厳徹屋にて

江古田煩人

厳徹屋にて

 ガラ通りの錯感さくかん商店街を南へ横切るようにして抜けると、やがて巨大な建物群に出くわす。壁という壁にネオン看板や配線、ダクトや排水パイプが張り巡らされた棟の一つ一つはちょうどマッチ箱を大きくしたような形で、互いに支え合うようにしながらコの字型に並んでいる。ガラ通りの中でも手に職を付けた住民がめいめいの店を構えるために集まっているこの区画は、かつて建設途中で放置されたままの廃団地の一部をそっくり利用していることから、その頃の名残りで今でも雑営ぞうえい団地と呼ばれている。


 ちょうど午前最初の依頼が終わったところだった。狭い仕事部屋一面に据え付けられたモニターの光を浴びながら、電脳は今まさに浅い眠りの中へ落ちようとしていた。椅子の上で寝返りを打った拍子に身体中に繋がれた無数の通信ケーブルがきしんだ音を立てたが、わざわざ起きて外す気にもならない。いずれ数時間もすれば次の依頼が飛び込んでくるのだ。

 検索屋の仕事に昼夜はない。例え真夜中だろうと、明け方だろうと、急な調べ物の依頼があれば——今回は逃走経路の検索だった、丹本自警団に追跡されていたらしい——すぐさま飛び起きて、インターネットの大海を客の注文に応じてあちこちつつき回す作業に入らなければならないのだ。依頼が込み入ったものであればあるほど報酬も弾むのだが、いくら身体のパーツのほとんどを電子機器に組み替えているとはいえ、生身の精神をコンピューターと同期させ続ける作業は心身にかなりの負担を強いる。こういった仕事の合間に挟むわずかな眠りは、ネット漬けの脳を休める唯一の手段であった。目を閉じてもなお、数時間もの間見つめ続けていた環状道路の経路図がまぶたの裏にくっきりと焼きついている。依頼人は果たして無事に包囲網を突破できたのだろうか、そんな考えがちらりと脳裏をかすめたが、依頼された以上のことにいちいち首を突っ込んでいては身がもたない。椅子の上で赤子のように膝を抱えながら、電脳はしばらくまどろみの中を漂っていた。

 

 不意に、ぼやけた人影が脳裏をよぎった。店の前に佇む背の高いシルエット……醒め際の夢かとも思ったが、目を覚ましてもなお映像は消えない。店前に据え付けてある監視カメラが、通信ケーブルを通じて視覚野に映像を送り続けているのだ。寝起きのせいか映像の処理が甘く、いびつなグリッチノイズのせいでその顔までは分からない。依頼客が訪ねてきたのだとしたらあまり戸口で待たせておくのはまずい、意識を店先のインターフォンに繋ぐと電脳は慎重に人工声帯のチャンネルを合わせた。

『こちらは佐倉さくら電子機器製造所です。本日の営業は終了いたしました、ご用の方はメッセージをどうぞ』

天和テンホー地和チーホー三暗刻サンアンコウ。電脳、このくだらない合言葉は一体いつまで続けるつもりですか?」

 久しく耳にしていなかったその声を聞くなり、電脳は全身のケーブルをむしり取るとすぐさまドアに飛びついた。電子錠を解く手ももどかしくドアを開けると、果たして戸口に立っていたのは電脳の一番の親友であり相棒であるところの愛すべき詐欺師……およそ一ヶ月前から消息が途絶えていたはずの、淀橋咲次郎であった。久方ぶりに姿を現した相棒の姿を見上げ、電脳は思わず声を上げた。

「淀橋! お前、今までどこで何してたんだよ? 本当に心配してたんだぞ、奴らにまた酷い目に遭わされてるんじゃないかって。ここいらの私立探偵なんて生き馬の目を抜くような海千山千の連中だからな、財布をぶん取られるついでに尻の毛まで毟られたんじゃないかってお前の家まで様子を見に行ってやろうかと思ってたところだ。大丈夫か?」

「ご心配には及びませんとも、おかげさまで最高の気分ですよ。あなたこそ、その電子辞書の焼き映しみたいな言葉遣いは相変わらずなんですね」

「お前の潤沢なボキャブラリーに合わせてるだけだよ、そんな棘のある言い方をしなくたっていいだろ。なあ、本当になんともないのか? 右目の上なんかひどく切れてるみたいじゃないか、可哀想に」

