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 翌日の昼下がり、鴻巣駅に着いた。

 いかにも地方都市という感じの、既視感のある駅だった。駅舎直結の商業施設に収まるのはチェーン店ばかりで、その中に、水脇が働いているスーパーはあった。

 生鮮食品の棚から流れ出る冷気が手伝ってか、店内は涼しすぎるくらいだ。汗を乾かしがてら、徹はあてもなく歩いた。昼過ぎという時間帯もあってか客はまばらだった。しばらくして、無意味に陽気な店内音響をかわすようにして、子供の軽やかな笑い声と足音が近づいてきたかと思うと、小学校低学年と思しき男の子が目の前に現れ、徹に一瞥をくれた後、さっそうと脇を走り抜けていった。弟だろう、一回り小柄な男児が続き、小さな足で兄を追いかけていく。数秒後、背後で母親の鋭い声が轟いた。子供の声は以降、ぱったりと止まった。

 あれくらいの頃、徹にとってもスーパーはダンジョンそのものだった。背丈を遥かに超すラックは身を隠すための壁に、商品は冒険を助けてくれるアイテムに見えていた。

 寒くなって来たので外に出た。相変わらずの激しい暑さだが、身体の冷たさをほぐしてくれる間は気持ちがいい。正面のロータリーの中央島には花時計が設置されていたが、地味な色合いが災いして存在感に乏しい。むしろ水やり用のホースの水色の方が日の光に照らされて目立っている。花時計を取り囲むようにして街灯が六本突き刺さっているが、右端だけはなぜか樹木で、その傍らに「ひな人形と花のまち こうのす」と記されたモニュメントが備えられている。

