美味しいモノが食べたかっただけなのに 〜デブ活女神の救世物語〜

小柴

第1話


「おお、天にまします女神よ。限りない恵みを与えてくださる女神よ。我々はあなたさまに感謝と祈りを捧げます──」


 地球に似たこの世界には〝女神〟が存在する。概念とかそういうレベルではなく、特別な人間にとっては会いに行ける感じで。


 女神ファラフィネッラ・フィンファネッラ。通称・フィンファ神を信仰する世界で、ここ数年の女神による恩恵はめざましかった。異世界から勇者を召喚し、100年以上続いていた人間と魔族との大戦争を終わらせた。人びとの前にすがたを現し、『これからは平和と文化を大切にするように』聖言を授けられた。

 今では神殿が貧しい子どもの学び舎となり、身寄りのないお年寄りは保護され、町に商人と芸術家が戻り、人びとの生活は大きく変わりつつある。

 ああ、女神さまは大空のように気高く、慈愛は海のように深い……。


( デブ活まであと少し! )


 寝て起きたままの姿で、女神はテーブルの上にだらりと足を乗せた。イスは床から45度傾き、あごも天井に向かって傾いでいる。ぼさぼさ頭にお菓子のくずが付いた口元、布袋に穴を空けただけのようなワンピース姿。

 誰も見てないからいいじゃないか。ありがたい姿を人前に晒すときはちゃんとやっているのだから。




 先日の神会合ではいろいろな世界線から神が集まり、自分が担当している世界の報告をした。だいたい、神といっても今どき創世から担当することは珍しい。1000年単位で前任者から引き継いだ世界は、似ているものはあっても同じものは二つとない。

 フィンファの横に座ったのは『地球』の女神だった。おっとりした目つきに綿飴のような桃色髪で、語尾をだらだら伸ばしながら『地球の食べ物』についてフィンファに自慢してきた。

 それだけでも我慢の限界だったのに、「つまらないものですが~」と地球の女神が差し出した〝ぽっぷこーん〟なるものが、とんでもなく美味しかったのである。


「ッっっっ!」


 そのおいしかったこと。フィンファの口の中に、まるで隕石が降ってきたような衝撃が襲った。

 噛み締めたときのクリスピーな食感。しょっぱさと油の香ばしい風味。口の中でカリッと砕け、もう一口の手が止まらない。

 今でもあの味を思い出すと、フィンファの口はよだれの大洪水になる。

 フィンファの担当する世界は、麦を煮て塩で味付けしたものが主食だった。調理法は煮るか焼くかの二択。味付けはシンプルに塩のみ。どうやら戦争で人々の生活に余裕がなく、美食という概念もないらしい。神が食べられるのは担当する世界の食べ物だけ(神会合の機会を除けば)なので、フィンファもこれしか食べたことがなかった。

 出来立てはもっと美味しいんですよ~、他にも美味しいものがあって……。

 そう当たり前のように話す地球の女神が、彼女の環境が、フィンファにとっては歯軋りするぐらい羨ましかった。


 ──ぜったいに、私の世界も〝ぽっぷこーん〟や〝あいすくりーむ〟を食べられるような世界にしてやる!


 地球の女神が話した料理は、どれも驚くほど豊かな食材をつかい、種類豊富な味付けで、とてつもない時間と手間がかけられていた。

 だがフィンファの世界に、そんな材料と手の込んだ料理を作るような余裕はない……。


 ──まずは戦争を終わらせて文化レベルを上げさせよう。生活が整えば、そのうち食事に意識がいくはず。


 フィンファはありったけの神聖力をぶち込んで勇者を召喚し、大戦争が終わるよう人間に助力した。着方のよくわからないドレスと大量のスモークを駆使して〝女神〟感溢れるすがたで人前に現れ、文化レベル(つまり食事のレベルを!)を上げるよう言い放った。

 神はめったに人前へ出る仕事をしない。フィンファはとてもよく頑張ったのだ。


 そんな努力の甲斐あってか、生活が安定してきた人間たちの食事に変化が出てきた。まだほんの一部だけど。

 フィンファは水鏡で世界の様子を見ながら、にんまりした。おそらく100年もしないうちに食文化が発展するだろう。そうしたら惰眠と美味しいモノをむさぼり喰いながら、残りの女神期間をエンジョイしよう──……そうなるはずだった。