 電脳の声をまるで無視したような態度で、咲次郎は狭い待合室のソファにどっかりと腰を下ろした。ひどく殴られたのだろうか、その顔面には痛々しい青痣あおあざがまだら模様になっており、傷がまだ痛むらしく咲次郎はコートの隠しから取り出したハンカチでしきりに目の上を押さえている。憔悴ですっかり苔色にくすんだ顔を前に、電脳は決まり悪そうに目を伏せた。

「だから言っただろ、探偵相手の復讐だなんてろくなことにならないって。手を貸した俺にも責任はあるけれどさ」

 元はと言えば、咲次郎が言い出したことだった。なんとか言う探偵事務所の連中に酷い目に遭わされた、その時に撮られた写真のネガを取り戻したい、というのである。ネガに何が写されているのかまでは教えてもらえなかったが、その時の咲次郎の顔から想像するによほど悪用されたら困るものであるらしかった。例えば、自身の裸とか……この辺りの私立探偵は平気でそういうことをする。捕まえた悪党を裸に剥いて、ゆすり目的で写真に収めるくらいのことは。確かに、咲次郎も電脳もお互いわずかばかりの悪事で生計を立てているというのはまぎれもない事実なのだが、だからといってそれらを報酬目当てにいたぶるガラ通りの私立探偵は果たして正義の味方なのだろうか。この辺りの探偵は——そう呼んでいいのだろうか、わずかな金と引き換えに人の親友を殴りに行くような奴らを——住人からの依頼を盾に、悪人と見なした者にはとにかく容赦がない。まあ探偵に依頼が行くほどの悪事をした覚えがあるならしばらくは大人しくしておくか、縄張りを替えて商売を続けるかのいずれかしかないのだが、咲次郎はそのどちらをも拒否した。それどころか、あの性根の腐った畜獣ちくじゅう連中に一泡吹かせてやりたいとまで言い出したのである。その結果どうなったか……ガラ通りの探偵連中に下手に手を出すとどんな目を見るか、青痣だらけでうなだれる咲次郎の姿を見れば一目瞭然だろう。

「お前がどうしてもあの探偵事務所に一矢報いてやらないと気が済まないって言うから、俺も検索屋として一肌脱いだんだよ。場所だけならおあつらえ向きだったろ、あの空き家は?」

「そのはずでしたがね、やっぱり復讐だなんて慣れないことするものじゃありませんよ。あそこの連中は金さえ握らせれば口が固い、なんてあなたが余計なこと言わなければ上手く行っていたかもしれませんが」

「場所さえ押さえられたらあとは自分一人でやる、って言ったのはお前じゃないか。あの日以来ふっつり顔を見なくなったから、海にでも沈められてたら俺の責任だってずっとそればっかり考えてたんだぜ」

 咲次郎のすぐ隣に腰掛けながら電脳は小型冷蔵庫から取り出したエナジードリンクを勧めたが、咲次郎はその毒々しい緑の缶にちらりと目を向けただけで手を出そうとはしなかった。

「良薬は口に苦しって言うだろ、これに懲りたら復讐なんて馬鹿なことを考えるのはもうやめようぜ。人を呪わば穴二つって言うじゃないか、お前が無事に戻ってきてくれたってだけで俺は地獄で仏に会った気分だよ」

「ああうるさい。他人事みたいに言いくさりますね、こうなる事が分かっていたなら力づくでも止めてくれればよかったのに」

 あまりに無茶な言い草であるが、粗暴な探偵相手に散々酷い目に遭わされたであろう咲次郎が誰彼構わず八つ当たりしたくなる気持ちもよく分かる。うなだれる背中をそっと撫でてやると、電脳はエナジードリンクを一口飲んだ。

「淀橋、お前まだ昼飯食ってないだろう。なにか美味いものでも食いに行こうぜ? 今日は俺が奢るからさ。そこでまた話を聞かせてくれよ」

 

