第1話 花は散れども種芽吹く(後編)

 風を切って高速で枝を跳び移るうち、山頂が見えてきた。御神木のそばに灰色の大きな熊のような影が見える。あれがまさか――


「かか、灰人だああああ!!」


 根助の悲鳴が響き渡る! 


 ――バギィッ! ドゴォ!


 灰人はごつい岩のような腕を振り回し、周囲の木々を薙ぎ倒す! あんなの根助にかすりでもしたらひとたまりもない……! もうすぐ着く。私は急いで札入れから【松の札】を出し、松ぼっくりに変化させる。蔦は左手に持ったまま、叫びながら右手で思いっきり投げ付ける!


「こっち向けええッ!! 【三尺玉さんしゃくだま】ッ!」


 松ぼっくりには気を込めてある。灰人の背に当たる直前、径三尺の巨大な松ぼっくりとなってぶつかる!


 ――ドシィンッ!


 灰人の背がぐらりと揺れ、のそりと振り向くと辺りを見回し、攻撃を止め私を鈍重な足取りで探す。効いてない、でも根助の近くから離せた! 急いで死角から灰人の頭上の高枝へ蔦で跳び移る。灰人は私をまだ見つけてない、よし!


 これが灰人……! 頭上から見ると、ゴツゴツしてて、灰積岩で出来た二足歩行の熊みたいな化物だ。あの母上よりさらに一回りデカいぞ。私は気付かれないうちに真上のさらに高い枝に跳び移る。


 天高く伸びる遥か高枝の上で、私は一層気合いを入れる。一発でぶっ倒すんだ。じゃないとまた暴れられたら根助が危ない。私は蔦を木札に戻し、札入れにしまう。


「ふうー……」


 遮るもの無い上空で、静かに息を吐く。大丈夫、教えどおりやるんだ、大丈夫。自分に言い聞かすように心で呟き、木札を取り出す。唯一自作じゃない、母上から譲り受けたとっておきの切り札――


「――【天果てんかの札】」


 祈るように両手で握り、気を込める。私は天果の木を見たことが無い。本草図譜にも無かった。だから、これは想像だ。母上――捨て子の私を女手ひとつで育て、朝から晩まで鍛えてくれた。デカくていっちばん強いひと。お願い、力を貸して……!


 木札を天に放る。高く、高く。どんぴしゃり灰人の直上へ。


 【天果の札】は輝きを放ち、変化する――どでかいどでかい、へ!!


「落ッちろーーー! 【天果・巴御前】ッ!」


 今さら頭上を見上げてももう遅いッ! 全部木製の超特大薙刀は、木の刃を下に急降下し、見事灰人をぶっ潰す!!


 ――ドオオオォォォンッ!!!!


 その衝撃は山を揺るがし灰煙を上げ、激風激音がはるか地平まで震え轟く!


 瞬間、大薙刀を木札に戻す。もうもうと上がる灰煙の中、三角凧でくるくると旋回しながら着地すれば、灰人は粉々に散っていた。大事な天果の札を回収し、腰を抜かした根助のもとへ駆けしゃがみ込む。


「根助、大丈夫!?」

「おかげさまで……ってそれより、すっげええ! タネおめあんなことも出来たのか!? 何だよさっきのどでかい薙刀は!」

「どーせ私のこと食いモン生やすだけだと思ってたんでしょ」

「ああ!」


 根助の即答に、思わず吹き出す。


「「あっはっは!」」


 安心した私達は、大声で笑い合った。根助は怖くて泣いてたみたいで、頬の跡に今度は笑い泣きの涙が伝う。


 ……やがて、舞い上がった灰煙も収まった。


「さ、帰ろ根助。急がないと灰人が復活しちゃう」

「おう。 !! ……あ……あ……!」


 突然根助が怯え出し、震える指で私を差す。背後でさあっと灰が集まり、ゴツゴツと岩がぶつかり合うような音がする。まさか、嘘でしょ……こんなに早く――。私は蔦の札を手に取りバッと振り向き構える!