 まさか自分が召喚した勇者が、〝履歴書〟を持ってやって来るとは思わなかった。





「女神さま、お邪魔します!」


 訪問者を知らせるベルがとつぜん鳴った。うたた寝中だったフィンファはイスから飛び上がり、散らかった本や食べかけのお菓子やらを拾い上げ、ベッドの中に放り込んだ。大急ぎで衣装に着替え、化粧する時間はなかったので、顔まわりのスモークを多めに発生させた。


「急に申し訳ありません。どうしてもお願いがあって来ました」

「おっ……ホホホ。もちろん良い、でございますのよ」

 あからさまに挙動不審。だが勇者であるオクシダ・ショウゴは、恭しく顔を伏せて女神の足にひざまずいている。コホン、と彼は咳払いをした。


「女神さまのおかげで世界に平和がもたらされました。人々の生活は安定し、戦争は過去のことになりつつあります。ですが、しかし──……」

「しかし……?」

「勇者であるおれは用済みになってしまいました」


 フィンファは目を大きく見開いた。勇者ショウゴは続けた。


「戦争が終わってしばらくはチヤホヤされましたが、一年も経たないうちに厄介払いされ、王宮の外へ住まいを移されました。町で何か仕事をしようと思いましたが、不器用なので物を壊してばかりでどんな仕事も続きません。しまいには強大な勇者の力でトラブルを起こすのではないかと、住民たちに怖がられています。

 ……どうか女神さま。おれを元の世界に戻していただくか、この世界のどこかに仕事と居場所を与えていただけないでしょうか。切実なお願いです」


 ええー、まいったな。フィンファはすずしい顔を装い、なにか良いごまかし方法はないかと後ろ手をもじもじ動かした。


「そうは言っても……元の世界に戻ることはできない、のでございますよ。勇者の力を生かして軍隊で貢献するとか……」

「戦争が終わったあと、今まで無理難題を押し付けてきた国王に思いっきり文句を言いました。よくあんなケチ装備とはした金で戦わせましたね、と。

 だから賠償金と次期国王の地位を要求したら、もう王宮にも軍隊にも顔を出すなと言われました」

「まさか神殿にも?」

「………」


 この人、正直すぎて世渡りできないタイプだ。しかも欲深くて、相手の顔色はうかがわない。厄介払いされた理由もそれだろう。フィンファの前職場の上司に似ている。あんな奴とは二度と関わり合いたくない。

