『止まれる国の女王』

小田舵木

『止まれる国の女王』

 私の手が。友人の肩に触れる。

 すると。友人は解けて。バラバラになり、宙に消えていく―

 ああ、私は。大切な友人の一人を。空に返してしまった。

 その事実を噛みしめる前に。ただ。虚しさが身を襲う。

 

 私の世界が狂ったのは何時か?

 気がつけば。私はこの世界に放り出されていた。

 

 ボタンをかけ違えたかのような世界。

 私はそこに存在してしまっている。

 そして存在する以上は。この世界の歪みを見逃せない。

 

 歪み。存在してはいけない者が存在する歪み。

 矛盾。この世界に存在するエラー。

 

 ここは―現世うつしよではない。間違いなく。

 では隠世かくりよなのかと問われれば。私は確信を持って答える事が出来ない。

 隠世。即ち常世とこよ。そこは死後の世界であり、また神域でもある。

 そんな高尚な世界に。私が存在する理由を見いだせない。

 私は。現世では―行いが悪かった。

 落ちるべきは。何もない辺獄へんごくであり。神域などではない。

 

 私は空を見上げる。

 見上げても空に消えていった友人は見いだせない。

 

 何故。私はこんなトコロに居るのだろうか?

 それは神に問うべき問題で。私一人が結論を出せる問題ではない。

 私はただ。この世界に迷いこむ矛盾、エラーを。送り返すだけだ。あるべき世界に。

 

                  ◆

 

 私は元の世界では居ないも同然だった。

 私は存在はしていた、確かに。

 だが。その存在というものに。苦しめられていたのだ。

 

 祝福されない子ども。それが私が背負った業だ。

 私は望まれて産まれた子どもではない。

 ただ。頭の悪い男女がコンドーム無しでセックスした結果、産まれたのが私で。

 私は父に捨てられ、母に疎まれていた。

 母は。体を売って日銭ひぜにを稼ぐ女であり。子どもの存在は邪魔なのだった。

 

 私は。放置されて育った。親に愛された記憶などない。

 家での居場所など無かった。ついでに学校での居場所だって無かった。

 

 私は存在しない人間として日々を過ごし。

 次第に壊れていった。当然でしょう?

 日々。頭を埋めるのは自殺の事ばかり。

 学校の屋上で。ただ。空を見つめる日々が続いた。

 

 友人が居なかった訳ではない。

 先程。私が送り返した友人、彼女は。

 私と同じく存在の苦しみを背負っていて。学校の屋上でそれを語り合っていたのだ。

 

 唯一の友人。

 それが彼女。

 だが。彼女は。私の後でこの世界に迷い込んだ。

 即ち―現世から消えたのだ。生を踏み越え、この世界に迷い込んでしまった。

 だから。私は。彼女を送り返したのだ。

 彼女にはこの世界は似合わない。

 それはある種、傲慢な行いであるが。私はそれをせずには居られなかった。

 

 私は。

 この世界に一人で居たいのかも―知れない。

 この停止した世界に。たった一人だけで。

 その方が。スッキリするような気がする…うん、うまく説明は出来ない。

 ただ。間違った者が。この世界に居ることが許せないのだ。

 

                  ◆

 

 この世界は。停止している。

 この世界では。夜は明けない。

 何時でも月が見える。月明かりのもと暮らしているのだ、私は。

 

 まん丸い猫の目みたいな月が。天の真ん中に居座っている。

 私は。それを学校の校舎の屋上で眺めている。

 この世界は。私が元いた世界にそっくりだ。

 ただ。生きたモノが居ないだけ。時たま迷い込むモノが居るだけ。

 

 孤独を感じるか?

 いや。孤独なのが心地良い。

 私はこの世界に静かに存在していることが心地良いのだ。

 世界は在る。だが。私を苛んだりしない。

 それがどれだけ有り難いか。

 私が元の世界で、どれだけ苛まれてきたことか。

 

 自分だけの世界を守りたい…これが今の私のささやかな願い。

 この停止した世界で、停止したまま、永久とわを過ごしたって構わない。

 それは神の存在に似る。だが。私は神などではない。

 ただの卑小な人間だ。

 だからこそ。一人で存在したいなんて我儘を言う訳だ。

 だからこそ。この世界に迷い込むモノを返す訳だ。

 

                  ◆

 

 私は。この世界の女王になりつつあるな、と思う。

 この停止した世界の女王。止まれる国の女王。

 

 この世界は一体、何なのだろう?

