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「困るんですよね、アポもなく来られちゃ。こっちも忙しいんで」

 高地登志勝は落ち着きなく知恵の輪をいじっていた。

「すみません。お忙しい中、ありがとうございます」

「いや、別にいいんですけどね」

 高地は灰色のジャケットに赤のネクタイという出で立ちだった。頭は卵型で、顔面はテカテカと光っている。

「でも俺、もう悪いことしてませんよ? ちゃんと反省して、更生しましたし」

 出所から約十年。財閥の関連企業の一つ、ハイランドマリンフーズの専務というポストを高地はあてがわれていた。

「もちろん、存じ上げてます」

 急に飽きが来たのか、高地は知恵の輪を机の上に放った。

「じゃあ、何の用?」

 高飛車な態度には早くも苛立ちが見え隠れしている。

「藤池光彦を覚えておいでですか?」

 名前に反応してか、高地の耳たぶがピクリと動いた。

「え、あいつのこと調べてるの?」

「ええ」

「なんで? だってもう死んでんでしょ?」

「少し事情がありまして」

「ふーん」

 高地は鼻で言った。

「高地さんから見てどんな人でした? 藤池光彦は」

「どんな人って言われてもねぇ」

 高地は引出しから別の知恵の輪を取り出す。

「そんな簡単には言えんでしょ」

「では初対面の時のことを覚えておいでですか? 確か園木さんが連れてきたはずです」

「園木ねえ、懐かしいなあ」

 金属がねじれあう耳障りな音は一向に止まない。

「噂で聞いたんすけどね、あいつ娑婆に出てきた後、薬で死んだらしいっすよ。やっぱ馬鹿ですよ、あいつ。俺はね、シャブだけはやらないって決めてんです。頭がはっきりしてなきゃ何事も楽しめませんから」

 人の死を、高地は簡単に笑う。

 徹はしばらく黙ることにした。無言で見つめられるというのは存外気に障るものだ。十数秒もすると、果たして高地は舌打ちをし、徹の方を見た。

「何すか」

「光彦さんの話をお聞きできますか?」

 高地は大袈裟に溜息をつく。

「はいはい。分かりましたよ」

「ご協力感謝します」

 貧乏ゆすりが始まった。

「ではもう一度。初対面の時のことを覚えていらっしゃいますか?」

「なよなよしてて、俺の嫌いなタイプだった」

 高地は答えた。

「なよなよ、というのは?」

「自分の意志がないってこと。園木に誘われて、断れずに来たっての丸分かりだった」

「しかし、光彦さんはあなたのグループに居つくようになりますよね」

「結局ね。うち何でもあったから気にいったんでしょ。俺は居つかれて嫌だったけど」

「それは、なぜ?」

「面白くなかったから」

 目線を上げずに高地は答えた。

「ノリも悪いし、いっつも隅っこの方で漫画読んでばっか。まあ、あの集団の中じゃ珍しいタイプだったからさ、面白がって色んなやつがちょっかいかけてたけど、俺には何がいいのかさっぱり分からなかった」

「光彦さんがあなたのグループに入り浸るようになったのはなぜだと思いますか?」

「さあ。やんちゃしたかったんじゃないですか? 酒とか煙草とかよくやってたし」

 光彦は一生涯、ヘビースモーカーだった。

「あなたは光彦さんを好ましく思っていなかったんですよね」

「まーね」

「その光彦さん盗みに誘ったのは、なぜです?」

 高地は徐に手を止めると、左手で知恵の輪を持ちあげた。

「あいつ、知恵の輪うまいのよ」

 高地は言った。

「手先が器用なわけ。だから、窓破るの上手いだろうなーって。あとはあいつ流されやすいから、どうせ断んないだろって思った」

 実際、光彦は計画に参加した。

「実際、窓破りは上手かったすか?」

「そりゃあね」

 立ち上がった高地はコーヒーメーカーの前に向かった。

「ネットでやり方見せてぶっつけ本番だったけど、それでもまあまあだった。後の二回はすっげー早いし、全然音もしないし」

 素直な感嘆の響きがあった。

「楽しそうでしたか?」

 高地はコーヒーメーカーにカセットを装着しながら、

「まあそりゃ、あんだけ上手けりゃね」

 コーヒーの抽出が始まり、岩盤を削るような音が耳をつんざく。

「三件目の犯行についてお聞きしたいんですが」

 終わるなり、徹は言った。

「光彦さん、現場ではどういう様子でした?」

 高地の額の血管が小さく脈打つ。

「自分が出来ねえからって、裏切りやがって、あいつ」

 問いへの答えにはなっていなかった。声に怒気が溢れていた。

「あいつがいなきゃ、そもそも事件にすらなってねえんだよ」

 高地はコーヒーを啜った。

「現にあの女、被害届出してなかったろ」

 いわゆる暗数だ。性暴力を受けた被害者の中には、警察に届け出ない者も多い。捜査を受けたくない、被害を受けたという事実を知られたくない、加害者からの報復が怖い――その理由は様々だ。

「咄嗟の機転にしちゃ悪くないでしょ?」

 高地は同意を求める。

「あいつさえいなきゃ、一石二鳥だったんだよ」

 あまりに醜悪な言い分だった。文字通り吐き気がした。

「最後にお聞きします」

 これ以上、高地と同じ空間にいたくなかった。

「光彦さんが強盗事件を起こしたというニュースを見て、どう感じました?」

「スカッとしたね」

 高地はニヤついていた。

「裏切者にはピッタリの最期だって思った」

 聞くに堪えなかった。形ばかりの礼をして、この場を後にしようとした。

「ちょっと待ってよ、刑事さん」

 だが高地は、ただで帰してはくれなかった。

「刑事さんさ、これ、ちゃんとした捜査じゃないよね?」

 徹は固まった。

「世話になったことあるから知ってんだよね。本当ならさ、二人一組で動くんでしょ?」

 徹が睨むと、高地は目を糸のようにして笑った。

「あれ、図星? やっぱり。今さらあいつの話なんて、おかしいと思ったもん」

 それから囁くような声で、

「今日のこと警察のお偉いさんに告げ口したら、面倒なことになるんじゃない?」

「したければ、勝手にすればいい」

 徹がそう言うと、高地は歪んだ笑いを口元に浮かべた。

「気が向いたら、しといてあげるよ、刑事さん」

 態度、内容、声色。何もかもが不快だった。


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