5-2

  *


 何もかも、現実とは思えなかった。

 現場から警視庁本部に移動する間も、緊急の監察官聴取を受けた時も、徹には妙な冷静さが宿っていた。

 聴取を終え、自宅待機を命じられた。

 外に出ると、雲のあわいから覗く朝日に、道に積もる雪が輝いていた。

 千代田線に乗った。ラッシュの時間帯で座れなかった。徹の隣に来た女性がワンセグを見ていた。ふと視線を向けると、大雪の報道だった。今日三月一日は快晴で、昼過ぎには雪は融けきるだろうとフリップで解説されていた。

 間も無く、次のニュースになった。画面下に、太字のテロップが出た。

 警察車両絡む事故、子ども二名を含む五名死亡。

 宮益坂交差点を上空から撮影した映像が続いた。黒く焦げ大破した光彦の車を、レッカー車が移動させようとしていた。

 滑るつり革を握りしめながら、なぜ自分は生きているのだろうと思った。


   *


 事故で死亡したのは、軽自動車を運転していた藤池光彦、ワンボックスカーに乗っていた伊地知和也、数子、良子、巧の五名。良子は小学二年生、巧はまだ五歳だった。二人とも、シートベルトを締めていなかった。

 光彦の車は激しく炎上した。原因の特定には至らなかったが、状況から見て、衝突により内燃機関でオイル漏れが生じたものと思われた。

 捜査本部は仙川署に設置された。青柿や樋山を始めとして、隣接する梅ヶ丘署からも応援要員が派遣された。

 水脇と、徹を除いて。


   *


 事故は大々的に報道された。

 当初は、警察の追跡の適切性について追及すべきという論調も相応に強かった。追跡が事故に繋がったというのは結果論だという意見に対し、某番組の名物コメンテーターが「結果論は結果論でも結果が結果じゃないですか」と発言、賛否両論を呼んだ。

 しかし事故から二日後に行われた警察の会見を契機に、風向きが変わり始める。

 事故直前に発生した強盗致傷事件の被疑者として、藤池光彦の名が挙がったからだ。

 被害者は八百万喜吉。京王線仙川駅から徒歩十数分の一軒家で一人暮らしをしていた、当時六十歳の男性だった。二月二十八日深夜――恐らくは午前二時前後、何者かが三角割りという手法で窓ガラスを破り、八百万家に侵入。既に就寝していた八百万の手足を拘束した上で、預金通帳や財布などの金銭を奪って逃走した。

 世間を震撼させたのは、八百万に対して振るわれた狂気的とでもいうべき暴力だった。顔面は腫れあがり、前歯は砕け、肋骨も折れ、睾丸や男性器も激しく損傷、内臓にも傷がつくほどだった。犯人逃走後も拘束を解かれなかった八百万は身動き一つできず、訪問販売員によってようやく発見されたのは同日午後二時頃、ちょうど雪がとけきった頃合いのことだった。

 会見の時点では、藤池光彦が犯人だという直接的な証拠は見つかっていなかった。しかし、状況証拠は出来すぎなくらいだった。

 光彦の実家は被害者宅から徒歩十五分の場所にあり、光彦が犯行現場周辺に土地勘を持っているであろうと推察されたこと。

 事件当日の午前零時半頃、田園調布付近を犯行現場の方向へと走行する光彦の姿をNシステムが捉えていたこと。

 徹と水脇から職務質問を受けた地点が、八百万の自宅と光彦の自宅アパートを繋ぐ最短ルートの上にあったこと。並びに、職務質問の時刻と推定犯行時刻が符合すること。

 職務質問時の態度、服装。とりわけ、手の甲を赤く腫らしていたこと。

 住居侵入、窃盗、強制性交幇助の前歴があること。

 そして、職務質問から逃亡したこと。


   *


 決定的な証拠が現れるまでには、少し時間がかかった。

八百万は犯人の顔を視認できておらず、光彦が盗み出したはずの預金通帳等々も消失してしまっていた。

 光彦の自宅アパートからも手掛かりは出てこない。八百万宅周辺には防犯カメラが少なく、目ぼしい映像も発見できない。

 雪の日の深夜ということも災いし、近隣住民の証言にも碌なものがなかった。深夜に車の走行音を聞いたと証言する者が何人かいたが、時間帯がはっきりせず、証拠力に乏しかった。

 事件から一週間が過ぎても捜査に進展がない。すると、光彦や藤池家の糾弾に勤しんでいた報道の風向きが、また徐々に変わり始める。きっかけはまたしても、結果論発言で話題をさらった名物コメンテーター、荒崎六郎だった。

「今のところ確たる証拠が全く出てきていないわけじゃないですか。とすると、事実の問題としてね、冤罪の可能性だってあるわけです。それなのに警察は、藤池さんを事件の重要参考人だって、先走って発表したわけですよね。事故のたった二日後です。僕ね、これは無責任だったんじゃないかと思います。つまりはね、言ってしまえば、警察の責任を煙に巻くために、藤池さんとその家族を生贄にしたわけですよ」

 「生贄発言」は再び大きな話題を呼んだ。先週まで光彦や藤池家を痛烈に非難してきた自らの報道姿勢を棚に上げるのか、それこそメディアの責任を煙に巻いているのではという突っ込みもあった。他方、警察が事故後まもなく光彦を被疑者として発表したことに、自らに向けられる批判の矛先を反らそうという意図があったことも否めない。