 雑営団地から中心街外縁部までは、環状道路でタクシーを拾えばほんの十分も掛からない。表通りから一本入った奥の路地に赤のれんを出している「厳徹屋がんてつや」は量も多くうまい麺を出すので、昼過ぎにはトラック運転手や足場職人がこぞって詰めかけるのだが、二人が来た頃にはちょうど盛りの時間を過ぎたらしく店内はがらんと開けていた。カウンターに一人、こちらへ背を向けたまま麺をすすっている男以外に客の姿はまるでない。カウンターから最も離れた壁際のテーブル席に腰を下ろすと、電脳はぐっと声を潜めながら咲次郎の方へ身を乗り出した。

「それで、淀橋。例のネガは結局取り戻せなかったのか」

 咲次郎はそれには答えず、手元の油じみたお品書きに目を落とすふりをしていたが、その後ろではくるりと巻かれた尻尾が神経質に揺れている。よく考えてみればこれだけ酷い目に遭っていながらネガだけは奪還できたという方がおかしい話で、電脳のいかにも取ってつけたような労いの言葉が気に食わなかったのか、咲次郎は乱暴にメニューを突き返すとうんざりしたようにテーブルへ肘をついた。垢じみたコップの水がわずかに揺れる。

「その話、まだ続けます?」

「淀橋、俺はただ……分かった、食事どきにしていい話じゃなかったかもしれないな。でも誤解はよしてくれ、俺に出来ることがあるなら何か手助けしてやりたかっただけだ。善隣友好ぜんりんゆうこうって言葉もあるだろう」

「あいにくですが、こちらはあなたのように頭の中に熟語辞典だのことわざ辞典だのを持っているわけではありませんので。機嫌のよくない時にそういう言葉遣いをされると、あなた風に言いますとね、虫唾むしずが走るんですよ」

 押し殺したような咲次郎の声に、電脳は今度こそ口をつぐんでしまった。普段でも機嫌の悪いときはざらにあるが、あくまで冷静であろうとする咲次郎がここまで感情をあらわにするのは珍しい。心の内を表すかのように咲次郎の組み合わせた両手が指先からかすかに黒ずんでいったが、その手を隠すように腕を組むと、咲次郎は電脳の手元にあるメニューをぞんざいに顎で指した。

「決まったんですか」

「えっ? ああ、お前は決めたのか」

「食べる気が起きないんですよ、餃子一皿頼んで半分はあなたが食べたらいい」

「そんな、俺のおごりなんだからもっと食べろよ。遠慮は罪悪って……いや、お前がいいなら俺も無理強いはしないけれどさ」

 じろりと向けられた鋭い目線から逃れるように電脳がカウンターへ手を振ると、厨房で様子をうかがっていたらしい虎顔の店主はすっかり心得た風で、にやにや笑いを浮かべながら注文を取りに来た。

「よう、デジコンの坊ちゃん。ここんとこしばらくご無沙汰だったじゃねえか、トカゲの旦那もお揃いだってことは仕事でデカいヤマでも当てたのかい」

「そうだったらいいんだけどな、今日はあいにく前祝いってとこだ。あとその……トカゲの旦那ってやつはやめてやれよ大将、こいつ今少しナイーブなんだ」

「ほう? そりゃ悪かったな、どうも癖になっちまって。それにしても何があったよ、カメレ……いや、ああ、蛭縞の旦那」

 テーブルの向こうから聞こえる露骨なため息に電脳は声をひそめたが、店主はどこ吹く風である。常連の二人がそれぞれどんな仕事で稼いでいるかということも店主はしっかり心得ており——常連客の何割かはそういう相談・・・・・・のための場所としてこの店を利用している——だからこそ電脳も咲次郎と昼食を取る際は好んでこの店に通っているのであるが、土足で遠慮なく上がり込んでくるような店主の物言いには咲次郎ならずとも眉をひそめる事があった。

「立派な角生やした二枚目がそんなしおれた顔してちゃ始まらねえよ、たっぷり稼いで贔屓にしてもらわないとうちの店も商売あがったりだってな。冗談だよ冗談、兄貴ら、注文はいつものでいいかい」