 私の心象世界?それにしてはデティールが凝っている。

 

 私は。

 元居た世界から、自らを消去したはずなのだ。

 あの学校の屋上から飛び降りて。

 頭を下にしたから、確実に脳は破壊されたはず。

 だけど。この世界に来た私は無傷で。

 何なら、リストカット痕が残っているはずの右腕だって綺麗なモノだ。

 

 私は河原に寝転がる。

 河原の草原は優しく私を包む。

 耳には川の水の音―そう、停止した世界でも水は流れる。

 矛盾しているが。そういう現象が在るのだから仕方ない。

 

 川の水は流れて。元の場所に留まらない。

 無常。人は水の流れに時を見る。

 だが。ここは常世めいた場所で。

 その矛盾は目に余る。

 まあ。目に余ったところでどうしようもないが。

 

                  ◆

 

 停止した世界に。この常世めいた場所に。

 迷い込むモノは数多居る。

 私の一人を邪魔しないで欲しい。

 今日も。街角に猫が居た。

 真っ白な猫。黄色い目をしたソイツは。出くわした私を睨みつける。

 

 私は。そっと猫に近づくが。

 猫は妙に警戒心が強い。さっと逃げてしまう。

 私は駆け足で猫を追いかけて。

 街中を走り回る。広くはない街を。

 

 白猫は。そんな私を嘲笑うかのように逃げる。

 小道に入り込み、家に上がり、塀の上を歩き回る―

 そんな事をしている内に。私の根城である学校に猫は逃げこんで。

 

 私は学校中を追いかけ回すハメになった。

 ああ、コレだから猫は嫌い。

 だが。所詮は畜生であり。私は屋上へと猫を追いつめる。

 

 追い詰められた猫は。

 体を斜めにして、毛を逆立たせる。

 やんのか?と言いたげな体勢。

 私は白猫に飛びかかって。猫を腕の中に閉じ込める。

 すると。猫は。解け始めて。バラバラになって。宙へと消えていく。

 

 ああ。これで。また一人の時間が過ごせるな…

 そう思って立ち上がれば。

 私の後ろに人の気配。

 ああ、またぞろ迷い込んだ阿呆が居る―

 

「…君は」その声は。声変わりしつつある男の子の声で。「伊佐いささん?」

「貴方は」私は振り返りながら言う。「クラスメイトの…誰だっけ?」

「僕は。奈木なぎだよ。覚えてないかも知れないけど」

「ねえ。奈木くん。ここは―」

「ここは?何?」彼は不思議そうに問う。

「…いいや。何でもない」私は誤魔化す。本当の事を喋ろうが。信じてはもらえまい。

「君は。夜の学校で何をしてたのさ?」

「猫と追いかけっこ…」

「随分、チャーミングな事をしてらっしゃる」

「うさぎでも追いかけて欲しかった?」

「いいやあ。不思議の国は御免だね」

 

「で?貴方は何で夜の学校に居るのかしら?」私は問う。

「…何でだっけな」

「思い出せない?」

「…屋上でさあ。猫と遊んでたんだ、そこまでは覚えているけど」

「まさか。白猫とか言わないわよね?」

「そのまさか。白猫だ」

「目の色は黄色?」

「うん。よく知ってるじゃない」

「…」私は考えこむ。奈木くんは。屋上で猫と遊んでいた…そして。何かの拍子に猫が屋上から飛び出し―それを救う為に彼も飛び出した…こんなストーリーだろう、ここに来てしまったのは。

 

「ねえねえ。夜も遅いみたいだし。帰ろうぜ」奈木くんは呑気に言う。

「私は良いの。帰りたければ一人で帰りなさいな」

「そう言わずぅ。一人で帰るのは虚しい」

「…付き合えば良い訳?」

「そ。付き合ってちょーだい」

 

                  ◆

 

 月明かりの下。私と奈木くんは帰る。

 奈木くんは丁寧に自分の教室に帰り、通学鞄を持ってきた。

 対する私は手ぶらである。そもそも。この世界の生家になど足を踏み入れた事もない。

 

「…手ぶらで帰るんかい?」奈木くんは問う。

「いいのよ。荷物なんて置いておけば」

「…あっそ。ま、家まで送っていくわ」

「ご丁寧にどうも」

 