 真っ赤になって縮こまる勇者ショウゴに、フィンファはとまどいと拒否感で頭が爆発しそうだった。


「いっそ女神さまが雇ってくれませんか。おれをここに住まわせてください」

「えっ!」


 思わずフィンファは悲鳴をあげた。とんでもない。惰眠と食欲にまみれた生活を目指していたのに、人間の男と一緒に暮らすなんて。しかもめんどくさい中年男性。言語道断だ。

 だがフィンファがあせあせとしている間に、ショウゴは「それがいい!」「それしかない!」と声高に叫んでいる。


「いや、あの、それはちょっと……」

「自分のことはやります。女神さまのお世話も自信はありませんが、頑張ります!」

「必要ないので……むしろ困るというか……」

 床に額をこすりつけて懇願していたショウゴが、ゆっくりと顔をねじり上げた。


「まさか駄目なんですか? 無理やりおれをこっちに召喚したのに?」

「………」


 なんて目だ。女神への不信感がありありと感じられる。濡れた子犬じゃなくて、年老いたオラウータンみたいに隙のない目つきである。

 フィンファは前後に身体を揺らした。そう言われてみれば、正論かもしれない。勇者のために手助けするのは女神として当然かもしれない。

 語尾がちょっぴり弱くなった女神に、ショウゴはあと一押しと感じたようだ。ゴリ押しとばかりに言葉を畳みかけた。


「召喚されたせいで苦労しているのに、放っておくなんてあんまりじゃないですか。女神さまに助けを求めるのは、当たり前だと思います」

「………」

「これって詐欺ですよ。勇者として呼ばれたのに、用済みになったら捨てられるなんて──」

「そこまで!」


 フィンファは天井を仰いだあと、一呼吸して心を落ち着け、

「あなたが言うことは分かるのですが、私も困るものは困るので……」

 と胸の高さにあげた手のひらを勇者に向けながら、できるだけ優しい口ぶりで言った。


「いったん、お家に帰られてはいかがでしょうか」

「どうしたら雇ってくれるんですか!」


 ショウゴの顔がみるみる赤くなり、立ち上がって目線がフィンファよりも高くなった。

 ──まずい。さすがのフィンファも、勇者が相手では無傷では済まないだろう。身の危険を感じたフィンファは相手から逃れるため、ふと頭に浮かんだ単語を口にした。


「〝あいすくりーむ〟……を作ってくれるなら」


 勇者ショウゴが目をしばたたかせる。

 ──なんだそれ、でしょ。

 フィンファはとっさに口にした難題に、心の中でにんまり笑みを浮かべた。

 そんなの無理に決まっている。地球の女神が話していた食べ物を、彼が知っているはずがないのだから。


「アイスクリームですか?」

 しかしショウゴは滑らかに単語を言い返した。

「いいですよ。時間はかかりますけど、作り方は簡単なので」

「えっ……」

「だって地球では、よく食べてましたからね」

「えっ!」


 ショウゴはすでに任された表情で歩きだし、女神の家にあるキッチンを探し始めた。「そんなことか」と安堵の笑みすら浮かべている。

 おかしい。フィンファは言葉を失い、手で口を覆った。思考が追いつかなくてショートしている。


 勘のいい読者はすでに予想していたかもしれないが、オクシダ・ショウゴは『地球から召喚された勇者』だったのである。







 フィンファの台所で(一度だけ自分で作ってみようと器具を揃えたことがあったのだ)大男が純白のエプロンをしめて泡立て器をかき混ぜている。調子のはっずれた鼻歌を歌いながら。

 なめらかに黄卵と砂糖を混ぜ合わせ、そこに生クリームと牛乳をくわえる。別の大きなボールに氷と塩を3対1の割合で入れると、その中に乳液の入ったボールを置いた。

「見ていてくださいね」

 ショウゴはそう言い、木べらで冷やされた乳液のボールの底をすくった。底から返すようにゆっくり混ぜること数回、だんだん固まりができて、柔らかなクリーム状の菓子ができあがっていく。大きなスプーンで皿に盛り、上から色鮮やかな果実を散らした。

 光に当たっている部分はキラキラと輝き、溶けた部分はこぼれてフィンファの口に早く入りたがっている。


「溶けないうちに召し上がってください」


 言われなくてもフィンファは皿に手を伸ばしていた。ごくり、と喉がなる。一匙すくって口に入れた瞬間、ふんわりと甘い匂いが抜ける。

 フィンファの口の中に、あの地球の食べ物を食べたときのような衝撃が訪れた。

 その味わいは、まるで口の中が創世主の住まう楽園になったようだ。ふわふわ雲のような地面の上で、楽園にいる耳のながい生き物と一緒に、ぴょんぴょん跳ねおどる。そこへ、天使たちが運んできた祝福が食べ物にすがたを変え、すっきりとした幸せを口の中に授けた。

 なめらかな食べ心地、舌の上でとろける感じがたまらない。ああ、もう一口確かめてみよう。優しい甘さとコク、つめたくなめらかな食感……。


「おいひいです(美味しいです)」


 一匙すくっては味わい、一匙すくっては味わい。たちまち皿の中は空になった。フィンファは溶け残った液まですくい切ってから、感想を言った。

 喉の奥が震えるくらいうまかった。大変に幸福を感じていた。

 ──どうしよう。もっと食べたい。

 もっと食べたいが、おかわりしてしまえばショウゴの作った料理を認めざるを得なくなる。彼を雇わないといけなくなる。

 フィンファは悪あがきして、口の中にさじを入れたまま、モゴモゴと言った。


「こんなに美味しいなら、町の人間にもふるまえばよかったのに。喜んで貰えたでしょ?」

「おれが作ったものなんて、怖がられて食べてもらえないですよ」


 ショウゴの口調は、実際に試したことがあるような口ぶりだった。自らを嘲るように、目から口にかけて冷たい笑いが動いた。


「そもそも、おれは町の人たちに避けられてるんです。でも、それは仕方のないことで……。

 召喚されたとき、王さまに木の棒と布の服を渡されて『これで魔王を倒してこい』と言われました。おれが戸惑っていたら、王さまは『必要だと思ったものは何でも民から持っていって良い』と。

 途方に暮れたおれは、町の民家からしかたなく金や武器を集めました。強盗まがいのことをしたんです。いくらおれが英雄になったって、それを町の人たちが忘れるわけがありません」

