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目標は八百万を取り巻く疑念の解明、ただ一つに絞り込まれた。
とはいえ迂闊に八百万と接触するのは得策でない。八百万がそう簡単に口を開くことはないだろうし、八百万の自宅に何らかの証拠がまだ残っているとするなら、それを処分されてしまいかねない。
だから徹は、十二年越しの地取り捜査を決断した。
八百万宅を中心とする同心円を描くようにして、しらみつぶしに話を聞いて回った。
昨日と今日の区別もつかぬ炎天下の中を歩き続けた。
様々な声を、徹は拾った。
たまに見かけて挨拶をすると照れ臭そうにはにかむのだと言う、犬の散歩をしていた女性。
たまに姪の姿を見かけたくらいで、両親が死んでからはずっと独身だと話す中年男。
たまに登下校中の小中学生と楽しそうに話をしているよと頬を緩ませる、向かいの家の老人。
八百万を慮ってか、あるいは徹を怪しんでか、口を閉ざす者。見かけたことはあるが話したことはないという者。
そして大半は、知らないという答えだった。
近所づきあいというものがそもそもほとんど存在していないのだ。事件後に転居してきたという者も多く、彼らについては有益な話を望むべくもない。
一日、また一日と経つにつれ、何も知らないという人の割合が増加していった。八百万の自宅から離れていくのだから当たり前のことだった。否応ない無力感が、ただでさえ重い身体にのしかかった。
*
話を聞き始めて六日目、八月三十日の夕方。もう八百万を問い詰めるしか道はないかもしれないと考え始めた頃だった。
「事件の時、八百万さん、私と一緒に登下校の見守り隊をやってたんです」
八百万の自宅から約四百メートル、つつじ小学校ほど近くの三角屋根の和邸宅。生命力猛々しく生い茂る庭木が落とす陰の中で、伊本万里江はそう言った。
「登下校の見守り隊、ですか」
「ええ、ほら、よく見かけますでしょう? 横断歩道に立って小学生が事故に遭わないようにするボランティアですよ」
「それは、つつじ小学校のですか」
「もちろん」
生唾を飲みこむ。光彦の母校だ。
「八百万さんはいつ頃から見守り隊に参加なさっていたんですか?」
「あぁ、どうでしたでしょうねえ」
伊本は首を傾げる。黒のレースのブラウスがほのかに揺れる。
「私が入ってから二年くらいでしたから、恐らくは、二〇〇六年頃でしょうかね。本当嫌になっちゃうわ、もう二十年くらい前だなんて、私も齢をとるはずよ」
伊本の品の良い苦笑に愛想笑いで応える。事件の四年前。
「八百万さんは、土曜の登校日の担当でした」
「どんな様子でした?」
「真面目にやってらしたと思いますよ」
「いつ頃、辞められたんですか?」
「確か一年くらいでお辞めになったと思います。そういう人、多いんですよ。やってみると案外大変ですからね。子どもって本当に危なっかしくて、肝を冷やすことばっかりですし、何かあった時に責任とりたくないって思うのも自然だと思います。でもね、私たちのこと覚えてくれる子もいましてね、そういう子がニコニコ挨拶してくれたり、一緒におしゃべりしてみたり、そういうのがやりがいで、私なんかはそれで逆にやめられなくなってしまいました。それでもう二十年ですよ」
何かが頭の中で引っかかった気がした。
「八百万さんが子どもと話していた記憶は、あったりしませんか?」
身体は急速に熱を失いながら、重みだけを増していく。
思案顔で足元を見つめていた伊本が、面を上げる。
「ああ、そういえば一人、いましたね」
軽い口調で伊本は言った。
「よく女の子と喋ってました」
呼吸が速まる。
「どんな女の子が、覚えておいでですか」
「小学校、中学年くらいだったと思います。二人ともすごく楽しそうだったってこと以外はほとんど覚えてないんですけど」
つぐみかけた伊本の口を、鮮烈に甦った記憶がこじ開けた。
「そうだ、その女の子、黒のランドセルをしょってました。いや、女の子なのに黒なんだって意外な感じがしたものですから」
真相が突如として徹の前に現れた。
込み上げるものがあった。吐き気だった。全身で押しとどめ、深く息を吸い、隅々にまで酸素を行き渡らせた。再び直視するには、覚悟とエネルギーが必要だった。
それはあまりにもおぞましく、酷烈な光景だった。
伊本のもとからどうやって離れたのか、全く覚えていない。
行くべき場所だけが、はっきりとしていた。
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