 私達は静まり返った世界を歩く。

 奈木くんは不思議そうに街を見回している。

「車一つ走ってねえ」なんて言う彼。

「そういう日もあるわよ」私は適当に誤魔化す。

「しかし。伊佐さんは何してた訳?夜の学校で」

「帰りたくなかっただけ」

「とは言っても。帰る家があるのは良い事だぜ?」

「そうかしら?」私は思う。あの家にはいい思い出がない。ほぼほぼネグレクトされて育った私には。

「家に帰ったら家族が居るしなー」

「私はね。母と折り合いが最悪な訳」

「…ま。そういう事もあるかあ。で。家が嫌いな訳ね」

「そ。だから。帰らないの」

「…僕は君を送って帰らない限り、家には帰らんぞ」

「好きにしなさいな」

「そーさせてもらう」

 

 気がつけば。私の家の近くに来ていて。

 私は適当に彼を家に案内して。

 家の前で別れる。家に入る、と嘘を吐いて。

「じゃあな。伊佐さん」

「じゃあね。奈木くん」

 

 奈木くんと別れた私は。

 生家の玄関の前で固まる。

 この家に。足を踏み入れなくなってどれだけが経つんだろう?

 そして。今やこの家には誰もいないはずで。

 私は久しぶりに玄関の鍵を開けてみる。

 カチャン。そんな音が。静かな街に響き渡る。

 

 扉を開ければ。

 玄関。一人分の靴が置かれた玄関。

 この家に私が暮らした痕跡は殆どない。

 なにせ。私は場所を与えられなかった。

 

 玄関で靴を脱いで。

 私はリビングスペースに行ってみる。

 そこにはゴミが散乱している。

 私の母は片付けられない女だった。

 ゴミで。私のスペースを押し潰していた。

 

 私は家に上がった事を後悔する。

 この家に。私が生きていた痕跡などない。

 

 私は家を後にする。

 奈木くんのせいで嫌な事を思い出してしまった。

 

                  ◆

 

 私は。根城にしている学校に戻る。

 戻るついでに街のスーパーの残骸から食料をくすねてくる。

 そして。適当な空き教室でそれを貪りながら考える。

 奈木くんをさっさとこの世界から消さなくてはならない。

 彼も。家に帰って。しばらくしたら。この世界の異常さ、停止している事に気づくだろう。

 

 後は。私が彼に触れるだけで良い。

 そうすれば。また一人の世界に戻れる。

 私は。孤独など感じていない。

 この停止した世界で。一人で完結していたいのだ。

 それを誰にも邪魔されたくない。

 

 私は。食事を終えると。屋上へと舞い戻り。

 停止した月を眺める。

 この金色の目みたいな月だけが。

 私の世界に存在してもいい存在。

 それ以外は要らない。だって。元の世界は私を必要としなかった。

 ならば。私はこの世界で。永遠に存在し続ける。

 止まった国の女王。それが私。

 

                  ◆

 

「伊佐さん…やっぱここか」男の子の声。

「…や。奈木くん」

「ねえ。この世界は。何だかおかしいよ」

「貴方にとっては、ね」

「ここは一体―何なんだい?」

「隠世…常世…そういうトコロじゃないかしら?」

「ってえ事は何だい?僕と君は死んでるとでも?」

「それは正確な物言いじゃないと思う。私達は―はざまに居るんじゃないかな」

「ならさ。帰ろうぜ。こんなトコ。常に夜の世界なんて…ぞっとしない」

「私はね。ここが心地良いの。そして。私は君を返す事が出来る」

「返してもらえるのは有り難いけど…君はどうなる?」

「永遠に。この世界で存在し続ける」

 

 私がそう言うと。奈木くんは固まってしまう。

 奈木くんは理解出来ないらしい。この世界に留まる事が。

 それはあるしゅ幸せな事だと思う。

 けど。私は。絶対にこの世界を離れない。

 元の世界に返ろうが。私の居場所なんてありはしないのだ。

 