 弁護士会も動いた。推定無罪の原則と人権の尊重を梃子に、光彦を犯人と断定するような報道や誹謗中傷を痛烈に批判する格調高い声明が公にされた。息子は更正を果たしたはず、現に証拠は何一つ見つかっていない――連日の取材に対し、菊子がそう訴え続けていたことも、この段階に来て意味を持ち始めた。

 このまま証拠が出て来なかったらどうするつもりなのか、そもそも追跡行為の妥当性についても慎重な吟味が必要ではないかと、評論家が訳知り顔で嘯いた。警察は法的責任を問われないのかという特集すら組まれ、可能性は否定できないとゲストの弁護士が冷静ぶった解説をした。ネットはもっと苛烈だった。事故が起きたのは警察の深追いのせい、警察こそ人殺し。どういうわけか、徹や水脇の名前や住所も漏れていた。三流週刊誌の記者が徹の家の周りをうろつき始めた。

 聞いたところでは、捜査本部でもゴタゴタがあったらしい。血の気が盛んな樋山が仙川署の捜査員を殴り、停職を喰らうという騒動もあった。

 だが、解決は案外と呆気ないものだった。事件から二週間以上が経った三月十五日、救世主が現れたのだ。


   *


 証言者は犯行現場から四百メートルほど離れたアパートの住人、大和(やまと)海(かい)だった。事件があった二月二十八日深夜、大和は雪の街へ散歩に出た。なかなか寝付けず、気分転換がてら、物珍しい雪景色を拝みたくなったのだという。

 午前二時十分頃、大和は現場近くを通りかかった。八百万宅の前には黒の自動車が止まっていたが、特段気に留めることなく歩き去った――

 しかし黒の車など世の中にはごまんとある。もし大和の証言がこれだけだったなら、有力な手掛かりではあるにしても、大和が目にしたという黒の車が光彦の車両であるとまでは断定できず、送検には至らなかっただろう。

 だが、大和の証言には続きがあった。自分が見た車の後ろには、アニメキャラクターのマルーンのステッカーが貼ってあったというのだ。

「マルーン」は、愛らしくも勇ましき白玉であるマルーンが和菓子大戦争の終結に邁進するアニメシリーズだ。可愛らしいキャラクターデザインが子どもから絶大な支持を集める一方、含蓄に富む寓話的なストーリーが大人たちの関心を引き、大きな反響を呼んだ。二〇〇一年に第一シーズン、二〇〇五年に第二シーズン、二〇〇八年に第三シーズンが放映され、今なお根強い人気を誇っている。

 そのマルーンのステッカーがリアガラスに貼付されていた――現場の捜査員すら知らない情報だった。当時のドライブレコーダーの画質ではとても捉えきれる大きさではなかったし、徹も水脇も、事故直後の聴取ではステッカーのことを話していなかったからだ。現実離れした最悪の連鎖の中で、リアガラスの隅にあったマルーンの存在感はあまりに希薄だった。捜査本部から確認を受けるまで、徹もその存在を忘れかけていたほどだ。

 初動捜査段階では大和は聞き込みの対象となっていなかった。目ぼしい証言が得られないことを憂慮し、地取り捜査の範囲を拡大したことが功を奏したと言える。

 徹や水脇のみならず菊子と稔も、光彦の車両には確かにマルーンのステッカーが貼られていたと認めた。

 冤罪の可能性という微かな炎は、完全に吹き消された。

 大和の証言から僅か三日後の三月十八日。捜査本部は光彦の書類送検に踏み切った。


   *


 徹を責める声は、それからめっきり減った。

 同僚は復帰した徹を気遣った。事件自体、報道されることが少なくなった。伊地知家の唯一の遺族である伊地知佐市郎――数子の父、良子と巧の祖父――は、頑なに沈黙を貫いている。

 事件から二年あまりが経った後に菊子と稔が起こした裁判につけても、法の上で問われたのは国家の責任で、徹の責任ではなかった。仮に敗訴したとしても賠償責任を負うのは警察ひいては国家で、徹が背負うべき債務は存在しない――そう聞かされた時の違和感は、今も胸にこびりついている。

 一般論としては容易に理解できる。事故当時、徹は公務員として働いていたのだから、徹が引き起こした事態は国家が招来したものに他ならない。賠償責任を国家に負わせた方が被害者の救済に資するというのもそうだし、公務員個人が責任を負うとしたら職務の遂行にあたって萎縮効果が生じかねないというのもその通りだ。

 だが、こと自分に関してだけは、理屈に感覚が抗った。

 結局、裁判所は国に責任はないと結論づけた。


   *


 自分を声高に責め立てる者がいた方が、むしろ気が楽だったかもしれない。そんな馬鹿げたことを考えることがある。非難に耳を傾けさえすれば、簡単に痛みを味わい、報いを受けることができるからだ。

 けれど、敢えて徹を責めようとする者はいない。光彦と藤池家という盾の裏に隠された徹のことを、気に留める者など誰もいない。皆が徹のことを忘れていく。

 だからといって、何もしなくてもよいのか。そう徹に問うのは、徹だけだった。

 答えが見つからぬまま、十二年が経った。

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