 ――サンッ……



 時が、止まったような気がした。

 目の前の光景が、あまりにも綺麗で。


 そこにいたはずの灰人は消えていて。

 代わりに視野いっぱいに無数の花弁はなびらが舞っていた。

 見たことない綺麗な淡紅色の小さな花弁。

 ……いや、さっき見た。あの人の袴だ。


 ……――『サクラ』――……


 何? 頭の中に、知らないけどどこか懐かしい女性の声が聞こえた、気がした。


「無事か」


 聞き覚えのある男の声にざあっと花弁が散り、時が動き出す。見れば残花が、淡紅色の透き通る刀身をした美しい刀を構えていた。私はまた、ほけーと見上げている。すっごく綺麗で、格好良くて、強くて、ずっと胸が高鳴っている……。残花は音も無く納刀した。


「安心しろ。灰は桜の花と化し、散った。二度と形を為すことは無い」

「……サクラ……」


 私の呟きに、残花は頷く。さっき見た綺麗な花は、桜って言うんだ。袴の柄をよく見れば、さっきの刀身も残花の髪も、同じ色だ――もしかして昔は淡紅色じゃなくて【桜色】、なんて言ったのかな。よし、これからそう呼んじゃお。


「……そうか、初めて見たな。……お前の母が好きだった花だ」


 ? 母上の好きな花は、菖蒲のはずだけど……。残花の差し出した手を取り立ち上がる。またを期待したけど、今度は無かった。ちぇっ。


「さて、悠長にしている暇は無い。さっきの灰人は蘇らずとも、一度現れた地は他の灰人も生じやすくなる。灰がある限りな」

「! じゃあどうするの?」

「来い」


 残花はそのまま私の手を引き、御神木のもとへ連れていく。私の身の丈ほどしかない、幹が焼け落ちて炭と化した真っ黒の御神木だ。


「治せ。お前の【樹法】ならば出来るはずだ」

「ダメ! 御神木は治しちゃダメって母上が……何でいま御神木を治すの!?」

「その地の御神木は周囲の灰を草木と変え、浄化する力があるからだ。巴が禁止していたのは、時を待っていたため。さあ、早く」


 残花が急かす。気付けば、根助もそろそろと私の傍に来ていた。


「何だかわからねえけど、やってみろよタネ。おめなら大丈夫だ」

 

 とんと私の背を叩く丸い手は、微かに震えていた。瞬間、私の腹は決まった。


「うん。やってみる」


 二人は黙って頷いた。私は御神木に両手の平を当て、静かに息を吐く。


「ふうー……」


 大丈夫、教えのとおりやるんだ、大丈夫。自分に言い聞かすように心で呟き、気を込める。


「はああ……!」


 徐々に、徐々に御神木が根元から色を取り戻していく。やがて色が焼け落ちた部分まで到達すると、幹が少しずつ伸びていく。気のせいじゃな

い。気付けば御神木の周りの灰が芝草や花、小木へと姿を変えていく……!


「頑張れ、もっと気を込めろ!」


 残花の激励が響く。これ、滅茶苦茶キツイ……多分御神木だけじゃないんだ。見える範囲全部ごっそり対象だ。体中の血が無理矢理吸い取られるみたいに、気が全部持ってかれる……!


「はああああああ……!」


 弱音は吐いてられない。途中で止めれば込めた気が霧散する。一度気を込め始めたら、最後まで込めなきゃならない。母上に叩き込まれた【樹教じゅきょう】の教えだ。気合い入れるっきゃない……!


「まだまだ、もっとだ!」

「…………!!!」


 息を吐くのも惜しいほど、身の内の隅から隅まで気を手の平に集め、御神木に込める!


