやストーリーマンガと呼ばれるジャンルと、赤塚不二夫などのギャグマンガ、さらに『ゴルゴ⒔』のさいとうたかをや『巨人の星』『あしたのジョー』の梶原一騎原作作品等の濃いタッチの劇画、少女マンガなどに細分化されるようになった。

 そう言えば、僕は小学校時代、将来マンガ家になる、と公言していたが、親や先生から、マンガなんかで生活できる人は、ほんのひと握りで、まず無理だよ、と断言され、そんなものかな、と思わされ、中学、高校と進むと、マンガ好きはバカにされる傾向にあり、マンガを描くような奴はダサい、暗い、と言われ、オタク、などという言葉も流行ったので、隠れてコソコソ描くようになり、やがて描かなくなり、マンガへの興味もなくなって行った。

 回りを気にせず、マンガ好きを続けていれば、夢を追い続けていたかも知れない。

 今から思えば、やはりもっと夢を追い掛けて、自分の能力を試したかった。

 マンガ図書館の中では書棚に置かれたマンガを好きなだけ取り出し、読むことができる。

 僕が子供の頃大人気だった赤塚不二夫や藤子不二雄のマンガ、手塚作品はもちろん、新旧ありとあらゆるマンガの単行本や雑誌が取り揃えられている。

 幸之介は普段から読んでいる『トクサツガガガ』『3月のライオン』を手に取っていたが、戦前の『のらくろ』や伝説の雑誌『ガロ』などにも興味を示していた。一日が、あっという間に過ぎる。


 妻が行った一学期末の懇談会では担任の先生から、休憩時間など、友達を追い掛けて、「待ってよー」

と元気で大きな声を出すこともある、との報告をもらった。

「緘黙ではないんでしょうか」

と思い切って妻が聞いてみると、

「そういうのではありません」

とはっきり言われた、とのことだった。

 本当にホッとした。

 過剰に心配していたのかも知れない。

 僕の親も、僕を運動遅滞児の施設へ入れようとした時はわが子の行く末を案じてハラハラドキドキしていたのだろうか。

 今、僕は幸之介のことで一喜一憂している。

 昔なら、おとなしい子供、で終わっていたように思う。

 

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