第3話 希望の種が芽吹く時
「母上ただいまーっ」
ボロ家の木戸を勢い良くガラガラっと引いて開ければ、板間には母上と残花が囲炉裏を挟んで向かい合い、姿勢を正して座っていた。囲炉裏の火が揺れ、二人の影を伸ばす。
「……わかったね残花、私に話させてくれ。おお、お帰りタネ。祭は十分楽しんだかい! お前はほんと良くやった。さあおいで」
母上が手招きするので、履物をほいと脱ぎ散らし板間に上がると、母上はすごい力で私を抱き締めた。
「あんたはすごい。本当にすごい。自慢の子だ」
「ちょちょ、痛いよ母上」
母上の腕は太い。ぎゅうっと抱き締められると私の細身は潰れそうになる。母上はぱっと手を離し私を座らせた。
「わたしゃあんたが可愛いんだよ。許しとくれ」
「ええ、今日の母上、変! どしたの?」
母上はいつもビシバシ厳しく私を鍛えてくれた人。「許しとくれ」なんて弱い言葉は聞いたことがない。
「……さあ、大事な話をしよう。ついにあんたに全てを話す時が来た。だが忘れないでほしい。あんたは、私の大事な大事な、一番大事な可愛い子だってことを」
「……うん」
母上は、とても真剣な顔で、でもどこか寂しいような顔で、語り出す。
「……あんたは、私の本当の子じゃない。それはわかってるね?」
「うん、山に捨てられてたのを母上が拾ってくれたんでしょ?」
母上は静かに首を横に振る。
「すまん、それは嘘だ。本当はね、あんたは山で拾ったんじゃない。この残花の父、王花様に預けられたんだ」
「……え、そうなの!?」
ばっと残花に顔を向ければ、残花は静かに頷いた。母上が言葉を続ける。
「王花様は、代々【
「うん、【樹教】の教えにあるもん。かつて世界を灰と化した
母上はうんと大きく頷く。
「そのとおりだ。この世に灰があり、煉獄に黄泉がいる限り、世に平和は無い。さあ、ここからが大事な話だ」
母上はちらりと残花と目を合わせ、頷き合う。
「あんたは御神木を治し、その地の灰を消せる。残花は、あらゆる者を斬って桜の花と散らせる。きっと、神すらも」
「……!」
驚き残花を見ると、残花が口を開く。
「【黄泉】を斬る。それが俺の使命だ」
「か、神を斬るなんてできるの!?」
「やらねばならぬ。何としても」
母上が再び口を開く。
「王花様はふたりに世界を託したんだ。タネを黄泉から隠すため私に預けて樹法を鍛えさせ、自分は残花を連れて世界中の灰人と戦った。……残花がひとりやって来て、死んだと聞いたときは目と耳を疑ったもんだ。あの強い方が負けたことと、残花があまりにも王花様に瓜二つに育ったことに」
残花は静かに頷いた。そっか……お父さん、亡くなったんだ……。だから、強い使命感を持っているんだろうか。
「林檎の御神木を治したことで、黄泉もあんたの存在に気付いただろう。もう隠れてはいられない。だがどの道時間の問題だったんだ、灰人がこの地に現れてしまったからには。灰人は黄泉の手足であり、目でもあるからね」
「うん、わかるよ。教えにあるもんね」
母上は褒めるように私の頭を撫でる。
「よおく教えがわかってるじゃないか、さすが私の子だ」
「へへ、母上に叩き込まれたからね」
母上は改めて姿勢を正し、私に言う。
「タネ。あんたは希望の種なんだよ。今日の祭を良く見ただろう。あんたは皆を笑顔にできる。そして残花は、その笑顔を曇らす者を必ず斬る」
母上の言葉に残花が頷く。母上は続ける。
「だから、旅に出るんだ。世界中の御神木を治す旅へ。黄泉は必ずあんた達を阻止せんと灰人を送る。とてもとても危険な旅になる。でも、やるんだ。わかるね、タネ」
「……うん」
あまりに壮大な話に、正直理解は追い付いていない。とても気楽に考えていた。でもそうではない。これは、世に平和を取り戻すための、神に挑む旅なんだ。すごく危ないのは間違いない。でも。それでも。
「私、やる。やってみるよ、母上」
「良く言った!」
母上はバシッと膝を叩き、再び太い腕で私をぎゅうっと強く抱き締めた。
「イタタ、痛いって母上」
「これが最後かもしれないんだ、思いっきり抱き締めさせとくれ」
「……うん」
母上は、静かに泣いていた。誰よりも強い母上が、涙を流すところなんて初めて見た。思わず釣られて私も泣き出す。
「母上……!」
「ああタネ、私の可愛い子。どうか無事に帰っておいで……!」
「うん……!」
母上はしばらく抱き締めてから、私を離す。
