第11話


 ケンジの餌を買いにホームセンターに行くと、ペットコーナーに赤堀がいた。レザージャケットに細身のパンツを合わせている。足元はピンヒールだ。ショーケースの前で足を止めた客に、チラシを見せながら保護猫の説明をしている。若い女の客は気圧された様子で赤堀の話に相槌を打っている。


 足が勝手に動いていた。


「赤堀さん」


 普段よりも溌剌とした声が出た。赤堀が瞬きする。赤堀は唇に真っ赤な口紅を塗っていた。妙子が試したことのない色だ。


「あら、萩尾さん」


 赤堀が微笑む。妙子も負けじと微笑んだ。そのまま、若い女を見る。


「ごめんなさいね。この人、うちの職場でも問題になってるの。何回か注意したんだけど、ダメね。こんな場所まで進出しちゃって」


 若い女は「あは」と言葉にならない声をあげ、ギクシャクと去っていった。


「どういうつもり?」


 赤堀は頬を引き攣らせ、体ごと妙子を向いた。


「営業妨害、やめましょうよ」 


 妙子は笑顔のまま答える。赤堀の手から、チラシを一枚引き抜いた。チラシには里親募集の猫の写真が並んでいる。ショーケースと大きさは変わらないのに、ケージに入れられた猫の姿はなんとも痛ましい。裏面には、「ペットショップで命を買わないで」という文字の下、繁殖現場の実情が写真付きで事細かに記されている。


「萩尾さん、現実はこうなの。綺麗な猫や犬が売り場に並ぶ背景にはね、繁殖のために劣悪な環境で、ボロボロになるまで酷使される動物の存在があるの。生まれるのは綺麗な猫ばかりじゃないわ。生き物だもの。売り物にならないような猫は間引かれるの。ひどいと思わない? 人間はどんなに醜く生まれたって無条件に生きることを許されるのに」


 ジッと顔を見つめられ、妙子は顔が熱くなった。自分は、醜さを責められているのだろうか。醜いくせに、アメショーを買っていることを、だろうか。


「ひどいとは思うけれど、だからってこんなところでチラシ配りなんて非常識よ」


「ううん。非常識なのはペットショップで命を買う人」


 あんた、言ってくれたね。妙子は頭から湯気が出そうである。


「うちのケンジはね、売れ残ってたのよ。誰があんなブサイクな猫に七万も払うんですか。うちが買わなきゃねえ、ケンジだって殺処分だよ。あんたそれは良いっていうの? 売れ残った猫は見捨てるつもり?」


「えっと……うん。ひとつずつ説明するね。まず、猫にブサイクとかないの」


「はあ?」


「売れ残ったら可哀想って理由で買うのは、それこそペット業界の思う壺。可哀想だけど、そこは割り切らなきゃ。需要があるから供給されるの。萩尾さん、これからは悪徳業界に加担しちゃダメよ」


 今度は老夫婦がショーケースの前で足を止めた。赤堀がすかさず駆け寄る。チラシを受け取った老夫婦は顔をしかめた。


 あの女には何を言っても無駄だ。あの女の行動や言動は、正義感からきているのだから。そこから放たれた言動に傷つけられても、それはあの女の悪行にはならない。


 妙子はショーケースに並んだ動物を見た。どれも生まれたばかりで、二十万円以上もする。ケンジも最初は二十二万円だった。それが五万円ずつ値下げし、七万円になった。成長するほど安くなっていくケンジが可哀想だった。ケンジは愛想のない猫で、自分が安売りされているとも知らず、いつもフテ寝していた。


 ケンジを買った時、妙子はいいことをした気分になった。それを悪への加担のように否定されたのは、怒りを通り越してショックだった。


 妙子は帰ることにした。ケンジが腹を空かせて待っている。


 自宅前の道路には川島がいた。ギョッとする。川島は背を丸め、ほうきとチリトリを持ってアスファルトを掃いていた。妙子に気付くと、「おかえりなさい」と微笑んだ。妙子は会釈だけ返す。


 自宅に入る前に、チラリと背後を振り返った。あれは、カラスの食べ残しを片付けているのだろうか。後始末をしているという、アピールだろうか。だからカラスへの餌やりを見逃して、という。


 冗談じゃない。妙子は踵を返した。川島が善人のような顔を上げる。


「肌寒くなってきたわね」


 川島は友好的だ。騙されてはいけない。これ見よがしに手を動かしているではないか。きっと、妙子の帰りを待ち構えていたのだ。


「冬場は食べ物が少ないから、野生の生き物にとっては過酷よね。死んだ鳥の胃袋を調べるとね、たいてい空っぽなの。餓死ってこと」


 妙子は脱力した。そうか、この女も、頑固な正義感の持ち主か。


「はあ、そうですか」


 妙子は自宅に入った。もうどうでもいい。自分もたまには餌をやろうか。ケンジはますますグルメで、食べ残しが多くなった。


「ケンジ!」


 ケンジはリビングのソファにいた。妙子は膝をつき、ケンジの狭い額を撫でた。


「あんた、たまには私にも媚びたらどうなの。世話してるのは私なんだからね。あんたを選んだのも私だよ。私は命の恩人なんだよ」


 ケンジはゴロゴロと喉を鳴らした。


「やればできるじゃないの。今日はシーバ。あんたのために買ってきたんだからね」


 ケンジは気持ちよさそうに仰向けにひっくり返った。妙子はケンジの喉をそろりと撫でる。喉の振動が、指先に心地よく伝わってきた。


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大きなお世話 斜奪 @batora

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