 いよいよ御神木ははるか頭上で枝葉を伸ばし、薄紅色の巨大な蕾が開いて白い花が咲き、やがて黄色く丸い果実がいくつも実っていく。山肌は全て緑に変わり、心地よい草の香がそよいでいく――。


「上出来だ!」

「――ぶはあっ、はあっ、はあ……」


 残花の声に私は手を放し、思いっきり息を吐いた。ぜえぜえと肩で息をしながら、その場にぺたんと座り込む。


「よくやった」


 残花が横に立ち、優しく微笑む。ぜえ、はあ……ずるいなあ……そんな顔も出来るんだ……ふう……。私は、いつもほけーと見上げるだけだ……。


「す……すっげえええ! すげえぞタネ! おめどえらいことやったなあ!!!」


 汚いほど涙を撒き散らしながら、根助が飛び付いて来た。私は思わず抱き止めよろける。とと、太いんだってばあんた。


「へへ……どーだ、私のこと食いモン――」

「ああ、食いモンだよ!」

「へ?」

「ほら、上見てみ!」


 私と根助は、揃って遥か高みの果実を見上げた。デカいけど見覚えある黄色くて丸い果実、そういや何だか甘ぁい良い香り……。目を見開いてバッと顔を見合わせる。


「「林檎!! だあーっはっはっは!」」


 ああ、笑いが止まらない。きっと私も汚いほど涙を撒き散らしている。


「あんなでけえの、おらでも食いきれねえぞ!」

「ひとりで食おうとすんじゃないっ!」


 バンバン叩き合って笑う私と根助。でも、残花は少しも笑っていなかった。小声で何やらひとり考えているようだ。


「……これで【黄泉ヨミ】もこちらに気付く。今のタネでは、とても海や天を司る御神木には耐えられない。順を追わねば。しかし……黄色……」


 ……何て? それより、良いコト思いついちゃった!


「ねえねえ残花、【桜の御神木】も何処かにあるかなあ? でっっっかい桜の木が咲いたら、すごく綺麗じゃない!? 私世界中の御神木回ってさあ、灰だらけの大地をぜーんぶ花にしたいなあ。滅茶苦茶綺麗じゃん、絶対!」


 あらためて立って見渡せば、頭の上は林檎の枝葉、山肌は木々に覆われ、麓の村も芝で色付いて、見渡す限りの大草原。何もかも灰色だった私の世界は、たった一日で激変した! めっっちゃキツかったけど、疲れなんて吹っ飛んじゃうよ!


「! ああ、ある。この林檎の御神木のように大きくはないが、確かに一柱だけある。焦らずともすぐに世界中を回ることになるぞ」

「あるんだ、楽しみ! そう言えばさあ話変わるけど、残花って姓? 名? 名前教えてよ」


 いきなりだけど気になるのだ。何か今なら聞けそうだから聞いちゃえ! 残花は私のこと色々知ってるみたいだけど、私は残花のこと全然わかってないからね。


「すまん、名乗っていなかったな。姓は葉桜ハザクラ。残花は名だ」

「へー、葉桜ハザクラ残花ザンカって言うんだ。へー」

「何だ」

「別に?」


 何だか急に恥ずかしくなって目を背ける。覚えた、葉桜残花、よし。


「それより、せめて今は育った故郷の景色を目に焼き付けておけ。もうじき巴のもとへ降りるぞ」

「はーい」


 今日は何だかとっても長かったような、あっという間だったような、不思議な感じ。こんな濃密な日を過ごしたのは初めてだ。


 ワクワクが止まらない。ドキドキかもしれない。どっちもだ。これから私、きっと残花と旅に出る。よく分からないこと色々言ってたけど、まとめてみるにそうなんだ。どうも危険みたい。母上も天下の合戦って言ってた。


 でも、でもさ。こんなことある? 運命の出会いだよ。自分でもよく分からないけど、魂から惹かれてる気がするんだ。私の中の誰かが、ついてけー、って叫んでる。絶対離すなーって。


 だからきっと、最高の冒険になる――!



 ◆


 ◆


 ◆



 でも、この時の私は知らなかったんだ。


 だって、だってだって。見たの初めてだったから。わかるわけ無いよね。


 桜は、必ず散るってこと。

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