 モールの脇に沿って幅の広い歩道を行く。日光が肌を刺した。幹が細く不健康そうな街路樹が落とす木陰は気休めにもならなかった。

 やがて目の前に、小奇麗だが取り立てた特徴のない建物が見えてきた。壁面に市民センターや映画館、ファミレスの名前が目立つように記されている。

 指定されたカフェは、その真向かいだった。

 濃い緑色のスライドドアをゆっくりと開けると、素朴で柔らかな雰囲気の店内に、女性客がひしめいている。

 その最奥の席で、ピンクのシャツを身にまとった水脇が手を上げていた。

「しばらくぶり――でもないか」

 徹が席に着くなり、水脇は含み笑いをした。

「あの妙ちくりんな電話から一カ月も経ってない」

「その節は、すみませんでした」

 上手く笑えているか自信がなかった。

「直接お会いするのは、だいぶ久しぶりですね」

「最後はあれか、署長の葬式の席か」

「ええ。だから、二年前の冬ですかね」

 声が滑る。

「でも、お変わりないようで」

「二年かそこらで変わるかよ」

 四角い顔がほころぶ。

「しかしテツの方から誘ってくるとは、こりゃ雪でも降るかな」

 あの日も、雪だった。

「この店には、よく?」

「隣で映画見た後、便利だから」

 よくよく聞くと、確かに映画の感想が聞こえてくる。

「俺には似合わんか?」

「いや、全然」

 軽口を上手く受け流せるだけの余裕はなかった。

「ここには確か、ご実家があるんでしたよね」

「ああ」

「今は、お一人で?」

 水脇は頷いた。

「一人にはちょっと広すぎるよ」

 水脇がホットコーヒーを啜ると、徹のホットコーヒーが届いた。黒い水面に映る自分と目が合った。これといった理由なく、しばらく見つめ続けた。

「飲まないのか、テツ」

 水脇が聞いてきた。

「お前、猫舌だったっけ」

「それは水脇さんでしょ」

 水脇は満足げに鼻を鳴らした。徹は唇をコーヒーに浸して、すぐに戻した。カトラリーの擦れる高い音が耳に障った。

「警察を辞められたのは、介護のためでしたよね」

「おふくろのな」

「本当に、それだけですか?」

 白々しいまでにきょとんとした表情を水脇は浮かべた。

「どういう意味だ?」

「水脇さんの辞職には、あの事件が関係してるんじゃないですか?」

「本当のところは、自分でも分からんよ」

 するりと質問をかわした水脇は、窓の外に目線を投げる。

「あの訳の分からん依頼、断ったんじゃなかったのか?」

 勘付かれていたらしい。

「ったく、とんだ物好きだね」

 その口角は微かに上がっている。

「どうしてそうだと?」

「んじゃなきゃこんな田舎まで来ないだろ」

 物腰には余裕が満ちている。

「一つだけ分からんのは、テツが俺に何を聞きに来たのかだよ」

 リラックスしているとすら言ってもいい。

「それ、本当に言ってますか?」

 水脇は首を傾げた。

「どういう意味だ?」

 心底当惑しているような仕草だった。

 でも、それが自分の願望の投影でないとまでは、徹には言い切れない。

「大和海を、覚えていますか」

「そりゃ覚えてるさ。例の目撃証人だろ?」

「その証言に、疑いの余地があるんです」

 水脇の眉根が鼻筋に引き寄せられる。

「どういうことだ?」

「何者かが大和海に情報を漏らした可能性があります」

 額の皺が深まる。

「つまり、大和海の証言が噓八百ってことか?」

「昨日、大和海に直接接触しました」

 言葉を切り、声を絞って、

「僕の心証は、真っ黒です」

 水脇の顔が歪む。

「テツ、本当ならそれ、えらいことだぞ」 

 水脇は徹を見据えた。それを徹はじっと見つめ返した。

 その瞳孔は微動だにしない。

 昨日の大和とは正反対に、振舞いの何もかもが自然だった。

 疑わしいところを強いてあげるなら、それは自然すぎることだった。

「水脇さん」

 徹は尋ねた。

「大和に情報を流したのは、水脇さんなんじゃありませんか?」

 一拍、間があった。

「すまん、何て?」

 聞き返す水脇の頬は微かに緩んでいる。

「大和に情報を流したのは、水脇さんなんじゃありませんか?」

 一言一句たがわず、繰り返した。

 水脇はピタリと動きを止めた。

「どういう意味だ」

 探るような眼差し。

「そのままの意味です」

 目を逸らさずに徹は答えた。

 水脇は一度、視線を外した。小さな吐息がささくれた唇から漏れた。

「本気で言ってんのか?」

「こんな趣味の悪い冗談、言うと思いますか」

「思わない」

 平たい声色。

「何で俺なんだ?」

 水脇は徹を睨む。

「根拠は何だ?」

「大和に情報を流した人物は、少なくとも二つの条件を満たしている必要があります」

 携帯が震えはじめたが、無視を決め込む。

「一つは、大和の証言よりも前に、藤池光彦の車にステッカーが貼ってあったという事実を知っていたこと。もう一つは、動機の存在」

 視線に力を入れ込む。

「この二つの条件を満たす人間が、水脇さんくらいしかいないんですよ」

 水脇の表情は崩れない。

「一つ目の条件を、水脇さんは満たしますね?」

「忘れかけてたがな」

 水脇は言った。

「だがテツ。悪いが俺には、動機なんて何一つ思いつかん」

 水脇は両掌を上に向ける。

「あるじゃないですか。立派な動機が」

 声が震える。

「大和が現れる数日前、青柿に電話をかけたそうですね」

 樋山が仙川署の捜査員を殴った、その日の夜。

「責任を、感じていたんでしょう?」

 徹は言った。

「捜査が難航して、現場が地獄になっているのは、自分たちのせいだと」

 自分たちが事故を起こさなければ、そうはならなかったはずなのに。

 水脇は徹から目を背けた。少なからずの狼狽が見えた。

「あなたは、どこかのタイミングでマルーンのステッカーのことを思い出し、それを使って目撃証言をでっち上げようと決意したんじゃありませんか?」

 徹は問うた。

「具体的にどうやって大和に情報を流したのかは分かりません。偶然、あなたと大和の間には何らかの関係があったのかもしれないし、あるいは捜査本部の誰かと共犯関係を築いた後で、その人物を介して大和に情報を伝えたのかもしれない。いずれにせよ、そうすることであなたは、梅ヶ丘署の連中を、現場の警察官を、いつまで続くか分からない拷問から解放しようとしたんじゃありませんか?」

「そうだな」

 脆くも大きな声だった。

「できることなら、そうしてたかもわからん」

 また携帯が震え始める。

「だが俺は、そうしなかった」

 水脇は頭をもたげた。

「何も、できなかった」

 徹を睨め上げるその目は濡れていた。

「だから、俺じゃない」

 堂々たる、痛切な否認だった。

「調べれば、すぐに分かることですよ」

「ああそうだ。調べろ、テツ」

 卓上の拳を水脇は握りしめる。

「大和海、帳場に詰めてた刑事、片っ端から洗うんだよ」

 ブラフか、本心か、徹には分からなかった。

 徹は後者に賭けたかった。

 携帯をチラリと見てから立ち上がる。

「どこ行く?」

「東京に戻らなきゃみたいです」

 液晶画面を水脇に見せる。

「上司からの呼び出しのようで」

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