「あー……俺はいつもの、こいつは餃子一皿でいいってさ」

「へえ? 珍しいな、せっかくだからレタス炒飯でもおまけしてやろうか」

「お気遣いなく、ありがとうございます」

 跳ねつけるように言う咲次郎の肌色は、先ほどより確かに黒ずんで見えた。

 

「あいよ、肉アブラ全マシ特盛りに餃子一皿。ごゆっくり」

 目の前にそびえる麺の山を、咲次郎は信じられないものでも見るような目で眺めていた。そこそこの大きさがある餃子の皿でも、それよりはるかに大きな丼の隣に並ぶとまるで子供のままごと遊びに見えるのが不思議である。うろんな目を向けながら小皿へ醤油を注ぐ咲次郎をよそに、電脳はさっそく箸を取った。

「さあ来たぞ、食おう」

「相変わらずその小さな身体でよく食べますね、というかあなたって半分機械なんじゃないんでしたっけ」

「インプラントパーツは生体用にチューニングされたやつを使ってるからな、身体との馴染みはいいんだけどその分エネルギー消費が激しいんだ。それに半分はまだ生身の身体さ、まさかガソリンを飲むわけにもいかないだろ」

 野菜の小山を箸で崩しながら、電脳は口元のフレームパーツを片手で外した。むきだしになった顔面に顎はなく、色とりどりの絶縁ケーブルが絡み合った顔の真ん中には喉まで続く肉色の穴がぽっかりと口を空けている。その穴の中へせっせと麺を運ぶ電脳とは裏腹に、咲次郎の手は餃子を一つつついたきり少しも動かなくなった。当事者以外から見たらサイボーグの食事風景というのは多少なりとも奇怪に映るのかもしれないが、生身の人間でもしていることは同じなのである。というのが電脳の主張であるのだが、咲次郎はどうもこの光景と電脳の素顔にはいつまで経っても慣れないようだった。

「もう少し食べろよ、昼飯が餃子一つなんてあんまりだ」

「ですから言ったでしょう、食欲がないんです。胃腸が弱ってるときにこってりした油物を好んで食べたいとは思いませんよ」

「じゃあ、どういう店ならいいんだよ? 今度はそこに行こうぜ」

「そういう問題じゃありませんって言っても分からないでしょうね」

 ぞんざいに押しやられた皿から餃子を二つ三つつまみ取ると、電脳はぽっかり空いた皿の隙間に分厚い叉焼チャーシューを一枚載せて咲次郎の方へ押し戻した。咲次郎の目線が皿の上の叉焼を、そして電脳の顔をすべり、睨みつけたように動かなくなる。

「もう一度言いましょうか? 食欲がないんですけれど、私は」

「食えよ、一口でいいから。元気をつけなきゃだめだろ、倒れちまうぞ」

「しつこいですね、お節介してる暇があったらさっさと食べちゃいなさいよ」

「今日は黙らないからな、淀橋。いいか、俺はお前が本当に心配なんだ」

 所在なさげに小皿の中身をかき混ぜている咲次郎の手が、不意に止まった。

「そりゃさっきはあまりに無遠慮だったかもしれないけど……悪かった、それは謝るよ。それでもさ、俺は本当に、お前とこうして飯を食べに行くのが好きなんだよ。俺はすごく楽しい。お前にも、同じように少しでも楽しくなってほしいだけなんだ」

 いつになく真剣な電脳が奇妙に映ったのだろうか、咲次郎は狐につままれたような顔で目をしばたかせている。

「なにも仕事仲間だからっていうんじゃない、そうじゃなかったら昼飯を食いに行くのにわざわざお前を誘ったりしないさ。それに、お前だって毎回文句を言いつつ一緒に来てくれるじゃないか。淀橋、俺はお前のことを、本当に友達だと思ってるからこんなに心配してるんだよ。それも迷惑だっていうなら、俺も少しは自重するけどさ」

「……よく言いますね。お得意のことわざ辞典はどうしたんですか?」

「同期を切ってるんだよ。聞くと虫唾が走るっていうからさ」

「呆れた。あなたのそういうしつこさ、本当に嫌になりますよ」

 ため息混じりに叉焼へ箸を伸ばす咲次郎の指先は、本人がそれに気づいているのかは定かではないが、いつも通りの若草色を徐々に取り戻し始めているようだった。電脳がそれを口に出せばきっとまた機嫌を悪くするのだろうが、その柔らかく湿ったような薄緑の肌を、電脳はひそかに気に入っていた。