「本当はね、私も着いていってやりたい。あんたを脅かす者皆、たたっ斬ってやりたい。でもね、私はこの村に残らなきゃいけない。黄泉は復活した御神木にもう気付いているはずだ、必ず灰人を寄越す。私はかつて王花様にこの村を頼まれた。必ず守らなきゃいけない。だから……」
母上は残花に向き直り、板間に擦り付けるほど頭を下げた。
「残花、タネを頼む」
残花は左手で刀の鞘を持ち、前に掲げて言う。
「桜花の剣にかけ、誓おう。必ず守ると」
「ああ、ありがとう」
母上が頭を上げ、再び下げて礼を言うと、残花が私を向いて頭を下げる。
「タネ、これからよろしく頼む。お前の力を頼りにしている」
私は慌てて手を横にぶんぶん振りながら返す。
「あ、わ、こちらこそ! よろしくっ!」
急に頭を下げられてびっくりしちゃった。私も慌てて頭を下げる。
三人がみな下げた頭を上げたところで、母上がバチンと手を打つ。
「さあ、大事な話はこれで仕舞いだ。明日っから天下の合戦が始まる。難しい話はここいらにして、景気付けに飲み直そうじゃないか!」
母上はだんと立ち上がり、棚から酒と大盃を取り出す。
「巴、まだ飲むのか。明日の朝には発つのだが」
「つまらんこと言ってんじゃないよ残花あ! 娘と今生の別れになるかもしれないってのに、最後の晩酌を止めようって言うのかい!」
すっかりいつもどおりの母上に、私はちょっとホッとして、吹き出す。
「ふふ! ごめん残花、私も今日は母上ともう少しだけ飲みたいから、付き合って!」
「……いいだろう」
私はおちょこ、残花はぐい呑み、母上の盃は大皿よりでかい。母上はだぶんだぶんと酒を注ぎ、かっ食らう。でも何だかいつもよりさらに飲むのが速い。まるで、寂しさを押し流すように飲んでいるような、そんな気がした。
ところで、今日の話の中で二つ気になったことがあるんだけど……。
「ねえ母上。灰人が、芽ノ村に攻めて来るの……?」
母上はぐびと酒を飲み、答える。
「何、この村のことは心配無用だよ、タネ! 私ゃ何度も灰人と戦って来たんだ。奴らは確かに何度でも復活し、灰ある限り別の灰人も湧く。だがこの地にはもう灰は無いんだ、あんたのおかげでね! だから後は、遠くからやってくる灰人をたたっ斬って、八つの壺に灰を分け封じ、それぞれ遠くに捨てちまえばいいのさ」
母上は大盃をダンと置き、得意気に語った。
「あーなるほど! そうなんだ。わかった、安心したよ」
「ああ、だからあんたは後ろは気にせず、前を向いて行きな!」
私はホッとしておちょこをくいと飲み、今度は残花に問う。
「ねえねえ残花、話変わるんだけど、残花のお父さんの王花様が、私を母上に預けたんだよね。ってことは、私は本当は王花様の子、つまり残花の妹ってこと?」
残花は前から私のこと知ってる風だし、それなら辻褄が合う。母上が私と残花を初対面で一緒に寝させるのも納得だ。残花はくいと酒を飲みながら答える。
「父も母もすでに亡く、タネのことは巴に預けたとしか聞いていない。確かなことはわからんが、俺はお前のことを家族だと思っている」
「あ……そ、そうなんだ」
どど、どうなのそれ!? 結局わかんないってこと!? 好きになっていいの私? ダメかなあ。少なくとも残花の脈は今のとこ無さそう。あ、そっか。初対面でいきなり私を抱き寄せたのは、残花にとっては生き別れた妹に再会したから『つい』だったんだ。納得。
「あまり気にするな。俺を兄と慕う必要はない。今までどおり残花と呼び、対等な相棒でいてくれればそれで良い」
「対等な相棒……うん、わかった。よろしくね残花」
「ああ、よろしく頼む」
気になることも解消した(?)私は、母上と一緒に笑って泣いて、また笑って、いっぱいいっぱい酒を飲んだ。残花も何だかんだ言って最後まで付き合ってくれた。囲炉裏の暖かな火を囲み、思い出話に花が咲く。
私は母上との厳しくも楽しい思い出を全部吐き出すように、たっっくさんお喋りをした。母上はガハハと笑って、ぜーんぶ聞いてくれた。残花は黙って頷きながら、優しく見守るように聞いてくれた。こうして、始まりの夜が更けていく。私は絶対に、この夜を忘れまいと思った。
これが三人で飲む最初で最後の夜になる――そんな気がしたから。
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