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帰途の間、地面を踏みしめているという実感が常に欠けていた。感じるもの全てが擦りガラス越しであるかのようにぼやけていた。
自分が何をしているかという事実を理解することは、それでも容易かった。歩いて駅に向かい、財布を取り出して改札にかざし、それも、リーダーがしっかりと読み取れるように、ほぼ接触させるくらいに近づける。人の少ない列に並んで乗り込み、どんな人が触ったかも分からないつり革を一抹の不快感と警戒感と共に握りしめる。冷房の風が回ってくるのを心待ちにする。人波に身を任せるようにして乗り換える。最寄り駅に降り立ち、帰るべき場所へ足を動かす。徹の身体は染みついた習慣的動作を粛々と遂行していた。
だが世界の一部として自分があるという素朴な確信は、どこにも見当たらなかった。現在と現実から隔離されているような気がした。海馬からとめどなく呼び起こされ、脳内を垂れ流れるあの日の映像の方が、今はよほど鮮烈でリアリティがあるように思われた。あの衝撃と爆音。立ち込める煙火の臭気。それをただ茫洋と見つめる自分の、いやに落ち着き払った呼吸。
月明かりに鈍く光るドアノブを手が摑むのを見ながら、あの炎の中に、その先の未来が詰まっていたのかもしれないと思った。
徹が家庭を離れたこと。
青柿が不信と曖昧の海の中で苦しんだこと。
水脇が職を辞す決意をしたこと。
八百万が安穏と生き永らえたこと。
菊子や稔が理不尽を甘受したこと。
そして、凛香が重い十字架を背負い、誰にも言えぬまま自らを責めてきたこと。
あの日から、何もかもが惰性なのだ。
*
子どもにとっての、夏休みの最終日。
目が覚めた時には十二時を過ぎていた。
依然として、自分の身体は他人の物であるかのようだった。よくここに帰りつけたものだと苦笑しようとした。凝り固まった頬はそれを許さず、不気味な表情が浮かぶのだけが分かる。それを見る者が誰もいなくてよかったと思った。
机の前に、徹は座った。
鞄の中からメモ帳を取り出した。
昨日のことを滲むインクで余すところなく書き記した。
それからページをパラパラと捲って、これまでに書きつけてきた数多の文字を、繰り返し、人差し指でゆっくりとなぞった。
*
どれほど長く、そうしていただろう。
警察手帳をメモ帳の脇に置いた。最後の仕事には不要な代物だ。
徹は立ち上がり、外へ通ずるドアへ向かう。
やるべきこと、確かめなければならないことが、まだ一つ残っている。
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