第4話 真新しい因習
「祝部村に行かれはるんですか」
渋谷駅のスクランブル交差点を過ぎて神宮方面に歩いて暫く。
東京特有の小さな坂と入り組んだ小径にある軒先のひとつで、私は担当編集者の
「ええ。まあ」
この店は神田氏が打合せにかこつけて、しばしば通う喫茶店のひとつだった。ウナギの寝床のように奥にながい店内に、モザイクガラスの間接照明が七色の明かりをともす。喫茶店というよりバーに近く、彼曰く、人殺しの方法を語り尽くすにはもってこいの店だという。
彼はK社の文芸担当で、おもにミステリやサスペンスを担当し、公募していたミステリ賞の途中選考で落選した私の作品を拾い上げた張本人でもある。それゆえそれなりに恩義はあるが、多くの没と作品に対する毛色のちがいで、胸中穏やかならぬ気持ちもあった。
そんな恩讐相半ばする彼との打合せが自叙伝の打合せのあとで重なったこともあって、今度、幽霊作家業の一環で、祝部村に行くのだと伝えたところ思わぬ反応を示したのだ。
「ほならおもろい話、知ってますよ」
「おもろい?」
肥えた頬をふるわせて頷く。彼は常に関西弁で話すが、生粋の関西人ではなく関西の芸人が好きである故の訛りで、きけば私と同郷の佐賀らしい。
「以前、実話怪談のアンソロジーを組んだときに、とある方に聞いたんですわ。男とも女ともつかない、奇妙な雰囲気のおひとで。なのに名前はムミョウ。ほんま人を喰ったようなやつでして」
字面を聞くと、
アマチュアの怪談蒐集家で自らを怪談師と称したという。
「ま、なんや言ってましてけど、ようわホラー系のトークタレントみたいなもんですわ。同僚と一緒に顔合わせして、ちょっと話し込んだとき、その無妙さんがちょうど祝部村の話をしよったんですわ」
「なんでもその村のとある家では、妙なもんを死者に咥えさせるらしいんですわ」
「妙なもん?」
「死んだ本人の毛髪を一束」
「それは」私は唾を呑んだ。「なんのために」
「それがね」神田氏も目を大きく開いて「しらんのですわ」
「なんだそりゃ」
額まで当たりそうな距離からパッと離れた。だが神田氏はまだ剣呑な空気をたたえたまま、私の無知を戒めるように首を振る。
「オレも最初は呆れましたわ。が、チャウ。これはそんな虚仮威しと違った」
私はふたたび前のめりになった。大の大人ふたりがテーブルを隔てて、こそこそと小声で怪しげな話をつづけていく。
「つまりですね。遺髪を咥えさせる謂われが分からんのです。民話にも口伝にも残っていない。ただそうしなければ、近々その家の者が狂い死にしたり、事故に遭ったり、あるいは自殺するとか。ただ一番面白いのはそのあとでしてね。この因習、どうやらここ数十年でできたそうなんですわ」
「誰が。何のために!」
「そこですわ先生」
肉厚な両手をぱんと叩く。
「そいつを幽霊作家稼業の合間に調べて、あわよくば新作のネタにするっちゅうのが先生のお仕事でっしゃろ」
私は神田氏の思惑に気づいた。編集者として、作家を焚きつけるため、蕩々と怪談師の話をしてみせたのだ。なんだか上手くしてやられて小面憎いが、彼の提案は編集者として理に叶っている。そして私にも利のある話でもある。
「頑張りはってくださいね。あと頂いたプロット。グロいので没です」
そういって神田氏はそそくさと去り、会計は私持ちになり、祝部村の因習を次作のパン種にせんと発奮したのである。
そのような意気込みだけに、匳家で起きた不審者の自殺と、その不審者が被った恐怖体験、そして村に関する誰が作ったともしれない髪の因習が、こうして暗渠から突如として飛び出してきたとあっては、否応なく執筆の意欲があがり、これらをひとつの恐るべき妄執として書きまとめるには、はたしてどうするべきか。
そんな呻吟しているあいだに、私を乗せた車は広壮な武家屋敷の前にたどり着いた。
防犯意識の希薄な田舎にあって、五メートル余りある漆喰の壁とその上に張り巡らせた鉄条網は、匳屋敷に棲まう人物が一廉の人物であることを示す以上に、得体の知れない邪鬼を覆い隠すための流刑地のようだった。
「案内しますよ」
直継は車を降りるとそそくさと鋲をうった巨大な門へ歩いていく。門はすでに観音開きに開かれ、その威容で私を圧倒していた。
しばらく古刹の楼門のような門構えを仰ぎみたあと、やおらその門をくぐろうとした私は、口腔に蠢く違和感に、びたっと身体が強張った。
「どうしました?」
異変にきづいた直継が振り返り、怪訝げに眉をゆがめる。
私は押し黙り、直継から背をむけて門の陰にかくれると、すぐさま口に指をいれた。
ぞろりと。
唾液に絡まったソレをみた。
ながく、ゆうに三十センチはあるだろう。短く切り揃えた私や直継の髪とは比較にならないほど長く、数本が絡み合って一塊のようになっているそれは、唾液でよごれた誰かの毛髪であった。
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