「よかった、笑った」

「笑ってませんが。それにしても、あの安値でこの大きさの叉焼を具にするなんて、一体なんの肉なんでしょう」

「蛭肉だよ、ここは昔からそうだ。客の食べ残しやその日の余り物がたくさん出るだろう、それを裏で育ててる蛭にやるのさ。そりゃ、生血の方が育ちも味もいいけど、安さでいったらこれが一番だからな。生ごみをそのまま肥料にするよりずっと合理的だって店主も……どうした、淀橋?」

「……せっかくですけどね、もうお腹いっぱいですので」

 

「それで、これからどうするんだ」

 お冷で喉をしめしている咲次郎に、電脳は出し抜けに問いかけた。

「どうするって、何がですか」

「仕事だよ。俺はできればまたお前と一緒に働きたいと思ってるんだけれど」

 カウンターで食器を洗っている店主がこちらをじろりと見たが、すぐまた何事もなかったかのように視線を戻した。ちょうどいい働き人を探しているのか、それとも逆に二人の仕事のおこぼれを狙っているのかもしれないが、電脳は店主に向かってそっと人差し指を立てるとすぐまたテーブルに向き直った。

「いい金策が見つかりそうなんだ。お前がいない間、暇つぶしに通信ポストの秘匿伝送を傍受してたら面白い話を見つけてな」

「面白い話?」

 いぶかしげな目を向ける咲次郎に、電脳はぐっと声を潜めた。指先でテーブルの上にいくつも輪をなぞりながら、時折さぐるように咲次郎の顔をちらりと見上げる。

「雑営団地にいくつも賭け酒屋があるだろ、そこの元締めに融資してる闇金の連中が近いうち一斉に取り立てをしようって言うらしいんだ。淀橋、たしかお前も少し前に、なんとか言う金融会社で働いてたろ?」

「ええ、知人のつてで。丹本自警団の摘発で自然解散しましたがね」

「今回の取り立てはどうもそいつらが一枚噛んでるらしいぜ。なら多少はお前の顔も利くんじゃないか? 今回の案件に乗っかれればきっとすごいぞ。もちろん出し渋るやつらがほとんどだろうけど、弁が立つお前なら賭け酒屋の連中に金庫を開けさせるくらい赤子の手をひねるようなもんだ。多く持ち帰れればそれだけ俺たちの取り分が増える……」

「冗談じゃない、これ以上ここであいつらに目をつけられるような真似を誰がしたがるっていうんですか。あれこれ詭弁を弄する手腕なら、ことわざ辞典を頭に持ってるあなたのほうが一枚上手だと思いますがね」

 うんざりした顔で咲次郎は顔を背けたが、電脳はなおも食い下がった。

「そんな事言ったって、淀橋、食うためには仕事が必要じゃないか。少しくらいちょろまかしたってばれやしないさ、現金は俺の方で電子化してどこか裏の個人バンクに預けておけばいいんだから。いいか、俺はお前とだから仕事がしたいんだ。自分を低く見積もるのはよせよ」

「あなたのその楽観主義、私はどうも気に食わないんですがね。げんに私は酷い目に遭った……まあ、それは言い過ぎでしたかね」

 厨房からこちらに向かって物欲しげな目線がちらちらと向けられる。乗り気でない咲次郎の代わりに、どうやら店主がうまそうな儲け話に乗ろうとしているつもりらしいが、電脳はその視線を遮るように咲次郎の顔をぐっと覗き込んだ。

「淀橋、俺はお前の仕事の人柄も、腕前も買ってるんだよ。働いているときのお前の顔、なにより生き生きしているじゃないか? なあ、また一緒にやろうぜ。俺とお前なら強大無比だ、ひとつ暴れてみようぜ」

「……ふん」

 気のなさそうな返事を返す咲次郎の瞳にいつもの小狡こずるそうな光がよぎったのを、電脳は確かに見逃さなかった。

「考えておきます」

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厳徹屋にて 江古田煩人 @EgotaBonjin

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