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 展示スペースは薄暗く、ひんやりとしていた。

 ガラスで仕切られた向こう側には縄文時代の出土品が並んでおり、時系列順に近代の朝比町になっていくようだ。真新しい建材の匂いが残る館内には、土曜日だというのに我々しかいない。焦る気持ちはあるが、情報を見落とさないようにじっくりと展示品を見ていく。

 隣では安川が興味深そうに出土した埴輪を見ていた。亡者が古代から降ってきているのであれば、ここら辺の時代も参考になるかもしれない。田牧の話では、どこかの時代で他所から神を持ってきたようなことを言っていた。その記述は宗教的な観点からも資料に残っているはずだ。

「谷原さん、こっちこっち」

 日置が抑えた声で手招きする。

 我々とは真逆で、現代から遡って探し始めた彼女が何か見つけたようだ。

 江戸時代、飢饉の展示コーナー。朝比では大きな出来事だったようで、ことさらに手が掛けられている。

 天保の大飢饉——原因となったのは天候不順による大雨と冷害で、関東から東北地方に至る各所で大量の餓死者を出した。

 この朝比も例外ではなかったようで、『あさ比百姓図』として、飢饉の様子が描かれた絵巻が展示されている。腹だけが異様に膨れた子供、木の皮のような何かを煮る男、痩せ細って柱にもたれる女、歴史の教科書でも見たような内容だ。続いて説明文を読む。

『朝比町では蕎麦と麻を中心とした二毛作を行っており、人口が増えるに連れて稲作が進んできました。人を養うためには耕作地を拡大する必要があり、傾斜の緩い麻生山の裾野に棚田が作られたほどです。しかし、貧栄養の土のせいで収穫量は平地の二分の一ほど、そこに異常気象による大飢饉が襲い掛かりました』

 米というのは小麦等その他穀物の何倍も効率が良いので、少ない耕作地で大量の人口を養うことができる。有史以降、ヨーロッパに比べて東アジアの方が人口が多かった原因の一つだ。

 ここでも増えた人間を養うため、米に頼った結果、異常気象による飢饉。そして痩せた土地なのでその他の作物も獲れず、先ほどの絵巻の様相となったことが分かった。

 それを関連付けるような記述もあった。

『元々、食べるための蕎麦と現金収入のための麻という棲み分けで、朝比町の農業は成り立っていました。しかし、中世以降に物流が整備され始めると、米の商品的な価値が高まっていき、蕎麦と麻の両方の役割を担えるようになりました。当然両者は淘汰されていき、徐々に米の耕作地が広がっていくこととなりました。そうして朝比町は米依存の体質となり、飢饉の被害がより大きくなったのです』

 こういった事例は他の土地でもよくあったらしい。

 有名なのは仙台藩で、江戸へ売るために、極端に米に偏った農業政策を実施していた。そのため飢饉が発生すると、他藩の比較にならない被害が出て多くの餓死者を出したはずだ。新人時代の研修で聞いた話だが、印象に残っていたので今でも覚えている。

 ただ問題はそこではない。

 この飢饉を乗り越えた原因に、例の神が関わっているはずなのだ。

 該当する記述を探し、次を読み進める。

『その後土壌改良に成功した朝比町では、稲作が進み、近隣の山間部では有数の肥沃な土地となりました。そして戦後の人工肥料の導入や耕作機械の登場で、さらに効率化を進めて今日こんにちの豊かな朝比町になったのです』

 どこにもない。神のかの字もない。

 これでは小学校の社会見学と変わらないではないか。

「ここです」

 読み終わるのをじっと待っていたのか、彼女は端に展示されている書物を差した。そこには田牧家から寄贈された代々当主の日記があった。黄ばんだ冊子は開かれており、所々虫食いのように破れている。その様子は、先ほどの紙垂を想像させた。

「全文の解説がこっちで見られます」

 日置はそう言うと、手元の液晶画面を操作した。

 原本は蚯蚓みみずのようにのたくった字で書かれており、それを翻訳したであろう内容がつらつらと出てきた。田牧家は朝比の名主なぬしだったようで、大体は米の取れ高や堤防の普請といったものであった。

 どんどん画面を下降させていき、ある一文で止まった。

 時系列的には、天保の大飢饉の直後だ。

工藤何某くどうなにがしなる修験者が、麻生山にてやしろを建立』

 これだ。話にあった修験者は工藤というのか、麻生山に神がいるという点もばっちり合っている。それでどこからもってきた何の神様なのだろう。続きを見るように日置を促す。

「これだけなんです。後は飢饉の対応とか代官への報告とかしか書いていなくて」

「えっ、これだけ」

 思わず館内に声が響く。一番重要なのはここからだろう。田牧の話ぶりでは、村総出で招致したという感じだったが、変にあっさりと終わっている。

 そこまで考えてふと気付いた。

 今の朝比町でも役所と議会が割れているのだ、当時だって同じことがあってもおかしくない。普通神社の建立とは為政者が行うもので、ここの場合、名主である田牧家が関与していないとおかしい。何かしらの事情があったのだろう。

「麻生山に神社はないですね、手前に阿須賀あすか神社というところならあるようですが」

 日置は、スマートフォンの地図アプリで調べている。

 盆地から谷間に入っていく直前にその神社はあるらしい。

 近くを通っているはずだが記憶にない。

「何だか、位置的に山から町を守ってるみたいだね」

 思ったことをそのまま言うと、日置はぎょっとした顔をする。

「……その発想は怖いですね、でもあり得る。いや平安時代の建立だから阿須賀神社が先です。ちょっと展示物見てみましょう」

 アプリを切り替えて調べたようで、すぐ否定された。

 彼女の言う通り、ここに何かしら情報があるかもしれない。

 二人で平安時代の展示に移動すると、目の端に安川が写ったが、興味深そうにまだ弥生時代を見ていた。

「ありました、軽く触れられています」

 平安時代の年表に阿須賀神社の記載があった。

 島根県の美保みほ神社から分祀されて、主祭神は事代主神ことしろぬしのかみ

 村の最奥に位置し、朝比唯一の神社として祀られているとのこと。

 阿須賀神社についてはよく分かった。

 ただ知りたいのは麻生山に建てられたとされる神社なのだ。

 その時、何かに気付いたように日置が顔を上げた。

「御幣って普通神社にありますよね。もしかしたら田圃に刺してるのって阿須賀神社の人じゃないですか?」

「……確かに筋が通ってる、朝比町で唯一の神社らしいし、その可能性は高い」

「この理屈で行けば、谷原さんの言う通り、阿須賀神社が守ってるっていうことになりますね」

 だが実際は守れていない。御幣から出てきて被害をもたらしている。懸命に築いた堤を洪水で流されるような、人間の無力さを感じた。

「麻生山の神社についても聞けるかもしませんし、早速行きましょう。でもその前に……」

「その前に?」

「……お腹空きませんか?」

 日置は少し恥ずかしそうな顔で呟いた。


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