第3話 胡乱な客の死

出雲いずも秋泰あきやす先生ですか?」


 私にむかってクラクションが鳴った。気づけば、旅館の目前にクリームグリーンのビートルが停まっており、運転席の窓が開いて、面長で目元の優しい学者ぜんとした青年が顔をだしていた。

 

 雨が過ぎ去り、二度目の電話を受けた一時間ばかりあとのことである。


「僕は桂木かつらぎ直継なおつぐ。祝部村のはずれで医者をやっている」


 背格好から三十歳ぐらいだろうか。彫りの深い顔立ちに黒いVネックのシャツに皺のよれた白衣を羽織っている。財界人の匳金蔵使いと聞いていたので、さぞ品のある、それこそ詰襟背広の侍従が来ると身構えていただけに随分と拍子抜けだった。


「辺境の地へようこそ。どうぞ後ろへ」


 レトロな高級車に私を乗せると、緩やかにUターンして、来た道を戻っていく。見送りに出ていた女将は、玄関先で姿が見えなくなるまで心配そうに立っていた。


 しばらくの間、後部座席で所在なく座っていた。尋ねたいことは山ほどあったが、藪を突いて蛇を出してはいけないと口を緘していた。だがそれは杞憂だった。ルームミラー越しに目があったことを契機に、相手のほうから切り出してきた。


「変に思われるでしょう? なにせ屋敷で自殺者が出たにも拘わらず、三日目には自叙伝の代筆依頼だ」


「ええ。まあ」


「当然の困惑だと思います。断られても当然だ。まして自殺したのがときたんだから」


 一昨日、電話口の女を怯えさせていたのは、不可解な自殺だった。素封家の屋敷で首を吊ったのは、身元不明の胡乱な客だった。


「三日前の朝方のことです。彼はふらっと匳屋敷を尋ねてきた。ハンチング帽を目深にかぶって、インターフォン越しに名前を尋ねても首を振るばかり。村の人間ではないようだった。そしてあろうことか、四海に名の轟いたあの匳金蔵に取り次げとのたまった。結果は無論、門前払いだ。それでも彼はその場に居座った」


「ですが、名無しの老人は屋敷の大広間で死んだと聴きましたが」


「お許しが出たんだ。現当主様直々にね」

 直継曰く、使用人を経由して匳金蔵の耳に入ると、金蔵は特に気分を害した風もなく彼を招き入れることを承諾したという。


「金蔵さんの古い友人でしょうか」

「御当主様は彼について一切黙ったままらしい」

「なら自殺の理由も分からず仕舞いですか?」


「まあそうだな」直継はステアリングをこづく。「分からない。まったく」

 

 直継の横顔はその言葉とは裏腹に、思い当たる節がない訳でもないようだった。


「・・・・・・ただ一度だけ、突如として屋敷で悲鳴をあげたらしい」


 名無しの老人が来訪した夜のこと。客間で食事をとっていた彼は、月影に幽鬼でも見たような驚きようで、母屋にもひびきわたる悲鳴をあげたという。


「滅多にない金蔵の来客とあって、屋敷の人々は口々に粗相を詫びつつ何があったか尋ねたが、老人は口を緘して一切こたえず、ただ酷く怯えた目つきで、母屋から駆けつけた面々を見据えていたらしい」


「何があったんでしょう」


「わからない。ただ、その場に居た翠子みどりこちゃん――金蔵さんの孫がいうには、ひっくり返された膳にまぎれて、咀嚼された半粥状のかたまりが吐き棄ててあったらしい」


「食事に異物がまじっていた?」


 直継は否定も肯定もしなかった。彼自身、思うことがあるのだろう。しかし、いまから訪問する客人の耳にいれるには少々酷だと判断したらしく、「わからない」と呟くにとどめていた。


 会話はそこでひと区切りつき、私は車窓に視線を移した。車は隘路を抜けて稲穂の刈り込まれた田園風景に乗り出していく。

 祝部村しゅくべむら。辺境な地にあって未だ人の息づかいが感じれる田舎は、ありもしない故郷の郷愁を呼び覚ますようだった。


 私は水田に水をひく水路から小川へ。そして連日の雨でやや混濁した流れをさかのぼって冬山へと目を移す。不思議と村は霧が晴れて、都会から来た私は田舎の自然にいたく感嘆する。


 


 勘づかれたくなかったのだ。

 直継の動揺をつぶさに感じ取り、根掘り葉掘り聞き出したいという欲求を。

 

 まして彼が言い淀んだ異物が、充分に予想できるなど。


(・・・・・・混入した異物とは、もしやではありませんか?)



 その実、私は幽霊作家として匳金蔵に用がある一方で、怪奇小説家として祝部村に関心があった。



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