隣の席の向日葵くん

月見 夕

私が登校する理由

 ミニ向日葵の種を貰ったのは、確か高3になりたての春のことだった。

 その時期は受験という目標に向かって、普通科の学徒だった私はご多分に漏れず受験勉強に明け暮れている頃だった。

 いや嘘だ。明け暮れてなんかいない。本当はまっすぐ帰宅して勉強するのが嫌で、コンビニをハシゴしながら帰るような自堕落な女子高生だった。


 今も大して変わらないが、私は友達が少ない。文芸部以外の交友関係が希薄で、かといって特に虐められていたわけでもなかった。

 他人と深い関係を継続させるのが苦手で、教室の輪を遠くから眺めているのが好きだった。話しかけられれば普通に受け答えしていたし、私のことは部屋の隅の観葉植物か何かだと思ってくれと思っていた。

 今でこそ「スクールカースト」なんて単語があるが、多分その一番下ですらなく周辺の余白みたいな人間だった。


 話を戻そう。向日葵の種との出会いはコンビニのレジだった。

 食用ではなく、「植えてください」との文言と共に、白と黒の縦縞の種が1粒ずつ個包装されている。

 小学生の時に従姉妹が飼ってたハムスターのエサ、と懐かしく見つめていた私に、店員が気が付いた。

「そちらはご自由にお配りしているんですよ。良かったらどうぞ」

 何でこんな場所で種? という疑問はさておき、タダで貰えるとのことなので遠慮なく1粒頂いて帰ることにした。


 しかし種だけあっても向日葵は咲かない。

 鉢と土が最低でも要るだろうということだけは分かる。が、それらを用意するのが面倒だった。向日葵といえば夏に咲いて秋に散る。なけなしの小遣いで一年草のために装備を整えるのは気が引け、種は制服のポケットの中に数日転がされていた。


 もう食うか。生でもいけるのかな。やっぱり火を通した方が良いのかな。

 そう思った授業中、窓の外に目を遣った私は唐突に閃いた。

 教室脇のベランダには、土が入ったままのプランターが打ち捨てられていたのだ。

 多分前に何かが植えられていたのだろうが、元が何なのか分からない枯草が数本生えているだけの硬そうな土が、色褪せたプランターに収まっている。

 これだ。これしかない。

 休み時間に入るや否や、私はベランダに出てポケットの中の種をプランターに放った。放り投げただけでは咲かない気がしたので、改めて申し訳程度に薄く周囲の土を寄せた。あとは適当にその辺に転がっていたペットボトルで水を遣る。


 クラスに仲が良い人間でもいれば、どんなに勉強が億劫だろうと毎日登校するだろう。しかし私にはほぼいない。だがもうそろそろ教室に通い詰め「勉強が友達♡」と言わないといけない身空でもある。

 学校に来るのも勉強するのも本当に億劫で仕方がない。じゃあ学校に来なければならない、別の理由を作ればいい。

 何か植物を育てていれば、毎日水遣りをしなければならない。

 もう私は向日葵くんのために登校しよう。

 半ば投げやりにそう決めた私は、種を埋めた辺りに「よろしく」と小さく会釈した。


 ミニ向日葵、と包装に書いてあったのでまあ普通のものより背が低いのだろう、と高を括っていたのだが、向日葵くんは私の想定より大きく、すくすくと育った。

 あっという間に膝丈を越え、立ったままでも観察できるようになり、そして頂芽が窓枠から顔を出すまでになった。


 突如ベランダで存在感を放ち出した向日葵くんだったが、クラスメイトの反応は「何か植わってるね」くらいだった。そもそも毎日私が水を遣っているのを咎める人間は教師を含めてもいなかった。

 頼まれてもいないのに学校のベランダでガーデニングを始めた私だったが、元から浮いていたのであまり何も言われなかったのかもしれない。


 あとは私のいたクラスが特殊で、教師陣から匙を投げられるほどの学年中の成績最下位メンバー(私もそう)や行き先が大学じゃない人々(留学、就職、専門学校組)を寄せ集めた教室だったから、何をしようが自由だった、というのもある。

 バレリーナになるためドイツに渡ろうとする者、国内の大学で受かるところがないからと留学を試みる者、「ワーキングホリデーって海外行って遊べるらしいよ」と携帯をいじる者、一言も喋っているところを誰も目撃したことがない者、「勉強とかいいから裸で騎馬戦しようぜ!」と暴れまわる者等々、夢に向かって邁進する者も奇人変人もごった煮の集団だった。だから私の行為もその風景の一部として溶け込んでいたのかもしれない。


 窓際の席の私は、外を見ればすぐに向日葵くんと目が合う。どの辺が「ミニ」なんだろうと首を傾げていたのだが、それは花が咲いてから理解した。

 弾けるようにまばゆい黄色の花弁を湛えたそれは、確かに向日葵だった。が、花は背丈に見合わない小ささだった。普通の向日葵が大人の顔サイズなら、隣の席の向日葵くんは手のひら大である。

 でもまあ小さかろうと向日葵は向日葵だ。毎日水を切らさずに世話をした甲斐がある。今思えば「ただ肥料分が足りてなかったのでは」と思わなくもないが、まあ咲いたのと咲かなかったのでは雲泥の差だ。

「今日も元気に咲いてるね」「長雨はやだね。早く止まないかな」「水足りてる? こんなもん?」

 毎朝登校しては、水を遣る度に声をかけた。

 はたから見たらイマジナリーなお友達に話しかけている超絶イタい奴だったろう。が、ふと脇を見れば向日葵くんが揺れている学校生活は決して悪くなかった。彼(彼女?)も私が世話を焼くから咲いていて、私も彼が咲いてるから学校に来ている。

 奇妙な依存関係は梅雨が明け、夏休みになるまで続いていた。


 前述の通り、一年草とは1年以内にその生命サイクルを終える植物のことであり、向日葵もそれに該当するため夏が終われば向日葵くんとの関係も終わることになる。

 私が変わり果てた彼と対面したのは、2学期の始業式のことだった。

 決して水遣りを怠ったわけではない。かといって自分で遣っていたわけでもないが。

 さすがに夏休み中に毎日水遣りのためだけに登校するのが億劫すぎて(片道1時間半)、代わりに水遣りをして貰えるように校内の花壇のそばに置いておいたのだ。

 夏休みにも活動する運動部は校内の美化活動にも精を出していたから、向日葵くんにも交代で水遣りをしてくれていたようだった。

 しかしまあ寿命というものがある。1輪しか花を付けなかった向日葵くんは、そのひと夏の生涯をひっそりと終えた。

 代わりに残ったのは、枯れ果てた棒切れのような枝だけになった何かとボロいプランターだけだった。いずれこうなることは分かっていたはずなのに、どうにも受け入れ難かったのかもしれない。多分友達が少ない私の、貴重なひとりを失った気分だった。


 再び教室のベランダに持って上がり、しばらく枯れ枝のままにさせていた。その年の暮れの大掃除でクラスの女子から「文川さん、向日葵片付けるよ」とひと声かけられたのだが、その時は「ああ、うん」と生返事ひとつして、なるべくそれが視界に入らないよう目を伏せたことだけは覚えている。透明な袋に折り入れられる音を聞きながら、私は彼が元気いっぱいに咲いていた季節の青い空を思い出していた。

 それ以来、向日葵を見るとあの頃を思い出して苦い気持ちになる。いつでもあの夏の窓辺で、彼が待っている気がして。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

隣の席の向日葵くん 月見 夕 @tsukimi0518

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