「生きているのが―辛かったのかい?」

「辛かったわね」

「何故。こんな事になってしまう前に。誰かに相談しなかった?」

「相談しようにも。私は存在しないのと変わりなかったから」

「…それは認める」彼も。私と関わった事はあまりない。

「あんな世界、私が居なくても回り続ける」

「でも…」

「でももクソもない。この話はお終い。さあ。返すわよ」私は奈木くんとの距離を詰める。

「いやいやいや。待ってくれ。僕は…」

「僕は?何?詰まらない誘い文句なら仕舞って。私はここに存在し続ける」

「僕は…君を。どうにかしてやりたい」

「ヒロイズム?同情?どっちにしたって下らない」

「下らなくたって!僕は!君を!助けたいんだ!!」

「そういう風に助ける自分に酔うのは男の悪いトコロね」

「君は―何を言ったって。聴く耳持たずなんだな」彼は肩を落としなら言う。

「そうね。私は君の言葉を聴く気がない」

 

 私は奈木くんの間合いに入って。肩を掴む。

 そうすれば。彼は肩からボロボロと解け始めて。バラバラになり。やがては宙へと消えていく。

 さようなら。奈木くん。

 私の邪魔をする阿呆な男の子。

 でも。貴方の言葉は響かなかった。

 

                  ◆

 

 あれから。どれぐらいが経っただろうか?

 それを判断する術は私にはない。

 ただ。彼は。奈木くんは。この世界の常連になってしまった。

 彼は幾度送り返そうが。しつこくここに戻ってくるのだった。

 

 私は。それを退け続けた。

 私はこの世界に居たいのだ。

 この停止してしまった世界に。永遠に。

 

「君はマジで話を聴かねえな」青年になった奈木くんは言う。

「そりゃ。聴く耳がないからね」私は少女のまま、彼に相対する。

「時は流れてるぜ、伊佐さんよお」

「みたいね。君がどんどん年老いていく」

「戻るなら今の内じゃねえか?」

「いいや。今さら。戻る気なんて起きもしない」

「そうやって。意固地になるのは良い。だが。君は永遠を生きる覚悟があるのか?」

「あるわね。私は。一人でここに存在しようが。悲しみも虚しさも感じない」

「とことん。孤独な生き物だな。伊佐さんは」

「ええ。そういう風に産み落とされたもの」

 

 奈木くんは。

 どんどん年老いていって。

 最終的にはお爺さんになっても、尚、私を迎えに来る。

 ああ。本当、しつこい男。

 何で。男は執着するのだろう?

 私にそんな価値があっただろうか?

 分からない。ただ。奈木くんは―本当に死んでしまうまで。私の元に現れ続けた。

 だが。それも何時かは終わって。私は本当の孤独に戻る。

 

                  ◆

 

 私は。あの屋上で。月を眺めている。

 停止したままの月。永遠に動かない月。

 私は。一人。ここに存在している。

 それが心地良かった。誰にも脅かされない日々が。

 だが。それはしばらく破られて。私は奈木くんと関わってしまった。

 それが。私の平穏な世界を脅かした。

 私はいつしか。迎えに来る彼を心待ちにするようになってたのだ。

 それは彼が無言の内に。私の存在を肯定してくれたからかもしれない。

 だが。私は。差し伸べられる手を。掴む事が出来なかった。

 

 そうして。今。孤独に打ち震えている。

 そう。孤独を愛した止まれる国の女王は。

 毒に冒されているのだ、他人の存在という毒に。

 ああ、また。彼に会いたい―そう願ってしまう自分が居る。

 いつしか。しつこく迎えに来る彼を愛するようになってしまったのだ。

 

 愛に打ち震える私。

 だが。世界は停止したままで。私は黄泉へとは下れない。

 彼の居る黄泉に向かえば―彼に会えるかも知れないのに。

 ああ、孤独を打ち破った奈木くん。私は貴方が恨めしい。私の静かな世界を壊してしまった…

 

 月が。私を照らしている。

 月明かりに照らされた私は。まだ14歳のままで。

 幼い体を抱えたままだ。

 私はどうして良いのか分からない。

 この孤独を。どう抱えて良いのか分らない。

 私は自分の体を抱きしめてみる。

 そうすれば。他のモノみたいに。解けてバラバラになって、宙に消えていけるような気がして。

 だが。それは気のせいだ。

 私は解けはしない、バラバラにならない、宙に消えない。

 

 こうして―

 私は。本当の止まれる国の女王になった。

 私は永遠に。この夜の明けない世界に閉じ込められる。

 たった一人で。

 それはある種の罰だ。

 

                  ◆

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『止まれる国の女王』 小田舵木 @odakajiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