 怖がられて当然なんです、とショウゴは締め括った。

「おれと仲良くなってくれって下手に出ればよかったのかもしれません。でも、あれだけ皆のために戦ったのに避けられてしまう。何かあるたび『やっぱり異世界の人間だからな』ってひそひそ噂される。

 おれの性格もあって、こんなに尽くしたのに受け入れて貰えないならもう関わるもんかって、町を飛び出してきたんです」

「………」


 フィンファは黙って眉を寄せながらョウゴの話を聞いていた。かけてあげる言葉が見つからず、ショウゴを見つめるばかりだった。その心は。

 ──正直言って、人間と仲良くなろうと思ったことがないから分からん。

 率直なところ、ショウゴの悩みは女神には複雑すぎた。そもそも当の本人にしか、悩みの本質も辛さも分からないかもしれない。しかし黙っているわけにもいかない。

 あいすくりーむの味に感動した女神の口からは、こんな言葉が出た。


「だったら食べてもらえばいいのでは」

「………?」

「怖がられるかもしれないですけど、一人ぐらい食べてくれるでしょう。そういうのを何回かやって、食べてくれた人が増えたら、一人ぐらい『もっと食べたい』とあなたに近寄ってくると思いますわ。

 最初はそういう関係だったとしても、ちょっとずつ仲良くなって、食べ物抜きで仲良くなれるかもしれません」


 あくまで憶測ですけど、とフィンファは言った。

「でも食べ物ぐらいでは……」

 ショウゴは笑いとばすように声を震わせた。だが震えは背中を伝って身体中が縮こまり、今にも逃げ出したがっているように見える。今度は、フィンファが語調を強めてはっきり言う番だった。


「美味しい食べ物って、それぐらい力があると思いますわ。なぜって──」

 フィンファはちょっと耳を赤くしながら言い切った。

「美味しいものが食べたかっただけで、世界を救った女神の話を聞いたことがありますもの」



 急に無言になったと思うと、ショウゴの頬に大つぶの涙が伝っていた。フィンファはびっくりしながら、あわてて適当な布切れを彼に差し出す。ショウゴは鼻をブーッとかみ、静かに泣きはじめた。


「女神さま……おれ、そうやって言ってもらったのは初めてです。怖がられて避けられても、美味しい食べ物に興味を持ってもらえたら、おれに近寄ってくれるかもしれないですね」

 彼はほんのり口端に笑みを結び、フィンファに頭を下げた。

「女神さまがすごく美味しそうに食べてくれたから、勇気が湧いてきました。おれ、もう一回町に戻ってみます。もしかしたら料理をきっかけに、受け入れて貰えるチャンスがあるかもしれない」

「ええ、そうしてください」


 フィンファは胸を撫で下ろした。

 ──ああ良かった。なんの対価もなく〝あいすくりーむ〟を食べることができた。また、別の料理も作ってくれるようお願いしてみようかな。


「でもさすがですね、女神さまって」

 今度はショウゴが目を輝かせながら言った。

「きっと、あれでしょう? いつも見守っていてくれたんでしょ? おれが料理できることを知っていて、料理するように仕向けて自信を取り戻させてくれたんですよね」

「おっ……ホホホ。そんなところですわ」


 フィンファは、勇者の期待を裏切るまいと優雅にふるまった。

 忘れてはいけない。フィンファの原動力はすべて、美味しい料理を食べることに基づいているのを。



「そこで女神さまにお願いがあるのですが」

「えっ!」

 これで一件落着、と安心しきっていたフィンファは再び女神らしからぬ声を上げた。


「しばらくの間だけ、ここに置いてもらえませんか。町に戻るのは早すぎる気がして」

 それは困る、と声をあげかけた女神に、勇者はこう囁いた。

「そうしたら、もっと……」

「もっと?」

「もっと女神さまが喜んでくれるような、美味しい料理を作りますから」


 フィンファはぎゅっと手を握りしめ、心の中の天秤で物事をはかった。美味しい食べ物。めんどくさい中年男性との共同生活。美味しい食べ物──……。

 女神は胸をはってこたえた。


「な、なんでもドンと来いなのですわ」


 始終美味しい料理を食べることしか考えていない女神は、もうしばらく世界を救うために活躍するようだ。


 ──救世の女神に、世界に、光あれ。





〈おわり〉



ご拝読いただきありがとうございました。

アイスクリームを食べたくなった方は、ご評価いただけると嬉しいです。

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